第10章 天の怒り

第247話 秋のあくま


「肌寒いですね〜。皆さんは……平気そう」



 シトリン領から魔女の森へ向けての移動中、夏の終わりを告げる乾いた風が吹く。

 鳥肌が立つ冷たさに、御者台から幌の中を覗くライラだったが、毛布の上で魔道書を読むエストを見て前方へと視線を戻した。



「御者しなくていいのに。ライラは変態だね」


「違いますよぉ! もし他の馬車とすれ違った時に、相手の御者さんを驚かせないためです!」


「ねぇ。エストの魔術なら、御者っぽい人形くらい作れるわよ?」


「あっ…………じゃあ私も毛布の上にッ!」



 荷台へ飛び込んでくるライラをシスティリアが受け止めると、御者台の上に茶色の多重魔法陣が現れた。

 ブロフを大きくしたような男の土像アルデアが出来上がると、いつかの巨大アリアを彷彿とさせる、滑らかな動きで手綱を握った。


 今にも話しかけてきそうなほど人間そっくりの土の人形に、ブロフとライラが若干引いた目でエストを見た。



「エスト。もうシトリンを出て一週間経つけど、まだ次の街には着かないの?」



 調味料を買い足したいシスティリアは、徒歩でもなければ普通の馬車よりも早いこの幌馬車で、一向に街の気配がしないことに疑問を抱いていた。


 冬は香辛料も高くなるので多めに買いたい。

 そんな彼女の呟きを聞いて、エストはページをめくる手を止めた。


 そして、申し訳なさそうな表情でシスティリアと目を合わせる。



「街……すっ飛ばしてた。ごめんなさい」


「……もう、そんな顔しなくていいの。次の街に寄ってくれたらいいから、頼むわよ」


「うん。スイーツも買ってあげる。それとも魔道書の方がいい?」


「アンタにとってスイーツは魔道書と同列なのね……ま、アタシはスイーツの方が喜ぶわよ」


「じゃあスイーツだね」



 読んでいた魔道書を閉じたエストは、懐からトレント紙とペンを取り出すと、次の街で買う物を記し始めた。


 2人で話しながら決める様子が微笑ましい。

 特に物を使わないブロフとライラが見守っていると、毛布に倒れ込んだライラが呟く。



「本当に仲良しですね。エストさん、システィリアさんと居る時はいつも笑顔です」


「……エストにとって、お嬢は唯一の存在だからな」


「唯一の存在?」



 女の子座りになったライラが首を傾げる。

 確かに夫婦ならばお互いが唯一の存在だと思うが、ブロフの言った言葉には、また違う意味が隠されてると感じたのだ。



「ああ。例えばライラ。お前の目標は魔女になること……だったよな」


「はい。エストさんの近くなら、たくさんヒントがあると思いましたし……」


「それだ。お前もオレも、後ろに居る」


「……ど、どういうことですか?」



 簡単な話だ、と前置きをしたブロフは、後方へ過ぎ去っていく景色を見つめながら語った。



「エストは強い。心身共にな。過去に何度も魔族とやり合い、日々の鍛錬は平気で四肢を破壊する。文字通り、他の冒険者とは格の違う鍛錬をしている」


「……はい」


「だが、そんなエストの前に立ち、手を引っ張って行くのがお嬢だ。オレには真似できん……死ぬ覚悟が足りん」


「死ぬ……覚悟」


「お嬢は常に、エストの隣か一歩前に居る。強くなりすぎたアイツにとって、手を引いてくれる存在はお嬢だけだ」



 魔道を歩む者は、必然的に孤独に陥る。

 己の身と心でしか至れぬ深淵の先を照らしていく人生は、着いてきてくれる人は居ても、前を歩く者が居たらそれは既知である。


 足跡を残し続けるエストは、魔道以外の全てにおいて手を引くシスティリアに、心からの愛を誓った。


 孤独の必然を外から壊した彼女が、剣術において孤独なのと同じように。

 2人は、互いの孤独を打ち消し合う関係に居る。



「そこ! アタシとエストに何かあるの?」


「あ、そうだ。試作品の魔道具も買おう」


「ダメに決まってるじゃない! 年が明けるまで無駄遣いは禁止よ!」



 ブロフたちに指をさすシスティリアだったが、無駄遣いに走るエストを食い止め、顔を胸に埋めさせることで黙らせた。


 脱力するエストが荷台の上に伸びると、ふぅ、と息を吐いたシスティリア。



 その時だった。

 彼女の耳は異音を捉え、傍に置いていた愛剣を左手に持つと、真っ先に馬車を飛び降りた。



「何かあったんですか!?」



 幌馬車が完全に停止すると、前方から男の苦しむ声と、大きな魔物の気配が強く感じ取れた。

