第388話 時は金より価値がある
目を覚ましたエストは、膝枕をされていた。
普段から味わう膝よりも小さく、顔が見えるぐらいの程々の胸。白いワンピースを着ているその人は、背景の青空よりも澄んだ青髪をしていた。
「ワタシの膝枕はよく眠れたわよね」
「……押し付けがましいな」
「うるさい。寿命を60年と伸ばしておいたんだから、感謝しなさい。接吻とかどうかしら?」
「……どういうこと? クェル」
膝枕をしていたクェルに問う。
体を起こしたエストは、久しく見ていなかった広大な青空と草原が広がる世界に、ポツンと2人だけで居た。
風も吹かない寂しい空間だが、突然白い球体が現れると、エストに声をかける前に純白の丸テーブルを出現させ、9つの椅子をセットし始めた。
それに対しクェルは、よそ見をするなと言わんばかりにエストの顔を掴むと、真っ直ぐに瞳を覗き込む。
「あなた、氷龍の魔力を使いすぎて体が殆ど死んでいたのよ。倒れた時で余命4秒ってとこかしら。流石に約束も果たせないまま死なせるほど、ワタシはあなたに厳しくないわ」
「……そっか。クェルは優しいもんね」
「バッ、バッカじゃないの!? このワタシを褒めるよりも前に、感謝の言葉が先でしょ!」
「うん。ありがとうクェル」
「お礼は接吻でのみ受け付けるわ」
「どうして?」
「……別にいいじゃない」
「ダメ。僕はシスティ以外にキスしたくない」
頬を染めてねだるクェルだったが、エストはキッパリと断った。減るものではないからいいじゃないかと言うクェルは、頬を膨らませて文字盤のような魔法陣を見せた。
「してくれないなら寿命を戻すわ!」
「約束、果たせてくれるんじゃなかったの?」
「ご〜お、よ〜ん、さ〜ん、に〜い──」
「わ、わかった、わかったから! 頬だけね」
精霊、それも時の精霊にしか出来ない脅しに屈したエストは、ひとつ大きく深呼吸をすると、彼女の両頬に優しく触れた。
顔にかかった髪を親指で払ってから顔を近づけると、クェルの右頬にキスをした。
「……ふん。ちょっとは人間を知れたわね」
「うぅ、助けてシスティ。穢されたよぉ」
「誰が穢れですって!? あなた、この精霊に向かって非礼に無礼を重ねるなんていい度胸ね!」
「冗談だよ。君には心から感謝してる」
「……ふんっ」
人間相手に心を揺さぶられたことが悔しいのか、クェルはついっと顔を背けてしまった。しかし、直ぐに正面を向き直すと、エストも振り返った。
そこには、中性的な外見の青白い髪の人間と、半透明の四角い箱に分けられた、赤・青・緑・茶の光る球体が浮かんでいた。
『ヒュミュ。顕現しろ』
ようやくロェルが声を発すると、厳しい命令口調で氷の精霊を呼び出した。
するとクェルが両手を皿のように広げ、その上に人差し指ほどの小さいクェル……に見える、氷の精霊ヒュミュが現れた。
エストからすれば、獣人の特徴を無くした幼いシスティリアと、更に小さいシスティリアが居るように見える。
『揃ったな。クェル、エスト。座りなさい』
腹に響く低い声だが、2人に対しては優しいお爺ちゃんのように語りかけた。好きな椅子に座っていいようなので適当な場所にエストが座ると、クェルがピッタリとくっ付いて左隣に座った。
そして、ヒュミュを含めた5体の精霊は椅子の上に浮遊し、最後に中性的な人……氷龍がエストの右隣に座る。
対面のロェルが何か言うよりも先に、クェルが右手を開いて前に出した。
「そこのゴミ4つは野良犬に喰われた
「名前はそのままなんだ」
「ええ。だからきっちり処分するの」
クェルが出した右手を握りしめると、四属性の精霊を囲んでいた箱が圧縮され、消滅した。
「一時的とはいえ、同属性の精霊が2匹も居るのは色々と面倒なのよ。ねぇ、ヒュミュ」
「あい! おねーたま!」
「……可愛いな」
ヒュミュは机の上に立ち、元気よく手を伸ばして答えていた。
エストが自分の前の机をトントンと叩くと、小さく走ってきたヒュミュを手に乗せ、人差し指で頭を撫で始めた。
