第147話 炎龍の魔力
午前5時のマース火山山頂。
青を帯びた空が静かに陽を求め、夜を西へ追いやる下でエストは目を覚ました。
「……冷たい」
手を握りながら眠るシスティリアから伝った感覚は、すぐに自分の間違いだと理解した。
「違う、僕が熱いんだ」
一晩眠り、体の熱さに少し慣れた。
しかし、体を巡る異物感と節々から溢れる魔力に、不快感が一気に増す。
体を起こし、瞼を閉じて集中する。
まるで血管の中を暴れ回るような炎龍の魔力を誘導し、正しく循環するように制御していく。
だがそう簡単に上手くはいかない。
強引に制御しようとすると、針の玉を握ったような痛みが全身を駆け抜け、思わず声が漏れてしまう。
「……ん、エスト…………だいじょうぶ?」
「う、うん……いや、かなり苦しい」
強がる余裕もなく、苦痛を告白した。
弱りきったままのエストを放置できるわけもなく、体を起こしたシスティリアが後ろから抱きしめ、体重を預けさせた。
まだまだ高い体温に、普段と違う匂い。
不安定な呼吸を繰り返す。その息は白い。
元のエストと新しいエストが争っているような感覚が、彼女の心配を膨らませる。
「ブロフは……どこ?」
「ここに居るぞ」
魔物の警戒をしていたブロフが隣に来ると、エストは早いうちに宿へ帰ろうと言う。
歩けるくらいには回復したのかと思った矢先、杖を出現させて魔術を使おうとするエスト。
「そんな体で魔術なんて使っちゃダメよ!」
「大丈夫……ダンジョンの前までなら、炎龍の魔力を頼れば行ける」
「で、でもっ」
「今グリフォンに遭遇する方が、もっと危険だよ」
もっともな意見に、説き伏せられてしまった。
大半の魔力が炎龍と同じになった今、火山の上であれば常に魔力感知が働いている。
ドラゴンの魔力を使って転移できれば、歩いて下りるよりも何十倍も安全だ。できることなら頼りたい。
しかし──
「アンタ昨日、氷魔術すら怪しかったわよ」
「……確かに。適性が炎龍に寄ったのかな」
「じゃあダメじゃない!」
これまたもっともな意見であった。
グリフォンの脅威はそのままに、転移の不安定性を考えるとどうしても前者の方が生存率が高い。
最終的な判断をブロフに任せたところ、今すぐに山を下りるということになり、エストは杖を頼りに着いて行く。
道中、何度も休憩を挟んで体調の確認をしたが、発熱以外の症状は見られなかった。
運良くグリフォンに遭遇せずに来た道を戻り、魔物が湧き出るような中腹まで戦わずに来られた。
しかしここからは戦闘が必至。
魔術師として格段に弱くなったエストだったが、氷ではなく火の魔術を使うと、新たな力にあっと驚く。
本人としては
その速度は音よりも速く、急襲するフォーゲル種の魔物を一瞬で撃墜した。
「は、はは……これが炎龍の魔力……」
「……あの魔術、見えなかったわよ」
「堕ちた鳥が灰になっている。エストが威力を間違えたとは思いにくい。やはりその熱が原因か?」
「うん……もっと練習しないと」
不安定な魔術は人を傷つける。
魔女に口酸っぱく言われた文言だ。
人を守るための魔術は、誰よりも多く、長く練習を積むことが肝心である。今のエストは、言わば包丁を持った子ども。
適切な使い方を理解しないと、大切な人を傷つけるだろう。
「行きましょ。もっと魔物が寄ってくるわよ」
朝の早くからダンジョン前は賑わっている。
マース火山の麓にあるダンジョンは現れる魔物が強く、Cランクの冒険者が10人以上のパーティを組むことも珍しくない。
その際、パーティの半数は魔術師で構成されることが多く、隊列を組んで攻撃するのだ。
そんなダンジョンの前で、4人組の男女が立っていた。
「おい、まだ来ねぇのか?」
「しょうがないニャ。レヴドの素行は全冒険者が知ってるニャ」
「最近は改善したらしいぞ。何でも、怪我をしたところをシェリス王女殿下に助けられたとか」
「……どっちにしろ直ってないなら同じでは?」
赤い髪に大きな剣が目立つ男と、短弓を背負う猫獣人の女。壁のような盾を背に、大きな体が自慢な男に立つ青い髪の少女。