 飛び出したシスティリアを追うように2人も降りると、30メートルほど前で、ウルサレストという熊の魔物と戦う集団が居た。


 この時期のウルサレストは冬眠前であり、食い溜めをするために街道に出ることも珍しくない。

 しかし、単体ではCランク最上位のウルサレストも、時期や子どもを連れている状態ではBランク上位へと格が上がる。


 人の何倍も大きな巨体に、木々を軽く薙ぎ倒す膂力と、鉄を引き裂く深紅の爪は、秋の悪魔と称されるほど人々に恐れられている。



 前方の集団は商人の護衛だったのだろう。

 5人の冒険者が戦っているが、ひとりは腹から大量に出血し、体が抉れた馬は横たわったまま動かない。


 剣を構えた冒険者の腰が引けており、二足で立ち上がり、大きく見せることで威嚇したウルサレストは、容赦なく大木のような巨腕を振るう。



 そして、冒険者の頭が引き裂かれる瞬間──




「やった! 熊よエスト! これだけの大きさなら3日は食べられるわっ!」




 骨すらも一刀両断したシスティリアが、ウルサレストの両腕を斬り落とし、流れるような動作で首を落とした。


 吹き出した血を浴びた彼女の髪が真っ赤に染まると、歯を見せて冒険者たちを一瞥する。



「ひ、ひぃっ!?」


「横取りしちゃってごめんなさいね。命があるだけ良かったと思いなさい。あと、そっちの男。エストに治し……いえ、ライラの練習台にしましょうか」



 ひょいっと数百キログラムはあるウルサレストを背負い、システィリアは幌馬車の方へと歩いていく。

 流石に重たそうに表情を歪めると、ブロフが商人の確認を。ライラが冒険者の治療を始めた。


 そして、ようやく起き上がったエストは、血まみれのシスティリアを完全無詠唱の水魔術でで綺麗にすると、治療に向かったライラに言う。



「下手に傷口を塞ぐと、体内で出血して最悪死ぬ。ひとつずつ、丁寧に治療すること」


「は、はい! 頑張ります!」


「この熊、ここで解体しちゃうわよ」



 治療の様子を見ながら足元で行われる解体を手伝い、この時期特有の脂がのった獣肉を前に、2人の視線が釘付けになる。



「……ふふっ、当たりね」


「ウルサレスト……初めて食べる魔物だね」


「解体してすぐなら臭みも無いと思うわ。今晩は熊肉のフルコースにするわね」



 話し込む2人の奥で、ライラは『あれ〜?』と言いながら冒険者の口から血を吐かせていた。危うく内臓の出血と窒息で死ぬところだったが、間一髪エストの助けで間に合った。


 しばらくは体の構造に理解を深めることを課題に、ライラの光魔術の洗練が始まる。



 解体と血抜きが終わりそうなのを見て、幌馬車に戻ろうとするエストをブロフが止めた。



「エスト、商人も無事だ。だが、馬が死んでいる」


「……ブロフはどうしてあげたいの?」


「代価を貰い、馬を用意してやってくれ」


「わかった。正直、このぐらいの馬車も運べないようなら護衛も務まらないと思うけど」



 商人から20万リカを受け取ったエストが土像アルデアで作った馬に無色の魔石を嵌め込む。

 すると、擬命創造ネグラードで時間制限のある命を宿らせた。



「一週間経ったらこの馬は消える。いい?」


「は、はい! ありがとうございます!」


「行くよブロフ。美味しい道草だった」



 お前はロバか。

 そうツッコミたくなる心を抑えたブロフ。

 そんな彼の努力も知らずに、凍らせてからウルサレストの毛皮と肉を亜空間に仕舞うと、エストは幌馬車に乗り込んだ。


 全員が乗ったのを確認すると、カラカラと音を立てて進み出し、風を切る速度まで上がっていく。



「あの冒険者さんたち、エストさんの正体に気づいてませんでした」


「気づかなくていい。めんどくさいし」


「こういうヤツなのよ、エストは」



 実は凄いんだぞ、と言いたいライラの気持ちを汲み取り、されど必要の無いことだと言うシスティリア。

 本当に魔術を極めるならこれぐらいの気概を持てと、周囲に振り回されない芯を作れと言われてしまう。


 また、寝転んで魔道書を読むエストは賢者に見えない。きっとメリハリの問題なのだろうと察したライラは、気持ちを切り替えて光魔術の練習を始めた。




「よし。明後日には街に着く。冬に向けた用意をしたら、真っ直ぐにロックリアへ向かおう」

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