第382話 別人の魔力


「熱い……冷たい……痛い……熱い」



 朝の鍛錬中、氷龍以外の魔力も熾せるか試していたエストは、肉体を内側から傷つける魔力に耐えていた。



「何やってるのよ?」


「色んな龍の魔力を熾してる」



 エフィリアとの散歩から帰ってきたシスティリアが近付くと、尻尾の毛が逆立つような魔力に心配そうな顔で覗き込んだ。


 すると、エストが右手を出して言う。



「見て、人差し指溶けちゃった」


「──欠損回復ライキューアッ! ちょっとアンタ、すぐに治さないと病気になっちゃうわよ!?」


「……ごめんなさい」



 グロテスクな右手を治されたエストは、怒りをあらわにしたシスティリアの言葉を受け止め、抱かれているエフィリアの頭を撫でた。


 耳をピクりと動かし、笑みを浮かべたエフィリアにエストも優しく表情を緩めると、熾していた魔力を鎮めた。



「エスト、椅子ちょうだい。2人で見てるから」


「……2人と4匹になってるけど?」



 氷の椅子に腰をかけたシスティリアの近くに、ヌーさんたちが集まってきた。それぞれがリラックスしながらも瞳に映す世界は、エストを中心に回っている。


 監視にしては数が多いが、こうでもしないとエストは自身の肉体を破壊しかねない。


 システィリアは、ウルティスによる密告でエストが鍛錬中に死にかけていることを知っているのだ。


 妻として放置出来ない問題だと捉えられているために、しばらくエストの鍛錬には見張りが必要だと言う。



「ま、いっか。まずは氷龍の魔力」



 しかし、監視の目があるからと言って鍛錬の手を抜くわけにはいかない。

 芝生の上であぐらをかいたエストは、体の隅々まで巡る魔力に氷の種を宿した。


 その種が急速に成長するイメージで魔力を熾せば、体外に纏う魔力の密度が何十倍も濃くなっていく。



「あぅぁあ〜」


「エフィ? パパが気になるの?」



 父親を求めるように手を伸ばすエフィリアだったが、その手は短く、空を切る。

 抱っこするシスティリアも今のエストには近付けないため、優しく揺らしてあやしていた。


 数秒してエストの周りの芝生が氷を纏い始めてくると、龍の眼になったエストが大きく、ゆっくりと息を吐く。



「すぅぅ……ふぅぅ……これで6割かな」



 龍から宿された魔力は、硬い殻に覆われた種に過ぎない。言わばエストの肉体は土であり、蒔かれた種をどう育てるかで魔力の強度が変わる。


 現状の種は、発芽して蕾をつける前に過ぎない。

 真価を発揮するには、更なる鍛錬と、何よりも時間が必要になる。



「今のアンタが魔術を使ったらどうなっちゃうのよ?」


なら威力は変わらない。でも──」



 エストが誰も居ない方向に指をさすと、手首からクイッと上に向けた。


 その瞬間、指先から放たれた氷龍の魔力が刹那に凍結していき、高さ10メートルを超える氷の滑り台が出来上がったのだ。



なら、とても簡単に感じる」



 魔術理論を無視した、純粋なイメージによる魔力の変質。現代では野蛮と言われることもある、魔物と同じ発動の仕方にシスティリアは目を見開いた。


 人と呼ぶにはあまりに異質な魔力の濃度。


 息苦しいほど冷たく、鋭い匂いの中に、安心するエストの匂いが全く感じられない。


 目の前に立つ人が本当にエストなのか。

 生涯を共にすると誓った男なのか。

 世界で誰よりも愛し合う人なのか。


 システィリアが最も信頼している嗅覚という感覚が、眼前の存在がエストではないと言う。



「エス……ト……なのよね?」


「うん。僕が自分を別人だと思うぐらい感覚が違うから、システィならもっと別人だと感じているんじゃないかな」


「……ええ。その通りよ」



 声はエスト。魔力は違う。しかし、誰よりもシスティリアを理解した言葉を使うことから、彼がエストなのだと脳で理解した。



「えぇぇぇん! えぇぇん!」


「エフィ? だ、大丈夫よ。ちゃんとパパだから。ビックリしちゃったのね。うんうん」



 泣き出したエフィリアをあやすも、一向に泣き止む気配がない。

 お腹が空いたのかと思うが、普段とは違う絶叫するような泣き方に、エストが魔力を戻して近付いた。


