第395話 街道の事故
「……重い」
そんな呟きと共に目を覚ましたエストは、腹の上を見る。こんもりと盛り上がった布団を捲ると、モコモコの肌触りで人気を呼んだ、雲兎の寝間着のウルティスが寝ていた。
左を見れば、同じ材質の寝間着で、柔らかな胸にエストの左腕を抱き挟んだまま眠る、システィリアが居る。
体を起こすと、赤い狼の耳がぴょこんと跳ねた。
「……おにぃ、ちゃん?」
「おはよう。珍しいね、ウルティスが潜り込むなんて」
「おねえさま……さむそう」
その言葉に再び左を向いたエストは、掛け布団が無いために、全身でエストの腕を抱くシスティリアを見た。
しかし彼女の分の掛け布団が無いのは、ウルティスが盛り上げたせいなのだが、元凶は再びエストの腹で眠ってしまった。
システィリアが風邪を引いては惨事になるので、触れる
そっとウルティスをベッドに寝かせ、エストは庭で日課の鍛錬を始める。
「そろそろ渡りの季節かな。ヌーさんもワイバーン肉、食べたいよね」
『ヌゥ』
「まだ在庫はあるけど、見かけたら倒そうか」
上裸になって自重トレーニングをするエストは、炎龍の魔力を流すことで体から湯気が立つ。
各セットが終わり、槍剣杖を握ると、対面に出した
本人が起きてくるまでは、こうして体を動かすのだ。
「ふぅぅ……この届きそうで届かないシスティの絶妙な足運び。ほんと、戦闘経験の密度を実感するね」
強すぎる自制心ゆえか、システィリアの動きに制限をかけることなくトレースした人形は、容易くエストの防御の隙間を突き、大小様々な傷をつけた。
熱くなった体を冷ますようにリラックスしていると、起きてきたウルティスが木剣片手に庭へ飛び出し、準備体操とランニングを始めた。
もっとも、ランニングとは名ばかりの、ヌーさんたちと庭を散歩しては木の実を取って来るだけなのだが。
20分ほどして家の隣に帰って来ると、戦利品を木の実ごとのカゴに入れては、早々に素振りを始めた。
日に日に鋭くなる剣筋にエストが感嘆の息を吐いていると、殺気も無く飛来した
「ボタニグラはどうだったの?」
「まさかだよね。本当に実をつけていたよ」
「あら。じゃあ種も?」
「うん。1株だけ放置して、身が割れて種が落ちるのか、実自体を落とすのか見てみるよ」
物騒な挨拶で顔を出したシスティリアは、エフィリアを抱っこして朝の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
数日前からボタニグラに実がついたことを発見して以降、ウルティスの期待に満ちた目と、多少なりとも興味が湧いたシスティリアに、こうして毎日報告している。
ウルティスも耳聡く狼耳を跳ねさせ、剣筋はそのままにエストを真っ直ぐに見つめながら素振りしている。
水魔術で体を洗ったエストがシャツを着ると、システィリアを連れてボタニグラの畑に来た。
見上げた位置に咲いていた花は色褪せて萎んでおり、花の付け根からは人の頭ほどの丸い実をつけ、鮮やかな緑の皮には、無数のかぎ針状の毛が生えていた。
これは肌に触れると凄惨な引っ掻き傷をつけるのだが、動物や魔物などの毛皮にはよくくっ付き、ひとつだけ収穫した実でヌーさんに付けて遊んだのだ。
中々離れない実に業を煮やしたヌーさんが、全身に
その後は毛を刈ってサンプルを保存し、薄く皮を切って硬い肉を割いたところ、青臭い匂いを放ちながら、エブルブルームが撒き散らしたのと同じ種が入っていた。
慎重に取り出して数を数えたところ、ひとつの実から8つの種を採取でき、いつぞやのように指で摘んで摩擦したところ、熱で破裂した種がエストの指を砕いた。
「栽培は意外と簡単かもね。扱いに気をつければ、魔物化することなく油の原料になるよ」
「その扱いが大変なのよ。前に街で聞いたわよ? ボタニグラの種を積んだ馬車が、野営時の火で爆発した話」
「勿体ないなぁ」
「商人も馬も、跡形もなく吹き飛んだらしいわ。まぁ、この季節だから前みたいに発芽には至らないでしょうけど、その街道は土魔術師に依頼して種を除去するそうよ」
「耳が大きいね」
「それを言うなら『顔が広い』とか『耳聡い』でしょ?」
