第199話 エスト・クッキング
「嘘でしょ……これも教えなきゃダメなのか」
日が暮れて各クラスが固まって野営を始めたのだが、魔術学園の生徒は野営経験が無いと言っても等しく、上等な布を使った寝袋すらまともに広げられなかった。
目を凝らして隣のクラスを見れば、そちらも大概酷く、死者が出る理由の一端を目撃した。
「まぁいっか。失敗も経験だね」
エストはひとり土魔術による立派な拠点を設営すると、台所やベッドに椅子やテーブルなど、あまりの豪華さに生徒がわらわらと集まってくる。
「先生だけズルいぞ! 俺らも泊まらせろ!」
「だったら土魔術を使える子に頼みなよ。これ、全部
至って
だが、その単純な魔術を複雑に組み合わせる技術が備わっていなければ、この拠点のように上手く建てることは出来ないだろう。
4年生に上がってから戦闘重視で鍛えていた彼らにとって、拠点を構築する
班ごとに塩漬け肉をお湯でふやかし、お世辞にも美味しいとは言えないスープを作っている中、エストは亜空間からオークを取り出した。
拠点のテーブル部分を凹ませ、そこにオークを乗せると、エストは大きな氷の包丁を手に解体していく。
流れた血は凹んだ部分に集まり、システィリアに叩き込まれた解体知識を活用し、丁寧に肉塊を切り出した。
10キログラム程度の肉塊を幾つも作ると、血を埋め立ててテーブル類を戻し、システィリアの見よう見まねで部位ごとに切り分けていく。
春のオークは越冬で余分な脂肪が落ちて切りやすく、赤身の多い歯ごたえのある肉になる。
貴重な脂が取れないことで肉屋やオークを専門に狩る冒険者には好まれにくいが、エストたちが食べる分には加工しやすいのでデメリットは無い。
今日は串焼きとハンバーグの気分だからと、一口サイズに切ってからちゃんと購入した鉄串を打ち、幾らか貯蔵している木炭に火を着けた。
そして、近くでよく燃えそうな葉っぱや木の枝を確保する。たまたま柑橘系の果実が実っていたので4つほど頂戴すると、以前露店で食べた串焼きを思い出す。
「……ん、ちょっと待てよ。シウ草を巻いた串も美味しかったな。真似してみるか」
串を打った肉に塩を揉みこみ、しれっと野営開始前に採取していたシウ草を洗い、クルクルと肉に巻き付けていく。
システィリアなら焼いている最中に特製ダレを掛けるが、レシピを知らないエストは、塩で頂くことを決意した。
だが、ハンバーグのレシピだけは貰っている。
この味は後世に残すべきとうるさいエストに、システィリアがわざわざ羊皮紙に書いた貴重なレシピだ。
その指示通りに肉を細かく刻み、買いだめしてある氷漬けの野菜を刻んでは混ぜる。
調味料も惜しまず使えば、あの味になるのだ。
炭が程よく熱されてきたので串を炭火にかけると、ハンバーグの方は火魔術で丁寧に温度を調節しながら弱火でじっくり焼いていく。
辺りを漂う美味しそうな肉の匂いは、近くで保存食を食べていた生徒の腹をこれでもかと苦しめた。
「頃合かな……よし、完成」
遂にエストの夕食が出来上がると、周囲には他クラスの生徒まで集まっており、皆物欲しそうな目で料理を見ていた。
調理中に確保した草や枝を炭火に放り投げ、通常の野営では有り得ない出来たての温かい料理をテーブルに並べると、両手を合わせて命に感謝する。
「いただきます。まずは串焼き……うん、あっさり塩味。だけどこの果実を搾れば…………ふはははっ!」
柑橘に塩と肉。合わないわけがない。
しっとりとしたシウ草の中からジュワりと肉汁が弾けると、揉みこんだ塩が肉とシウ草の調和をとりながら、もう一口と運ぶ前に柑橘を搾る。