「……盟友。そちらはヒュミュ様なんだ。あまり不躾なことは……」
「い〜よ! なでるの、じょーず!」
「ひんやりしていて気持ちいいね」
「えへへ、でしょー」
エストが冷たく感じるということは、水ならば瞬時に凍る温度なのだが……この場にそれを指摘する者が居なかった。
ゴホン、とロェルが咳払いをすると、全員の視線が集められる。
『エストよ、この度は精霊の不始末を詫びよう。戦いによって失った時間は、クェルの権能により戻しておいた』
「さっき聞いたよ。でも、お礼にキスをねだられたけど? お詫びのお礼っておかし──」
「黙りなさい。縮めるわよ」
単なるワガママだったことが正式に判明したが、エストは受け入れた。
『並びに氷龍よ。よくぞエストを導いた』
「……っ」
最高位の精霊からの賛辞に、氷龍は喉を詰まらせた。クェルやロェルからの言葉がどれほど有難いものか、エストは理解していない。
今もヒュミュを撫でて遊んでおり、隣からクェルも指を出してじゃれている。
『して、エストよ。願望はあるか?』
「家族と幸せに暮らせるならそれで」
『他には無いのか? 魔術でも何でもよいぞ』
「う〜ん、無いなぁ。あ、聞きたいことがあるんだけど、それに答えてもらうことはできる?」
『構わん』
エストは遊ぶ手を止めて、ロェルに問う。
「僕とシスティの間に、もうひとり子どもはできる?」
『可能性はある』
「答えになってない」
『仕方あるまい。他に質問は?』
「エフィリアの適性を教えて」
『娘は空間と光の適性を有しているな』
「好物はなに?」
『まだ母乳しか知らん』
「将来結婚するならどんな人?」
『まだ誰とも出会っておらん』
「パパと結婚する〜、とか言うのかな?」
『……言われるといいな』
「うん! ちょっと憧れてるんだ!」
「……何よこれ」
聞いていただけのクェルがギブアップした。
ともかく、愛娘の適性を知ったエストはそれだけで満足しており、自身に関することにロェルから何かを受け取ることはなかった。
『ヒュミュよ。これがエストという人間だ』
「あい! へん!」
「ね、変よね。珍しく意見が合うじゃない」
「おねーたまもいっしょ!?」
目を輝かせてクェルを見つめる小人。
そういえばヒュミュがクェルに憧れて世界を凍らせたことを思い出したエストは、小さいながらにも精霊自体が常識の外に居ることを理解した。
しかし、撫でる手は止まらない。
隣の氷龍はロェルの声にあてられたのか、ぐったりしている。
「氷龍、龍玉をくれてありがとう。あと魔力の熾し方も」
「……それはヒュミュ様の意向だから、お礼はそちらに」
「ありがとうヒュミュ」
「あい! ちゅっちゅ〜」
ヒュミュはエストの親指に顔を当てると、ぐぐぐっと力を溜められたクェルのデコピンが炸裂し、小さな体が吹き飛んだ。
しかし次の瞬間には再びエストの手の上に立ち、今度は恭しくスカートを持ち上げて礼をした。
「それでは、
「は……え?」
「あい! またね〜!」
同じ人物から発せられた言葉とは思えない落差に、面食らったエストはそのまま見送ってしまう。
ヒュミュが消えたのと同時に氷龍も姿を消すと、クェルが鼻で笑う音が鳴った。
「あの子も変なのよ」
「……僕より変だよ。絶対」
「そう?」
確信を持って言うエストに、クェルは人差し指を下唇に当てると、こてんと首を傾げた。
「ま、いいわ。それじゃあ起きなさい。あとは好きに人生を謳歌することね」
クェルが優しくエストの頭を撫でると、視界が暗転した。
そうして現実で目を覚ましたエストは、自宅の寝室に居た。どうやらジオが転移させたらしい。隣には、枕を涙と涎で濡らすシスティリアが眠っている。
エストはそっと手を伸ばして彼女の頭を撫でると、額にキスをしてから二度寝を始めた。
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