素直に間違いを認めたエストは、システィリアの耳を揉みほぐしながら手ぐしで寝癖を整えてあげた。
手を伸びしたエフィリアに指を差し出し、満足そうに微笑む娘とリビングに戻れば、アリアの用意した朝ご飯を食べながらエストが言う。
「さっきの話、レガンディの近く?」
「いいえ。2つ先の街の、アカームの南西街道よ。あそこは小さなダンジョンがあるから、もう解決してると思うけど」
「じゃあ、ウルティスを連れて見てくるよ。システィも行く?」
「アタシはスイーツの試作をするから残るわ。アンタ……せめて変装しなさいよ?」
「大丈夫。ちゃんとボロめのローブがあるよ」
賢者の登場に騒ぎが起きるのは分かっているので、周囲の人々が優しいレガンディ以外では、エストは顔や髪を隠している。
そうして、小さなワインレッドのローブを纏ったウルティスと、煤けた灰色のローブにフードを被ったエストは、昼前に出発した。
現在2人は、レガンディとアカームの間にある小規模の街、オラッジに向かう相乗り馬車に乗っている。
馬車で3日の距離らしいが、エフィリアのこともあるため、エストは3時間おきに家に転移しては、オムツ替えなどをしてまた馬車に戻っている。
他の乗客に転移がバレないために、同じローブを着た
そんなウルティスも、外の景色を眺めるのに飽きたのか、今はエストの膝に移動し、複雑奇怪な魔法陣が描かれた魔道書を一緒に読んでいる。
「今日はなにを倒すのー?」
「冒険者……というか魔術師の勉強だよ。事故で危なくなった街道を浄化する仕事を、見守りに行くんだ」
「商人さん、困ってる?」
「そうだね。これから困る人が増えないためにも、依頼が張り出されているらしい」
らしい、とは言ったが、ウルティスが着替えている間にエストはレガンディに転移し、ギルドの依頼ボードに種の除去依頼があることを確認している。
どうやら広範囲に種がばら撒かれたらしく、街道の安全のためにも、夏になる前には宮廷魔術師も受注対象に入れるとのこと。
「あたしも頑張れる?」
「それは現場次第かな。ボタニグラ相手には、ウルティスの魔術は相性が悪いから」
フード越しにウルティスの頭を撫でるエストに、斜め向かいに座っていた剣士の男が顔を上げた。
「嬢ちゃん、ちっこいのに魔術師なのか?」
「あたしー? う〜ん、魔術師なのかな?」
こてんと首を傾げるウルティスに、エストは魔道書を仕舞って男の方を見た。
「立派な魔術師だよ。君も魔術が得意なの?」
「あぁいや、見ての通りだ。最近、ウチの魔術師が怪我しちまってな。パーティに穴が空いてるもんだから、気になっちまった」
「そう。その人の適性、聞いてもいい?」
「構わんぞ。水魔術が専門の、支援魔術師だ。オークの腹を貫く
「それは凄いね。でも、どうして怪我を?」
エストは心からその魔術師を評価した。
柔らかい、不定形の印象が強い水の魔術で、Cランク相当のオークを貫くには相当な鍛錬や知識が要る。
エストも単純な興味で尋ねると、男は苦そうな顔つきで言った。
「漁夫の利を狙ったのか、盗賊みたいな連中の矢が当たっちまってな。獲物は横取りされた挙句、リーアの腰が悪くなったんだ……稼がないと、立てないまま傷が治っちまう」
「ひどい! 盗賊はダメなんだよ? ねぇ、お兄ちゃん」
「全くだね。腰のどの辺りに刺さったの?」
憤慨するウルティスに同意しながら傷の出来た場所を聞くと、どうも腰と腿の両方の骨にヒビ、ないしは骨折していることが分かった。
現在はレガンディの治癒院に入院し、骨折を癒す
「君はその人の夫?」
「お、おおお、夫じゃねぇよ!? た、ただのパーティメンバー……だ!」
分かりやすい反応に他の乗客もニヤついており、エストも自分にもそんな時期があったなぁと頷いた。
その時だった。
ウルティスの耳がピコっとフードの内側から立ち上がると、御者が叫ぶ。
「と、盗賊です! 冒険者の方は戦ってください!」
エストは続きを聞きたい心をグッと我慢し、ウルティスと共に馬車を降りた。
そこには、10人余りの盗賊が、剣や弓を握って待ち構えていた。
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