第394話 オリジナルの術式


「お兄ちゃん、お部屋から出てこないね」


「新しい術式を組むってなると、寝食を忘れちゃうんだから仕方ないわ。ウルティス、差し入れ持って行きなさい」



 魔道具工房の部屋にエストが入ってから、実に40時間が経った。たまに用を足すために数分だけ部屋を出るも、またすぐに工房に篭ってしまう。


 食事はシスティリアが持ってきた白パンの柔らかいサンドを食べているようなので、今日はウルティスが差し入れる。


 簡単に開いたドアの先で、エストは一心不乱に魔法陣を書いては捨て、書いては捨てを繰り返し、以前に組んだ魔法陣と似ていると床の1枚を氷の糸が伸びた氷針ヒュニスで刺して机に戻し、微妙な変化を加えて書き上げる。


 お皿を片手に入ったウルティスの前には、数千枚の魔法陣が描かれた紙が床を埋めつくし、尋常ではない数のトライアンドエラーに目を丸くした。



「お兄ちゃん、ご飯」



 声をかけても反応が帰ってこず、頑張って紙を踏まないようにつま先立ちで近付いたウルティスは、そっと皿を置いた。


 するとインク塗れの手を浄化ラスミカで洗ったエストが、視線は紙に向けたまま、ウルティスの耳と耳の間に手を置いた。

 優しく左右に動かされて、耳に感じる冷たさにくすぐったそうに体を振るウルティスは、2日ぶりに声を聞く。



「ぁえ、システィじゃない」


「あたしだよ〜?」


「ウルティス、こっちにおいで」



 つま先立ちで居心地悪そうなウルティスを膝の上に乗せた。尻尾をブンブンと振る少女の頭を撫でると、エストは優しく諭すように紙面の魔法陣を解説する。



「構成要素を11に増やして、ひとつは空白ブランクにすることで術者が改良しやすくしてるんだ」



 万年筆の先でつついた円の中には、魔法文字が刻まれていなかった。ウルティスは『ぽへ〜』と言いながら聞いているが、こてんと可愛らしく首を傾げた。



「これ、他の輪っかと繋がんないよ?」


「いい所に目をつけたね。そう、だから普通の単魔法陣だと失敗するし、魔法陣詠唱で発動しても、賢い人なら驚くはずだ」


「じゃあ、失敗〜?」


「見てごらん」



 エストが顔を上げさせた先には、紙の上に浮かぶ単魔法陣が回転していた。それは紙面の物と同じ術式なのだが……空白ブランクが間に挟まっているのに、何故か破綻せずに術式を維持している。


 ウルティスが理解不能と言いたげにエストの顔を見上げると、おもむろに魔法陣自体の向きを変え、側面から魔法陣を見せた。



「……にゅ?」


「魔法陣に縫ったような痕があるでしょ? これは接合魔法陣と言って、2つの独立した術式をひとつの魔法陣にする役割を持っているんだ」



 正面から見ると単魔法陣だが、側面から覗くと僅かな凹凸が確認出来る。また、空白ブランクを境に魔法陣が逆回転しており、他の魔法陣には見られない魅力がある。


 興味深そうに見つめるウルティスが耳をぴこっと動かすと、前に出した右手の先に同様の魔法陣を展開させた。


 魔法陣を見ただけで術式を模倣することは、宮廷魔術師でも難しい。しかしウルティスは、何の気なしに再現して見せている。



「接合が甘いよ。──ほら、瓦解した」


「……むぅ」


「教えるから、ゆっくり学んでいこう」


「うん!」



 まだ温かいサンドを齧るエストに教わりながら、ウルティスは数ある魔法陣の型のうち、最も『化ける』と言われた接合魔法陣の感覚を掴んだ。


 そんなウルティスを庭に放ったエストは、昼食を作る匂いで満ちたリビングを通り抜け、ふらつく足で脱衣所に向かう。

 欠伸をしながら浴室に入ると、タタタタッと足音が聞こえ、全裸になったシスティリアが背中から手を回して抱きついた。


 背中に感じる素晴らしい感触を無表情で受け取りながら、無言のままエストは桶に貯めた湯をかぶる。


 勢い余ってシスティリアの顔面に湯が直撃すると、彼女は何も言わずに洗髪用石鹸を手に取り、エストの髪を洗い始めた。


 しかし、頭皮をマッサージするような指圧は、リンゴですら果汁の血飛沫を噴き上げる力で加えられた。



「い、痛い……あたま、割れちゃう……」


「ご飯も食べない、一緒に寝ない、ごめんなさいも言わない……悪い人は誰かしら?」


「僕です……ごめんなさい」



 咎を認めたエストが謝罪の言葉を口にすると、段々と指圧は適度な力加減で行われ、発泡草の石鹸が立てた泡に髪が覆われた。


 ざばーんと桶に貯めたをぶっかけられ、泡を流されたエストはぎこちなく振り返る。


 するとそこには、両手を広げたシスティリアが居た。



「お、怒ってる……?」


「ハグで許したげる」


「温もりを……!」



 魔術による防御も無く、最低限の魔力制御しかしていないエストには、初冬の冷水はそれなりに効いたようだ。


 反省というよりは暖を求めてシスティリアに抱きつけば、石鹸の残りでぬるりと滑る肌から体温を共有する。

 濡れた尻尾が水を飛ばし、エストの震えが落ち着く頃には2人で背中を洗い合い、湯船に浸かった。


 これから篭る時は声をかけてからにしようと胸に誓ったエストは、湯に浮かべたシスティリアの胸を凝視した。



「えっち。……でも今日はダメよ。一日悪い人だから」


「反省してるよぉ」



 そんな話をしながらシスティリアの肩に顎を置いたエストは、半分ほど意識を失いながら雑談を続けた。風呂から上がると、ソファで前後に頭を振るエストの髪を拭って乾かし、寝室まで運んだ。


