第383話 初代賢者の暗躍
「よし、今日は待ちに待ったドゥレディアだ。同行者は……無し!」
「寂しいのぅ。システィリアとウルティスは寝坊、アリアは指名依頼で早朝に出おったからの」
朝、いつもの時間に目を覚ましたエストだったが、リビングに居たのは魔女とエフィリアだけであり、珍しく静かな朝に紅茶の香りが目立っていた。
久しぶりに魔女と2人で朝食を楽しんだエストは、象徴たる白雪蚕のローブを纏い、玄関に立つ。
「ほれ、パパに行ってらっしゃいじゃぞ?」
「あーう」
魔女に抱っこされたエフィリアが手を伸ばすと、差し出されたエストの指を力強く握り返した。
柔らかな頬がムニっと持ち上げられて笑う。
「可愛い……意外と力が強いんだね」
やはりエストの声を聞いて笑うエフィリア。
愛娘の笑顔に自然と表情を緩めるエストを見て、魔女は息子の成長にホッと息を吐いた。
物心がついた頃から自制心を鍛え、感情表現が苦手になっていたエストが、心の底から誰かを愛し、家族の前では笑うようになったのだ。
幼い頃にエスト自身が凍らせた表情を、たったひとりで溶かしたシスティリアには感謝の念が湧いてくる。
「気を付けて行ってくるのじゃぞ」
「うん。師匠、エフィ。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
転移するエストを見送り、エフィリアをベッドに寝かせた魔女は、義娘への感謝を込めて2人分の朝食を作り始めた。
「わらわは親になりきれておらぬ。じゃが、子から学ぶのもまた親と言う。諦めるにはまだ早いのじゃ」
「おうおう、お前が拾ったガキだからな。死んだ後も親として責任を果たせよアホ弟子」
「ちと胡椒を取ってくれんかの」
唐突に台所に現れたジオから胡椒を受け取った魔女は、自身の手のひらに細かく砕いた胡椒を乗せると、完全無詠唱の
「──ッ、うがあぁぁぁぁッ!」
「ほれ、お主が拾ったガキのやることじゃ。今のわらわは忙しいゆえの。黙って座っておればよい」
「クソっ……あのガキにしてこの親か!」
「それで、どうじゃった?」
「まぁ待て。それより何か作れ」
台に乗り、半分に切ったパンで茹でた野菜と炒り卵、よく焼いた肉と完熟ベリーのソースで挟んだサンドを2つ作った魔女。
手頃なバスケットに2人分を詰めて布をかけると、腹を空かせたジオに適当な炒め物を差し出した。
「……うま。下見の件なら、ありゃ最悪だ。エストはよくあの洞窟に入ったもんだ。俺は近付いただけで吐いたぞ」
濃いめの味付けが気に入ったのか、食べる手を止めることなく話を続けたジオ。
「ふむ……事態は深刻そうじゃな」
「村を捨てればそうでもない。それよりも、アイツが澱みを持って帰ってきたことが鍵だ。おかげで半日なら耐えられる薬が出来たぜ」
そう言って机の上にアンプルを……仮名として
「これはセンパイが作ったのか?」
「ンな訳あるか。マルペルっていう魔石研究家に作らせた。エストにゴネて貰ったドラゴンの魔石を報酬にしたんだよ」
「わらわの弟子を都合よく使うでないわ!」
「うっせ! アイツのためにマルペルの研究全部止めたんだからな! ドラゴンの魔石でもねぇと、確実に断られたぞ」
「それは……そうか。すまんのじゃ」
2人の問答に眠っていたエフィリアが泣き出すと、魔女はすぐに抱きかかえては椅子に座り、慣れた様子であやしながら続きを促した。
「副作用はどうなんじゃ?」
「ある。マルペル自身が言うには、魔力の循環が僅かに遅くなるらしい。俺たちのバカ弟子には使えん」
「……うむ。前衛にしか使えぬのぅ」
「少し違うな。魔術師でも、エスト以外なら使える。ブロフと一緒に居るヒヨっ子魔女。アイツでも気付かん程度の循環阻害だ」
「む? 既に試したのか?」
「ああ。バカだから気付かねぇと思って何も言わずに飲ませたら、本当に気付いてなかった。エストは舌に触れた瞬間、黙って吐き出したぞ」
「……それはエストが異常なだけじゃぞ」
「クソ優秀ではあるからな」
エストが騎士団に赴く間の休日、ジオは完成した薬の試用を黙って行っており、唯一副作用に気付いたエストには実験を知らせている。
授乳に影響があっては問題があるためシスティリアには使っていないが、彼女の鼻は『魔力に関係がある薬』だと即座に見抜いていた。
恐ろしいほど鋭い感覚を持つ2人に、ジオが後退りしたこともあった。
「ふむ。ではセンパイも飲まないのじゃな」
「飲むに決まってんだろ。情けない話だが、これが無ければ本命の魔物が巣から出た瞬間に気絶する」
水晶洞窟の近くに立っただけで耐えられなかったジオは、エストがあの洞窟に入り、そして底にある澱みを持ち帰ったことを偉業のように思っている。
抗魔澱剤を開発したマルペルも、『純粋な邪悪』と呼ぶ高純度な魔力の澱みに目を輝かせ、軽く吸っては吐いていた。
そして、服用して再び洞窟に向かったジオは、澱みの影響を殆ど受けることなく戦えることを実感したのだ。
「その魔石研究家、かなり怪しいのぅ」
「
「……エストもやっておったな」
「馬鹿言え、マルペルは公の場でやらかしている。その上、間違いがあれば即座に適切な術式を組む秀才だ。ユニコーンの魔石に魅入られなければ、つまらん薬師のままだったろうよ」
「ユニコーンの魔石か。懐かしいのぅ?」
「天蓋領域クタラカ……あのバカ弟子は行ったのか?」
ジオは懐かしい記憶──否、人生で最も死に近い経験をしたダンジョンに肌が粟立ち、辛うじて入手出来たユニコーンの魔石を思い出す。
「行っておらん。お主のせいで代々の聖女が鍵を持っておるからの。数少ない完全未踏破のダンジョンじゃ。存在を知らぬ者も多いじゃろう」
「ったく、聖女もンな鍵手放せよな。流浪のダンジョン狂いに調べさせた方が幸せだろ」
「無理じゃろうな。わらわたちの生きた開拓の時代ではない。安寧の時代に入った今、危険なダンジョンに進んで行く者は少ないじゃろ」
いつかエストに教えたいと思ったジオは、食べ終わった皿を魔女に差し出し、
ひとつ大きく息を吐くと、おもむろに立ち上がっては玄関へ歩き出す。
「どこに行くのじゃ?」
「庭。あの狼ども、陽を浴びながらもたれ掛かるのに最高の毛並みだぞ」
そう言ってヌーさんたちと触れ合うジオは、氷獄では味わえない温かさを味わいながら、魔道書を読むのだった。
「そろそろ2人を起こしてくるかの」
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