少女以外はAランクの優秀な冒険者であり、その名は方方で知れ渡っている。
「ミィ、最近服が変わったな」
「知らないのかニャ? 帝国で獣人専門のブランドが生まれて、爆発的に売れてるニャよ?」
「……ガリオは世間に疎い印象は無かったが」
「お洒落とか興味なさそうですもんね」
リーダーにガッカリした様子を見せる3人に、ガリオは焦ったように言う。
「いや、知ってるからな!?」
「そんな顔で言われてもニャ〜?」
ミィに脇をつつかれ、悔しそうに歯を食いしばったガリオは、ふと目に付いた冒険者が目に付いた。
ダンジョンではなく火山から下りてきたのか、ニルマースへ続く道を歩いている3人。
小さな身長の大槌使いはドワーフだろうか。
もう1人の大人びた女は凛とした覇気を放ち、同格の剣士ということが分かる。
そして最後の少年は────
「お、おい! そこの3人、待て!」
突然大声を出したガリオは、その3人を呼び止めると全力で駆け寄った。
「何かしら? ……って、炎剣のガリオ?」
「エスト……エストだよな!? お前、生きて……あぁ良かった、良かった! 心配してたんだぞ!」
「……アンタの父親?」
特徴的な金属の杖。ミスリルの魔水晶。
白い髪に整った顔立ちの男なんて、ガリオは見間違うわけがなかった。
熱に悩まされるエストが振り返ると、そこには唯一と言っていい、敬語を使う相手がそこに居た。
「……ガリオさん? あ、あの時の3人も」
「お前……大きくなったなぁ!」
ガリオが大きく手を広げてエストを抱きしめると、まるで久しぶりに再会した家族のように喜んでいた。
続いてやって来た3人も、その魔術師の姿を見て一様に目を見開いた。
「エストっち……本当にエストっちなのかニャ!?」
「久しぶりだね、ミィ。相変わらず元気で良かった」
「無事で何よりだ」
「エスト君、対抗戦以来だね」
「ディアさんと……マリーナも。みんな冒険者を続けてたんだ」
順番に顔を合わせ、名前を呼ぶエストに驚いたのは、隣で不機嫌そうに眺めていたシスティリアだった。
エストがしっかりと名前と顔を覚える冒険者は、あのレヴド以外では見たことがない。
何があったのか聞こうと思ったが、今のエストは病人である。負担をかけるわけにはいかないのだ。
「ごめんなさいね。今のエスト、熱があるの」
「そ、そうだったのか。すまん」
「ううん、気にしないで。4人はダンジョンに?」
「ああ。レヴドが来ないから、暇してたがな」
「あの人はやめておいた方がいい。時間に余裕があるなら、数日後に僕たちと行こう」
エストまであの男を嫌っているのかという驚きと、エストの強さを知っている4人はその申し出に激震が走った。
「……よし、今日の攻略はやめておくか」
「ここでバックレたらガリオもレヴドと同じニャよ?」
「構わん。正直に言うが、レヴドとエスト、どっちと組めば生き残れるかなんて明白だ。評判より命。書き置きだけ残して、俺たちも街に戻るぞ」
「うわぁ、目がマジだニャ……!」
再会の挨拶も程々に、泊まっている宿を教え合ってから別れると、ガリオらは書き置きを残しに戻って行った。
「アンタ、凄く心配されてたわね」
「……この杖をくれたのは、あの4人だよ。僕が魔術師として戦えるのは、ガリオさんたちのおかげなんだ」
「……そうだったんだ。意外ね」
「意外?」
「炎剣のガリオ。彼は凄腕の冒険者なのよ。アタシの魔術と剣術を合わせたスタイルは彼が元なの。雲の上の存在だと思っていたから、接点があることに驚いたのよ」
「……多分、システィの方が強いよ?」
「どうかしら? 噂だと彼もワイバーンの単独討伐を成したらしいけど」
もしかしたら、システィリアより強いかもしれない。
そんな期待と好奇心に胸を膨らませ、熱で浮く頭を抑えながら、宿に帰るエストなのだった。
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