第106話 美獣人への道


「ふぅぅ……良いお湯ねぇ〜」



 2人で浴槽に入ると、貯めていたお湯が溢れ出す。

 エストの膝の上に座るシスティリアは、脱力して体重を預けた。

 湯に浸かっているとはいえ、柔らかくもしっかりとした筋肉のおかげで軽すぎるという感覚はなく、エストより少し軽い程度だった。



「ちゃんとお湯に浸かったのは久しぶりだ」


「ふふっ、アタシもあの家が最後ね」



 そういえばシスティリアも魔女の家に滞在していたと思い出し、ふと気になったことを聞く。



「……どこの部屋を使ってたの?」


「エストの部屋よ。家具も最低限しかなかったけど、逆にアンタらしくて居心地がよかったわ」


「書きかけの魔道書、見つけた?」


「ええ。大きく『既存!』って書いてあるやつとか、可愛らしい字で書いてあるのを見たわ。まぁ、字に対して書いてあることは高度なものだったけど」



 学園に入る前は試作と調査で魔術の腕を上げていたため、オリジナルの理論が既出だった、なんてことが数回あった。


 そういった魔道書は全て、使っていなかった自室の本棚に詰め込めんでいたので、彼女はそれを見つけたらしい。


 少し恥ずかしい気持ちを伝えるように、システィリアを抱きしめた。



「……意外とゴツゴツしてるのね」


「好き?」


「そうね、大好き……って、言わせないでよ! こっちは恥ずかしいのよ!?」



 からかうことを覚えたエストは、照れるシスティリアを見て笑うようになった。彼女への気持ちを理解してからというもの、システィリアが浮かべる表情の全てが愛おしい。


 もっと笑ってほしい。もっと照れてほしい。もっと喜んでほしい。安心して笑える場所が自分の隣だと言えるように、つらい修行も乗り越えてみせた。


 お風呂から上がったシスティリアが服を着ると、濡れた髪のまま部屋に戻った。



 彼女を横に向けた椅子に座らせ、ベッドに腰をかけたエストが魔術を使って髪を乾かす。髪を触らせないと豪語していたことが、遠い過去のようである。



風針フニス火球メア。やっぱりシスティの髪はサラサラだね。伸ばしてるみたいだけど、髪型とか変えるの?」


「それがね〜、髪が長いと戦うのに邪魔だし、悩んでいるのよ。エストはどう? 前みたいに肩ぐらいで切るか、ちょっと邪魔だけど長いままか。どっちが好き?」


「……せっかくだから、長い方がいい。その方が色っぽくて、僕は好き。でも……前の髪型も好きなんだよねぇ」



 髪と尻尾を同時に乾かしながら、隣にシスティリア像を創り出した。像のモデルは以前の彼女なので、髪型の参考になるのだ。


 パッと現れた像に肩を跳ねさせる彼女だったが、髪型や服装を選ぶ時に便利だと気づいた。



「こうして見ると、アタシもガキンチョね」


「僕と同い年なんだけど……」


「ま、まだまだエストも子どもなの!」


「見栄っ張りなところも可愛い。好きだよ」



 真っ直ぐに想いを伝えられて顔を真っ赤にすると、エストは尻尾の手入れを始めた。

 ようやく綺麗にできると喜ぶエストだったが、彼女は飾らない『好き』という言葉で激しく尻尾を振り始めてしまう。


 ここまで喜ばれると、毎日でも言いたくなる。


 しかし、そんなことをすればシスティリアの心が休まらないこと間違いなしなので、適度に言うことを胸に誓った。


 少し間を置いて、尻尾が落ち着いてきたら櫛で梳かす。

 髪に対して尻尾の毛はあまり伸びないようで、理由を聞いてみたところ、長くなりすぎた毛は自然と抜けていくらしい。


 新たな知識を手に入れると、鼻歌交じりに整えていく。



「うん、ふわふわ。我ながら完璧」


「すごいわ……綺麗」



 羽根のような触り心地をしつつ、激しく振ってもまとまりを保つ毛並みは先端にかけて細く整えられ、内に秘めたる筋肉を隠している。