 横になるとすぐに眠りについたエストだったが、中々システィリアの指を離そうとしなかった。

 どこかエフィリアに似た──むしろ彼からの遺伝を想起させながら、白い髪を撫でて安心させる。



「朝まで起きなさそうね」



 そう呟いて寝室を出たシスティリアの前に、一枚の紙を大事そうに抱えたウルティスが立っていた。

 小さな声で『寝てるわよ?』と言うも、ウルティスの用があったのはシスティリアだったらしく、『お姉さま来て』と手を引っ張った。



「珍しいわね。お姉ちゃん子になったのかしら?」



 庭に出て、エストが作ったゴブリンの形をした射的人形に、紙に書かれていた魔法陣を起こしたウルティス。



「これね、これね、お兄ちゃんが作ったの!」


「ふむむ……火槍メディク火針メニスの中間みたいな術式ね。でもこれ……逆回転してる部分は加速魔法陣みたいね。うわ、そういう…………とんでもない魔法陣ね」



 魔法文字を読んだシスティリアは、そこに書かれていた発動予定の術式と魔法陣の型を理解して、尻尾を左右にゆらゆらと振って考察する。


 一見して初級と中級の間にあるような、シンプルな魔法陣に見えるが、見た目に惑わされてはいけない。

 3つの型と11の構成要素からなる魔法陣は、宮廷魔術師ですら再現が難しいほど複雑かつ精緻に組まれている。


 ウルティスの魔法陣から、先端に針が付いたような炎の長槍が現れると、空白ブランクを起点にした逆回転する魔法陣が先に輝き、針がゴブリン人形の顔面に浅く刺さる。


 数瞬遅れて魔法陣全体が赤い光を放つと、本体の槍が針の軌跡をなぞるように飛翔する。


 弓矢よりも速く飛んだそれは、ゴブリン人形を貫通するかのように思われたが、人形の皮下5センチ程のところで槍が消滅した。



「ね! ね? すごいの! カッコイイ!」


「アンタこれ……どういう術式か理解してるの?」


「うん! 単魔ほーじんと、加速魔ほーじんを、接合魔ほーじんがくっ付けてるの! しかもね、しかもね! 槍の形をあたしの好きにできるの! お姉さま、見てて!」



 興奮した様子で再び魔法陣を出したウルティス。

 最初に出現した針の部分は変わらないが、槍の穂先が星型になっており、殺傷能力を高められていた。


 こちらは発動させずに破棄すると、次は四角形の槌のように改変して打撃に特化させたり、丸にすることで低威力で跳ねさせたりなど、高い自由度を見せつけた。



「やるじゃない! ウルティス、それを磨けば100年くらいでアタシを倒せるわよ!」


「ほんと!?」



 ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶウルティスの頭を撫で、妹分の成長に喜んだシスティリアだったが、耳をキュッと掴み、ウルティスの意識を向けさせた。



「ウルティスはその力、何のために使いたい?」


「何の……ため?」


「そうよ。意味も無く手に入れた力は、確実にアンタ自身に刃を向けるわ。いい? どんな状況でも、必ず自分が信じられる信念を持つことよ」



 悩むウルティスと目線を合わせ、優しい口調で続けた。



「エストは分かるわよね。守るためよ。アタシやウルティス、皆を悪い人や魔物から守るために魔術を使う」


「うん」


「アタシは倒すため。誰にも負けないくらい強くなって、エストを守るために強くなったわ。じゃあ、ウルティスはどうかしら?」



 幼い子どもには考えにくい話だろう。しかし、既に力を持ってしまったウルティスには、相応の責任が降りかかるのだ。


 誰に唆されようと、どれだけ自信が傷つこうと、自分が魔術を使う──戦う意志の持ち方を確立せねばならない。



「あたしは……助けたい」



 ポツリと零された言葉を、システィリアの耳は逃さない。



「どう助けたい? 誰を助けたいのかしら?」


「あたしは、あたしを助けたい。あたしが弱かったから、お母さんもお父さんも、みんな死んじゃった。それで、おっきなワイバーンさんに、食べられそうだった」



 俯いていたウルティスが顔を上げる。

 確かなルビーの輝きを放つ、赤い瞳が射抜く。



「あたしみたいな人を助けたいの。あの時のお兄ちゃんみたいに」



 を、システィリアは知らない。

 しかし、ウルティスの覚悟を決めた表情を見て、自然とエストと出会って間もない頃を思い出した。それは、オークの洞窟で死闘を繰り広げ、制したエストにお姫様抱っこされて帰った時。


 自分が強くなりたい理由。強くならねばならないと感じた瞬間が、ウルティスと同じ状況だったのだ。



「それは死ぬまで忘れちゃダメよ」


「うん! だってあたし、お兄ちゃんが大好きだもん!」


「……こらぁぁぁ!!!」


「きゃ〜!」



 そうしてこの日は、赤い狼と水色の狼の追いかけっこが2時間に渡って続いたそうな。

 争いを止めた理由は、腹を好かせた白い狼だったという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る