 すっと力が抜けるように本来の魔力が巡るエストの匂いは、システィリアが愛する人であり、エフィリアも泣き止んだ。



「……この子はエストの気配を敏感に捉えているわ。魔力を熾した時から、ずっと手を伸ばしてアンタを捜してた」


「そっか……ごめんねエフィ。怖かったね。不安にさせちゃったよね……許してほしい」



 頬を優しく撫でてあげると、安心した様子で笑顔になったエフィリアは、泣き疲れたのか眠たそうに瞼を閉じようとする。



「ふふっ、寝かせてくるわね。お夕飯、何がいいかしら?」


「鶏肉の煮込み料理。他はおまかせ」


「は〜い。出来上がったら呼びに来るわね」


「うん、ありがとう」



 そっと口付けを交わしてシスティリアが家に帰ると、入れ替わるようにウルティスが庭に飛び出ては、ヌーさんたちに抱きついた。


 元気という言葉が似合うウルティスだったが、ヌーさんたちは微動だにせず、エストを見守っている。



「あ〜そ〜ぼ? ヌーさん? ワンワン?」


「ウルティス、ちょっとヌーさんたち借りてるよ。遊ぶなら師匠を呼んできて、中級魔術の最適化を練習するといい」


「わかった!」



 魔術を楽しいものだと認識しているウルティスは、元気よく返事をすると家に戻り、帽子と杖を装備した魔女と共に帰ってきた。


 少し離れた位置で練習を始める2人を見て、エストは立ったまま両手を合わせると、次は炎龍の魔力を熾す。



 すると、エストの周囲の魔素が運動を始め、気温が僅かに上昇した。



「熱い……でも、まだ痛くないね」



 ただ居るだけで熱を感じさせるなど、幾ら優れた火の適性者でも無理な話だ。


 2人の視線がエストに向いた瞬間、エストの指先から青白い炎が立ち上がった。


 エストの周りを揺らす陽炎。

 どこか冷たい印象を与える炎に意識を集中させると、エストの意思に沿って炎が形を変え、1匹の狼をかたどった。


 しかし、体力が切れてしまい狼が消える。



「ふぅ……炎龍はダメだ。天空龍も痺れるし。今はまだ、氷龍だけかな?」



 恐らく魔力の熾し方が違うのだろうが、今のエストに模索する余裕はない。


 気持ちを切り替え、氷龍の魔力だけを熾すエスト。


 高い集中力が求められるこの鍛錬は、気が付けば長い時間が過ぎていき、システィリアが呼びに来た頃には日が暮れていた。


 トントンと肩を叩かれたエストは、魔力を戻して振り返る。



「どうかしら? 何か掴めた?」


「……少しだけ」



 今のエストが熾したまま戦えるのは、魔力を6割熾した状態である。それ以上は体を動かす余裕が無くなり、魔法で戦う以外の選択肢を失ってしまう。


 まだ不安が残る様子の彼に、システィリアは正面から近付き、背中に手を回した。



「大丈夫よ。アタシが居るもの。大丈夫」



 優しく、落ち着かせるように発せられた言葉は。

 討伐作戦前に習得しないと、と焦っていたエストの緊張をほぐし、強ばっていた肩から少しずつ力が抜けていく。


 エストもまたシスティリアを抱きしめ、耳元で囁いた。



「懐かしい言葉だ。僕、まだ泣いてないのに」


「なっ、なによ! アタシだって泣いてなかったわよ!」


「どうかなぁ? 顎まで冷たそうだったけど」


「も〜っ! なんでそんなに覚えてるのよ!」


「そりゃあ……システィのこと、好きだから」


「──うぅぅ!」


 その言葉に耳を立て、システィリアはぐりぐりと顔を擦り付けた。そんな彼女がたまらなく愛おしいエストも、痛くない程度に強く抱き締め返す。



「……アタシの方が好きだもん」


「可愛いね。このまま家に戻っちゃおうか」


「歩きづらいにも程があるわよ! お姫様抱っこがいいわ。ドアにぶつけないよう、気を付けてちょうだい」


「わがままシスティちゃんの仰せのままに〜」


「わがままじゃないわよ!」



 システィリアの後頭部を撫でたエストがゆっくりとお姫様抱っこをすると、嬉しそうに笑みを浮かべる彼女が見つめていた。



「ね、こっち見なさい」



 そう言って、顔を向けたエストの唇にキスをしては──



「えへへ」


「あ〜あ、もっと好きになっちゃった」



 はにかむシスティリアに、つられてエストも頬を緩めた。

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