さっぱりとした酸味の中でシウ草のほんのりとした苦味、肉の旨み、そして塩味が混ざり合い、思わず笑みがこぼれてしまう。
「ちょっとシウ草を水に浸けた方がよかったかな? この辺りはシスティが上手すぎる。ってことはハンバーグは……」
ナイフで切り分けた途端に溢れ出る肉汁。
刺したフォークから伝わる弾力の主を口に運ぶと、そこには肉の美味しさを詰め込んだ究極の幸せが訪れた。
久しぶりに家族と会った時のような、自身を受け入れてくれる懐かしさを感じさせるこの旨みは、優しい笑みを作ってくれる。
決して笑い出すような強烈な旨みではなく、じんわりと心が温まるような美味しさだ。
これがシスティリアやブロフとの食事ならば、皿に溢れた肉汁にパンを浸して食べるのだが、今日はエストひとりである。
ハンバーグを全て食べ終わった後、肉汁を手鍋に移す。そして、液体と合わせることで真価を発揮する堅パンを薄くスライスすると、旨み溢れる肉汁の泉に浸した。
じっくりと弱火で温めながら堅パンに染み込ませると、仕上げに軽く塩を振って整え、完成だ。
まるで歯茎を痛めつけるためだけに生まれたような堅パンは、肉の旨みを吸収しながら柔らかくなり、腹を満たすはずの主食はその職務を放棄する。
「はぁぁ……食べれば食べるほど食欲が湧く。街での食事も良いけど、やっぱり僕は野営食が一番好きだ……」
この言葉を聞いた全ての者が『野営食とは?』と首を傾げたのだが、そんなことは露知らず、完食したエスト。
今回使った食器は魔術で作った物ではなく本物の陶器を使用している。そのため、洗う手間があるのだが──
「うん、ちゃんと灰になってるね」
燃え残った炭を皮袋に入れると、そこら辺で拾った草が灰になっていることを確認した。
そして灰を片手で握り、宙に浮かべた
そこに今回使った食器や鍋などをくぐらせ、
使った物を全て亜空間に戻せば、エストはずっと見られていたことを思い出す。
「なに? 君たち。寝る時の見張り番は勝手に決めなよ。あと、拠点の敷地を跨がないようにね。ゴブリン程度なら即死する遅延詠唱陣を置いてるから」
そう言って
たくさんの生徒が食事に関する苦情を呈してくるが、
何を言っても無駄だと悟った生徒たちが自分たちの場所に帰ったのを見て、エストはテーブルの上にお椀を出した。
串焼きでは使い切らなかった3つの果物をよく洗ってから凍らせると、
そうしてできたシャーベットに、今ではかなりの量が貯蔵されている棒鉢の蜜をかけた。
「っ、あぁ……氷菓を手軽に作れることは、この適性で生まれて良かったと感じる瞬間だなぁ……美味しっ」
王都でこのような氷菓を食べようものなら、一杯で3000リカは余裕で消し飛ぶ。そんなデザートを手軽に作れるのだから、エストは氷魔術に深い感謝を捧げていた。
本当なら夏の癒しとして食べていたのだが、今日は気分で作ったのだ。
明日システィリアにも提供すると胸に誓えば、皮袋に入れていた炭を砕き、歯を磨いたエスト。
少し硬いベッドに横になると、隣に誰も居ないことに違和感を覚える。
「……仕方ない。偽システィで我慢しよう」
見張り番を決める生徒の声を聞きながら瞼を閉じると、久しぶりの野営に心地よい眠気が訪れる。
「おやすみ」
卓越した魔術がもたらす高水準な野営を見せつけられた生徒たちは、魔術の新たな姿に感心していた。
その領域に至るにはどれだけの鍛錬を積むことになるかは知らずとも、彼らの目標となるには充分な光景だったと、後にミリカは語る。
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