第125話 夜を彩る
「疲れたわぁ……アンタも休みなさいよ?」
宿の部屋で荷物を整理していると、ベッドに座っていたシスティリアが伸びをしながらそう言った。
「うん。ブロフは鍛冶屋を見てくるって言ってたし、僕も本屋とか巡ってみようかな」
「体力バカの休みは休みじゃないのよ……」
「システィも行く?」
「行く。アンタひとりじゃ……ふ、不安だし。ほら、変な問題が起きたら困るでしょ? でもアタシが居たら大丈夫……かもしれないし」
人族のエストが堂々とべルメッカを歩けば、要らぬ喧嘩を買いかねない。彼女が同行するのは、あくまで『そばに居れば問題を起こさない』ためである。
しかし──
「じゃあデートだね。僕はただシスティと買い物がしたい。好きだから。僕らって、そう言い合える仲でしょ?」
「……うん」
恋人であることを忘れたかのような振る舞いを、エストは好まない。大好きな人の隣を歩きたいと思うことは隠さなくていい。下手な理由も要らない。手を差し出せば握ってくれる。それだけでいいのだ。
どんな時もシスティリアを溺愛するエストにとって、環境など些事である。
そっと照れくさそうに手を取った彼女を連れて宿を出れば、そこには黄白色の街が広がっていた。
「アンタの手……おっきいわね」
「ずっと杖を握ってたせいかな? そう言うシスティは手が細くて綺麗だね」
「っ、で、でしょぉ? アタシもエストの手、好きよ。剣士とも戦士とも、魔術師とも違う。ユニークな手をしてるもの」
「……ユニーク」
ユニーク。その言葉で脳裏に浮かぶのは、数年前の魔術対抗戦のことだった。初めてエストが全力を尽くしても勝てなかった生徒──ミツキがそう言っていた。
君はユニークな人だと。
「あ、あれ? き、傷つけちゃったかしら?」
「ううん……約束を思い出しただけ。それより、あそこの屋台に行ってみようよ。サンド・ワームの串焼きだって」
「ヤダ。絶対ヤダ! ムリ!」
「意外と美味しいかもよ? 行こう」
通りに出ている屋台では、サンド・ワームの幼齢個体の串焼きが売っていた。成長すれば軽く人を飲み込む大きさになるが、巣には手のひら大の小さなサンド・ワームが大量に居る。
頭部の牙を落とせば全身が食べられるので、べルメッカではあまじょっぱいタレをつけて焼くのが主流である。
串に刺さったサンド・ワームに指をさすと、店主の獣人は5,000リカを要求した。
「ぼったくりね。脅しましょうか?」
「いやいや、あのサンド・ワームだよ? 5,000リカぐらい安いんじゃないの?」
「……さっきの客には500リカだったわよ」
「よし脅そう。食べ物の恨みだよ」
目にも止まらぬ速さで剣を抜いたシスティリアは、店主の喉元に剣先を突きつけた。人族の味方をしようとする彼女に驚いたのか、『そいつは人族だぞ?』と確認するように言っていた。
「人族だから何よ。彼がアンタに何したって言うの?」
エストが笑顔で1,000リカを差し出すと、店主は震えながら縦に頷き、サンド・ワームの串焼きを2本渡した。
速やかにその場を離れ、オアシスの見えるベンチに座る2人。
「カッコよかったね。剣を抜くの、見えなかったよ」
「あら、アンタでも見えないの? 意外だわ」
「物より魔力の動きで視ているからね。じゃないとボコボコにされちゃう」
「たまにはボコボコにされなさいよ」
「……たまにならね。ちゃんとシスティが治してよ?」
それぐらいはお易い御用と言うと、その白く細い手にサンド・ワームの串焼きが握らされた。てっきり2本ともエストが食べると思っていた彼女は、笑顔のまま固まってしまった。
すると、隣でプリップリのお尻から齧り付くエストが、中から溢れ出した体液で口の周りを汚す瞬間を見てしまう。
「ん〜! このジュルジュルの体液、すんごく美味しい! 大人より旨みがあるっていうか、シチューみたいな濃厚さを感じる」
「……ジュルジュルの体液」
「システィも食べなよ。あ、それとも食べさせて欲しい?」
「……へ?」
「はい、あ〜ん」
呆気にとられていたシスティリアに、今にも動き出しそうなサンド・ワームが迫る。その気持ち悪さは一級品だが、笑顔で口を汚すエストと相殺されてしまい、彼女の意思とは反して口を開けてしまった。
プチッと音をたてて簡単に歯で噛み切れた胴体は、タレのあまじょっぱさを感じた後に、内臓や体液などによるとろみのある複雑な旨みを舌で感じる。
丁寧に糞出しされたサンド・ワームの幼齢個体は、糞による苦味やえぐみが一切なく、おやつ感覚の食べ物への変わり果てていた。
「お、美味しいわね……見た目が最悪だけど」
「でしょ? やっぱり虫は美味しいんだよ」
「アンタは気持ち悪いと思わないの?」
「思うよ? でも気持ち悪さより好奇心が
「……てっきり気持ち悪くないんだと思ってた。本当に食欲の権化なのね。食べるために生きてるのかしら?」
「うん。システィの料理を食べるために生きてる」
「……そっ。ふふっ、ならいいのよ」
どれだけサンド・ワームが美味しくても、エストの中の一番は消して揺るがない。かつて動かないとされていた1位を塗り替えた彼女を超えることなど、蟻がワイバーンを倒すぐらいの確率だろう。
パクっと手にあるサンド・ワームを齧りながら、隣に彼が居る幸せを味わうのだった。
「まぁ、キモイものはキモイわね」
「うん。この形で跳ねたりしたら悲鳴を上げると思う」
「……今ボコボコにしたくなったわ」
「あはは、システィも冗談……うんごめん」
夜になると、酷く気温が下がるドゥレディア。
それはここべルメッカも同じであり、激しい寒暖差に体を震わせるシスティリアは、エストの魔術で温まりながら歩いていると、ふと空を見上げた。
「綺麗な空ね。エストは星座、知ってる?」
「知ってるけど……この数から星を結ぶのは無理かな」
街灯が無く、寒暖差も大きいために夜は家に帰るべルメッカの人々。昼間とは違い、物音ひとつ聞こえない街の鼓膜に、2人の足音だけが伝う。
街を出て丘になっている場所まで行くと、夜空の境界線が見えなくなる。
布を敷いて2人で座れば、夜の舞台に胸を躍らせた。
白い砂の大地と、煌めく星々の世界。
夢のような景色に2人は、同じ表情で圧倒されていた。
「……ここでしか見られない景色だね」
「……ええ。こんな世界があるなんて」
夜が眩しくて、エストの肩に頭を預ける。そんなシスティリアの肩を抱くと、ゆったりと振られた尻尾が砂を打つ。
この世界を次に見られるのは、何年後になるのだろうか。もしかしたら、もう見られないかもしれない。
そんな憂いを払拭するように、じっくりと堪能する。
腰の横でついていた手が彼女に触れると、指を絡めた。
最も大切な存在が隣に居る安心感は、雄大な夜に居場所を作る。夜を彩る星々に紛れるように、ひっそりと。
薄い光のせいか藍色に見えるシスティリアの髪と、エストの絹のように白の髪は、奇しくも夜のドゥレディアと一体化していた。
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