第389話 憂う狼は地を駆けた


 ──それは、エストたちが業魔の森へ転移した後のこと。


 皆この日のために様々な準備を整え、死を覚悟した顔つきで消えると、娘たちを連れたシスティリアはリビングでひとり唸っていた。



「どうしたのじゃ? お主も行きたいは分かるが……」


「なんというか、不安なのよ。う〜ん、違和感? ここ最近、エストの様子が変だったじゃない」


「そうか?」


「そうよ」



 ソファで寝転がって魔道書を読むウルティスと、エフィリアをあやす魔女。椅子から立ったり座ったりを繰り返すシスティリアは、机を指でトントンと鳴らす。


 自分で出したそのリズムに尻尾を揺らし、全身を使って違和感を探った。



「昨日の朝に起きた、夜の話になるのだけど……」


「なんじゃその意味の分からん言葉は」


「聞いてちょうだい。普段はね、エストは朝からアタシを求めたりしないの。それにアタシよりも早く目を覚ますのよ」


「はあ」


「でも昨日は頬っぺをつついても起きなくて、やっと起きたと思ったら、アタシが失神しかけるくらい抱いてくれたの」


「はあ……」


「おかしいと思わない?」


「……知らぬ」



 何ともウルティスの教育に悪い話だ。しかし、それなりに真面目に聞いていた魔女は、たったそれだけの違いが何だと言う。



「彼が全然起きない時って、死にかけた時か精霊と会っている時なの」


「む? では何じゃ、精霊に呼ばれたのか」


「それならまだいいのよ。今までも時々精霊に呼ばれてるし……問題は次」


「システィリアを激しく抱いたことか?」


「そう! なんて言ったらいいのかしら。愛情はあったのだけど、それ以上に、こう……本能じみた気配を感じたの」


「自分が死ぬかもしれぬから、ひとりでも多くの子を残そう、と?」


「ええ。いつもアタシを気遣ってくれるのに、昨日はそうじゃなかったもの。アタシは好きだからまたして欲しいけど」



 要らない情報を付け足すシスティリアだったが、確かに違和感は魔女も感じ取れた。それがシスティリアを気遣わなかった、という点だ。


 氷獄での修行中、エストからシスティリアに宛てた手紙は魔女たちも読んだが、過保護なくらいに心配する言葉が多かったと記憶している。


 結婚してからも、街を歩く時は必ず馬車が通る側をエストが歩き、システィリアが料理をする時は率先して配膳や片付けを行っていた。


 そんなエストが、彼女を無視して行為に及ぶとは思えなかった。



「精霊に何かされたんじゃないかしら?」


「エストが会うとすれば……クェル、ロェル、ヒュミュかのぅ? 怪しいとすればヒュミュじゃな」


「そう? アタシはクェル一択よ。話に聞けば、耳の無いアタシってエストは言ってたし、この美貌を使ってエストをら誑かそうとしているに決まってるもの」


「そうかのぅ? ……まぁ、無いとも言い切れぬが」



 自分で美貌と言うのはどうなのか。そうツッコミたくなった魔女だが、事実、システィリアのスタイルの良さは女性冒険者でも随一であり、獣人だけでなく、街の中でも注目を集める。


 ナンパを防ごうと何度左手を見せ、フードを持ち上げても、彼女への羨望の目線は止まないどころか、段々と強くなっていた。


 話を戻して精霊の話をすれば、魔女はおおかた倒し方でも教わったのだろうと推測する。

 システィリアを真似る程エストに気をかけるならば、件の魔物関係のはずだと言う。



「アタシは……死ぬって言われたと思うの」


「あのエストが、か?」


「だって相手は精霊を食べちゃってるのよ? 流石のエストでも、精霊だけは絶対に敵わないって理解してるわよ」


「考え過ぎじゃと思うがの」


「そんなことないわ。エルミリアさんはエストのことが心配じゃないの?」


「心配に決まっておろう! 子の心配をせぬ親などおらぬわ」


「でしょう? でもね、アタシはエストの妻よ。悪いけど、心配の度合いなら負けないわ」



 2人の視線がぶつかり、見えない火花が散る。

 しかしどうしてか、魔女も昨日のエストが変だったように感じ始めてきた。夕食の際、やけに手を止める回数が多かったのだ。


 普段ならモリモリと、それはもう山のように食べるエストが、2分に一度は食器を置いて天井を見つめていた。



「……行く、かのぅ?」


「アタシだけでいいわよ。準備してくるわ」


「わらわも、息子の命にはかえられん」



 確信を持って言うシスティリアと、揺れる魔女。ほんの数分でもエフィリアから目を離すのは危険なので、仕方なくシスティリアだけを転移することにした。


 魔女の手に握られた魔道懐中時計には、幼い笑顔を見せるエストと、変わらないアリアと魔女が居た。


 もし、ここでエストが信じた

彼女を信じなければ。

 何もせずに後悔するくらいなら、無事に帰ってきた後、エストにしこたま怒られる方がマシだ。


 軽鎧の上に白雪蚕のローブを羽織り、フードのポケットに耳を入れたシスティリアは、左腰の剣を撫でてから玄関に向かう。


 エフィリアを抱いた魔女が杖を構えると、靴紐を縛り終えたシスティリアに告げる。



「エストを……頼んだぞ」


「言われるまでもないわ」




 ──そして、この時の判断に、エストは……否、ダークロード討伐に向かった全員が命を救われることになる。

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