第194話 血を争う
「賢者エスト。あなたの実の姉です」
とっておきのプレゼントとでも言いたげに明かされた秘密は、ガリオたちだけでなく、システィリアの視線もエストに集中させた。
「あはは、ユーモアのある冗談だ。賢者という肩書きは色々な人を呼び寄せるね。自称姉に国王、ドラゴンに魔女……飽きなくて楽しいよ」
これまでの旅で出会った様々な人間の顔が思い浮かぶが、その根底にあるのは母エルミリアと姉のアリア、そして隣で支えてくれるシスティリアだ。
それらを全てを否定するような物言いのエイスは、馬鹿馬鹿しいと一蹴する。
「私は本当にあなたの姉なの! 14年前に産まれて、氷の適せ──」
刹那、エイスは発言を止めてしまう。
無理もない。そのまま続きを語ろうものなら、喉元に突きつけられた槍剣杖に貫かれていたからだ。
殺気も、動作も、システィリアですら目で追うのがやっとの速度で、エストは杖を突き出した。
「っ…………何の……つもり?」
システィリアに殴られた時とは違い、喉に感じる冷たい感触は確かな殺気が宿っている。
これは躊躇いではない。ただの善意でエイスを生かしているのであり、攻撃ではなく反撃なのだ。
ゆえに、エストの行動に迷いはない。
「僕の家族にはね、お姉ちゃんとお母さんが居るんだ。それで質問なんだけど……あぁ、『はい』か『いいえ』で答えてね。嘘をつけば殺すから」
「──ッ、はいっ」
エイスを覗く瞳はどこまでも澄んでいて、遠く深い海よりも鮮やかな蒼を映しながらも、彼女を反射することはない。
虚無。無表情という言葉では済ませられない、激情を押し殺したような固まった表情。何かに耐え忍び、限界まで己を追い詰めた顔だった。
しかしエストは、声を震わせることなく、淡々と質問をぶつけていく。
「君は僕の姉である」
「はい」
「僕は人間である」
「……はい」
そんな簡単な質問でいいのか? と思うエイスだったが、質問の矛先が自身の命に向いていることを忘れてはいけない。
淀みなく発せられる冷たい声は、一段と周囲の気温を下げていく。
「姉は純粋な人族から産まれた人間である」
「はい」
「家族は純粋な人族の魔力しか持っていない」
「…………はい」
質問の意図が読めないエイスは、自身の家族に当てはめて答えていく。しかし全てを察したシスティリアにとって、これらの質問が如何に眼前の少女を追い詰めるものか、瞬時に理解できた。
ここまで来ると、エストから放たれる空気は可視化されるほど冷たく、彼の足元は白みを帯びている。
「僕は家族を愛している」
「いいえ」
「家族は僕を愛している」
「………………いいえ」
エイスがそう答えると、杖が下ろされた。
これで終わりかと思った次の瞬間、エイスの腹には研ぎ澄まされた杖先の刃が貫通し、静かに血が滴り始めた。
あまりに鮮やかな貫通だったためか、痛みはその光景を理解した後にやって来た。
「アアアアアアアアアっ!!!!!」
「うるさいなぁ。僕の姉なら腹を貫かれた程度で喚くんじゃないよ。たかが内臓が2つ潰れただけじゃん。そんなに痛がることかな?」
「お、お前ッ! どうしてッ、私を──!」
「僕のお姉ちゃんは僕に対して『お前』なんて言わないよ。親しみと愛情を込めて名前で呼んでくれる。姉を自称するには、愛情が足りないなぁ」
貫いたままの杖を動かし、ダンジョンの壁に
エイスの早まった鼓動をかき消すように魔法陣から命の音が響くと、瞬く間に腹を癒してしまう。
しかし、癒したそばから杖により多大な苦痛が全身を駆け巡り、涙と涎を撒き散らしながら痛みに喘ぐ。
「答え合わせをしよう。まず、僕は家族を愛しているし、愛されている。でなければ、こうして今を生きていない。どれだけ深い愛と感謝を向けているか、それは普段の僕を見ていればわかることだ」
暇を感じた際、家族を模した
「次に、僕を含め僕の家族には、もう誰も純粋な人族の魔力なんて流れていないよ。そんなことも知らずに家族を名乗るなんて、浅ましいにも程がある」
「あさ……ましい……?」
「うん、浅ましい。産まれてすぐの赤ん坊を森に棄てる人間の家族だよ? 氷の適性が何だ? 産んだ親なら責任をもって育てるべきだろう。たかだか人と違う魔術が使えるからって、無力な赤ん坊を棄てる人から産まれたお前は、何の悪びれもせず、したり顔で姉だと言う。浅ましいと言わずして、なんと言う?」
エストから放たれた純粋な魔力は、身も凍るような冷たさと共に、肌を焼き焦がすような熱も帯びていた。
ただ人から魔力が出てるだけだというのに、まるで大型の魔物を前にしたかのような緊張感が走る。
ドゥルムスピンやワイバーン、ピュートゥを合わせても比にならない、本能的な恐怖を与える魔力。生物としての絶対強者の血を宿したエストは、それだけでガリオの足を震わせている。
