第124話 手を差し伸べる
サバンナに滞在して数日。ある程度の食料を確保した一行は、西の山脈を越えようとしていた。
そんなエストたちを待っていたのは、またもや小さな砂粒に足を取られ、やけに殺意の高い魔物が潜む砂砂漠である。
しかし、幸いにも視界の端には村が見えていた。
「あそこが最寄りの村みたいね。早いうちに届けましょ」
ゆっくりと山を降りて砂に足をつけた一行。
段々見えてくる村の姿を見て、少々の危機感を抱き始めた。活気が無いと言えば可哀想だが、最低限の生活すら苦しい様子だったのだ。
システィリアが『水を届けに来た』と言えば、わらわらと集まってくる村人。
年老いた獣人やまだ幼い獣人に配っていると、ガタイのいい猫獣人の男が、子どもを押しのけて水を貰いに来た。
「……行くか」
少し離れたところで甘い樹液が染み込んだ枝を齧っていたエストは厄介事の匂いを嗅ぎつける。
「アンタ、ちゃんと並ばないと渡さないわよ」
『あ? うるせぇ。さっさと寄越せ!』
「聞こえなかったかしら? ちゃんと並べって言ったのよ」
注意するシスティリアに舌打ちをした男は、彼女の胸ぐらを掴んだ。身長は男の方が大きいが、なぜか周囲にはシスティリアの方が強そうに見えていた。
火花が散りそうな目線のぶつかり合いに、暢気に枝を齧りながら仲裁する男が居た。
「そんなことしてたら配給遅れるよ。お兄さん、大人しく並びなよ。ちゃんと配るんだからさ」
『ここでは俺が絶対だ。ぶっ殺すぞ!』
面倒な相手だと分かると、システィリアは早々に引いて他の村人たちに水を配り始めた。
「ところで今使ってる言語、獣人語だよね」
『人族みてぇなゴミが喋んな!』
「ごめんね、文字だと分かるんだけど発音されると分からないんだ」
ただ罵倒されていることは分かると言うと、遂に男は拳を振り上げた。
すると、男の背後におぼつかない足取りでこちらに向かってくる、小さな女の子が視界に入った。少女は男のすぐ側まで来ると、その大きな足に抱きつく。
少女の耳は男と同じ猫のものだが、髪の色が澄んだ空のような色だった。
『お兄ちゃん、だめだよ。その人たちはお水を持ってきてくれたんだから』
『リィ!? どうして出てきているんだ! 早く家に隠れてろ!』
まるでエストから隠すようにしゃがみこむが、既にエストは少女の後ろに立っていた。妹の適性がバレたら大変なことになると思っていた男は、足元の砂を投げつける。
しかし、男にとってエストは予想と全く違う行動をとっていた。
「良い
エストが手渡したのは、少女には少し大きな土板である。そこに描かれた魔法陣は2つ。初級の水魔術だ。
ただ、人族語と獣人語の両方で説明が書いてあり、識字さえできれば簡単に魔術が使えるというもの。
「もっと色んな魔術が知りたかったら──」
「はいはい、もう配り終わったから行くわよ!」
ずるずると引きずられるエストを、2人はただ黙って見つめていた。
少女が大きな土板に目を移すと、説明文らしき文字は丁寧に彫られているものの、最後の一文だけ手書きのようになっていた。『なんて書いてるの?』という問いは、男を大きく苦しめた。
『……“がんばれ”だとよ』
パッと顔を上げた少女の目には、小突き合うシスティリアとエスト、そして上手く横に立って見ているブロフが映っている。
風のように現れて、水と小さな知恵を授けてくれた。
最愛の兄の顔を見るが、そこには悔しさを噛み締める表情と、隣でポツンと置かれていた水の入った壺があった。
大丈夫だと。そう伝えるように右手を頬に添える。
『がんばるね。村のみんなのためにも』
『…………すまない』
ドゥレディアの村は、定期的に移動することが多い。それは極めて入手が難しい水のためや、食料確保の面が大きいからだ。
この村も同様であり、水があるかもしれない東の山へ向かおうとしている。
彼らはまだ知らない。
その先に色褪せた草原と川、そして凶悪な魔物が居ることを。適応さえできれば、他の村以上に資源が豊富なことを。
エストが贈った土板の裏には、無数の魔法陣が描かれていた。それは、全属性に対応した攻撃系の術式であり、守るために使う時を思ってのことだ。
手書きの『がんばれ』というメッセージが個人に向けたものか、或いは村人全員に向けたものか。
その真意はエストしか知らない。
「──いやぁ、今回はドキッとしたね。手を上げられたら僕も対応に困るところだった」
「アンタが逆撫でするからよ?」
「でもいいことを知れた。水の適性が産まれることと、生の獣人語を聞けたからね。べルメッカで発音を学びたい」
初めてちゃんと聞いた獣人語は、何を言われているのか分からなかった。所々聞いたことがある単語があったが、それでもサッパリである。
文章を使えるのに発音ができないのは勿体ないと思っていたエストは、これを機に獣人語の完全習得を目指す。
相変わらず快適な拠点を構え、夜はシスティリアと獣人語の復習をする日々を送るエスト。
3人がドゥレディアに入ってから、1ヶ月。
「おい、見えてきたぞ」
「大きな街ねぇ……緑もあるわ」
遂にドゥレディアの首都、べルメッカが見えた。
砂丘から望むその街は、これまで見てきたどの砂漠の村よりも発展しており、遠くに見える宮殿や、街の中心にあるオアシスは青々と輝いている。
「エスト、気をつけろよ」
「はいはい、フードね。はぁ……初めて人族に産まれたことを悔やんでるよ」
「アンタの魔術で耳と尻尾を付けられないの?」
「できるけど……それは獣人だけじゃなくて、人族も侮辱してる気がしてね」
そう言ってフードを深く被ると、べルメッカへ向けて歩み出す。システィリアとブロフが目を合わせると、2人してフッと笑ってエストの背中を押した。
「そういうところ、好きよ」
「出来るけどやらねぇ。職人でさえ気をつけていることだ」
種族という普遍の才を認めるエストにとって、自らを守るために他種族を真似ることはできない。
等しく敬意を表す以上、フードを被ることが唯一の自衛手段となる。
「ニヤニヤしてないで行くよ!」
「あら、照れてるわね。珍しい」
「本当に珍しいな」
「うるさい!」
笑う3人がべルメッカに入るが、まだ気づいていない。
この広大な街を……砂漠を覆い隠す、黒い雲が渦巻いていることに。
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