 システィリアは背筋が伸びて立ち姿が美しいため、後ろから見ても違和感なく、それでいて象徴的な尻尾の印象を残せるのは、エストだけが為せる技である。


 ちゃんとした仕上げには花から採れたオイルで毛を守りたいが、今回はひとまず現状で満足した。


 しかし、システィリアを美しく魅せるという目的に満足していないエストは、これからも技を磨くことを決意する。



 腰をかけていたベッドに背中から倒れ込むと、大きく息を吐いて天井を見つめるエスト。



「今日は疲れちゃった。僕は少し寝るけど、システィはどうする?」


「アタシはギルドで報告してくるわ。明日からの護衛、エストも参加するでしょ?」


「……ううん。それはメルに申し訳ないよ」


「じゃあ他の班に配属してもらうのは?」


「僕が全部倒しちゃいそうだからやめとく」


「……そう。一緒に戦えると思ったのに」



 残念そうな表情をするシスティリアは、耳も尻尾も垂れ下がっていた。その表情も可愛らしいと思うエストだが、こればかりは受けられない。



「依頼が終わるのはいつ?」


「ちょうど2週間後ってところね」


「14日間か……僕も依頼でお金を稼ぐよ」


「ええ。それじゃあ行ってくるわね」


「あ、ちょっと待って」



 立ち上がったシスティリアを呼び止めると、体を起こしたエストがのそのそと正面に立った。


 すると、彼女を優しく抱きしめた。



「行ってらっしゃいのハグ」


「……ん〜ッ! そ、そんなことされたら行きたくなくなっちゃうじゃない!」


「先生が言ってたんだ。『例え帰ってくると信じていても、相手はその小さな別れを惜しむものだ。そういう時、抱きしめてやれば少しは安心できるんだぞ』って」


「何吹き込まれてんのよ! ……事実だけど」



 尻尾をブンブン振りながら言うと、体を離した時に『あっ』と惜しそうな声を漏らした。

 帰ってきたら今度はおかえりのハグをすると言った途端、花を咲かせたように笑ったシスティリアは部屋を飛び出して行った。


 ひとり残ったエストは、またベッドに倒れ込んで寝よう……と思っていたが、眠気を感じないので宿の周辺を散歩することに。


 ローブを着て靴紐をきつく締め、魔術の街へ繰り出した。




 宿を出てすぐ、馬車の通りが激しい大道を挟んだ、小さな店に足を運んだ。


 軽い木の扉を開けて中に入ると、スっと清涼感のある香りが店内を包んでおり、たくさんの杖が飾られていた。


 どうやらこの店は、魔術師のアイデンティティたる、杖を販売しているらしい。


 エストの足音を聞いて、店の奥から小走りで来た茶髪の青年が、カウンター越しに声をかけた。



「いらっしゃいませ。当店ではオーダーメイドも承っていますよ」


「オーダーメイド? 作ってくれるの?」


「はい! 握りやすさや材質にこだわることができるので、宮廷魔術師の方もよく来店されますよ」



 確かに魔術師として日々訓練するなら、握りやすさや長さなどは特注品の方が良いだろう。

 ひとりでうんうんと頷いていると、何かを閃いたように顔を明るくしたエストが、これはできるかと聞いた。



「元々ある杖の改造とかできる?」


「もちろんです」


「本当に?」


「はい」


「どんな材質でも?」


「どんな材質でも!」



 自信満々に言い切った店主に向けて、エストは亜空間から取り出したアダマンタイトの杖をカウンターに置いた。


 少し古い木をカウンターが重さで軋むと、いつかやってみたいと思っていた改造案を出す。



「先端を尖らせて槍にして。あと、持ち手の部分に凹凸をつけて握りやすく。それと、先端から……そうだね。手首から肘くらいの長さまで、刃をつけてくれる?」



 そう言った瞬間、店主の笑顔が固まった。

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