なりふり構わず逃げ出したくなる威圧感を放つエストは、声色にだけは感情を込めずに話し続けた。
「僕は……棄ててくれた人に感謝しているんだ。そのおかげで師匠とお姉ちゃんに出会えたし、命よりも大切なシスティと巡り会えたから」
「なら……どう……してっ」
「感謝はしてるけど、許してないからね。君、僕の人生に感謝した方がいいよ? もし僕がガリオさんやシスティと出会ってなかったら、真っ先に血縁者を滅ぼしてたかもしれないんだから。運が良くて命拾いしたね」
力の使い方を教えてくれる人が居なければ。
力の見せ方を教えてくれる人が居なければ。
道を示してくれる人が居なければ、今頃エストは2代目賢者よりも凄惨な歴史を刻んだかもしれないのだ。
「あぁそうだ、ひとつ勘違いしてると思うから訂正させてほしいんだけど」
杖を引き抜こうと手をかけたエストは、思い出したように顔を上げた。
「これは僕の姉を自称したからやったことだ。僕に対して何かを言う分には、好きにしてもらって構わない。だけどもし、母親を名乗っていたら……」
「血縁者を二度と名乗れないよう、ロックリアに向かうところだったよ」
杖をゆっくりと引き抜きながら怪我を治してやると、体液という体液の上に座り込むエイス。
汚物が染みていく服など気にすることも出来ず、嗚咽を漏らしながら涙を流し、どこで間違えたのか自問を繰り返した。
そんなエイスを察してか、杖を亜空間に仕舞ったエストは、彼女の前にしゃがみこみ──
「棄てて放置すればいいものを、取り返そうとするからだよ。君が名乗ったのは、くだらない話に僕を使おうとしたから……でしょ? 政治に関わるなら僕は国を出て行くと、親に伝えるといい。母親を自称する前にね」
そう忠告を残すと、黙って見ていたシスティリアの隣に帰ってきたエストは、彼女に力強く抱きしめられた。
エイスが姉を自称した時、システィリアは静かに怒りの炎を再燃させていた。しかしそれ以上に、エストは冷たい炎で天を焦がしていたのだ。
よく殺さなかったと、抱きしめて伝えた。
大きく育った彼女の胸で圧迫されながらも、エストは優しく受け止めた。
「まさかロックリア家が僕の血だったとはね」
「……今はもう、エストだけの血よ」
「何言ってるのさ」
寂しい発言をするシスティリアの瞳を見つめながら、エストはハッキリと言う。
「君と僕の血だ。一緒に繋いでくれるんでしょ?」
「っ! …………当たり前よっ!」
それは何度目かのプロポーズだった。
明かされた血縁者よりも、自分と共に歩んでくれるパートナーを想うことは当然である。
なぜなら、エストは家族を道具と思うことも、適性で判断するようなこともしないからだ。
たった2人の家族に溢れんばかりの愛情を注がれて育ったからこそ、今のエストには愛情を注ぐ余裕がある。
「ガリオさん、面倒事に巻き込んでごめん」
「い、いや……俺の方が巻き込んじまった」
「ほんとだよ。あ〜あ、物凄く不快な気持ちになった。僕、美味しいご飯が食べたら楽になるかもな〜?」
「わーったよ、好きなモン食わせてやるから、アレをどうにか王都まで連れてってくれ」
伯爵令嬢をアレ呼ばわりするほどに、ガリオからの評価も落ちていったエイス。温厚なエストの逆鱗に触れるなど、むしろ感心の領域に達したガリオは、最後には馬車を見つめていた。
エストは小さく縦に頷き、馬車の残骸へと向かう。
それにシスティリアが着いていくと、ようやく皆を張り詰めていた緊張の糸が切れた。
「何をするの?」
「全部亜空間に入れようと思ってね」
「……アンタ、魔力を使いすぎよ。光魔術でどれだけ浪費したと思ってんの?」
「だから今夜はガリオさんの奢りなんだ。それに、使ったのは全体の一割にも満たない。ダンジョンの魔力を横取りした」
「ちゃっかりしてるわね。エストらしいわ」
全壊となった馬車を亜空間に入れると、にわかに信じられない光景にガリオたちから声が上がるが、『まぁエストだしな……』と納得されていた。
やはり彼らぐらい慣れた存在はエストにとっても居心地がよく、接しやすいのだ。
ガリオやミィの適応力には助けられてばかりだと、心の中で礼を言う。
「そろそろ帰りましょうか」
「うん。それに、僕の予想だとロックリアはまだ動き続ける。明日はフリッカにこのことを言いに行くから…………はぁ、面倒くさい」
「ふふっ、今日はお酒を飲んで忘れましょ?」
「…………そうするよ」
この時のエストは、完全に失念していた。
酒を飲むのが自身だけでなく、システィリアも含まれていることを。
そして…………酔った彼女は、エストの理性を破壊させることを。
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