第387話 最古の龍



 ダークロードは、氷龍などの現存する龍を含めたいわゆる古い魔物の中でも、一際目立った能力を有する個体だった。


 特徴的なのはその外見。


 エストが以前倒した闇影狼シャドウバイトよりも、更に黒い体毛を持っている。その黒さは文字通り世界に穴が空いたように見え、距離感はもちろんのこと、攻撃の動作が一切見えないのだ。


 おぞましい速度で繰り出される右前脚による引っ掻きも、エストはすんでの所で身をよじった。


 そして他にもダークロードだけが持つ固有の能力があり、それが──



「エスト、後ろ!」



 巨狼のシルエットが消えたと思えば、エストの影から長頭を覗かせ、左のふくらはぎから鮮血が伝う。


 この転移にも似た影を伝う能力は、まさに闇の王と呼ぶにふさわしい。しかし、そんな埒外の力に思える行動も、原理が存在した。


 それが……体毛の黒さと闇魔術である。


 あまりにも黒すぎる体毛は可視光のほぼ全てを吸収し、唯一煌めいて見える涙が反射した目は、深い闇の中で怪しく光る。


 一瞬だけ幻影を見せる魔法の発動と同時、完璧に近い認識阻害ダリネアを用いて、あたかも真後ろに転移したように見せたのだ。



「ん? 澱みのせいで傷が治らないのか」



 続く影から伸びる爪を避けながら、エストは躊躇いなく脚を切り落とし、欠損回復ライキューアで復活させた。


 澱みの根源だけはある。ダークロードにつけられた傷は、体内に直接澱みが入ることで更なる苦痛を与える。


 ダークロードは自切をされると思っていなかったのか、エストの行動を見て足を止めた。


 回り込んでいたブロフが大剣を振り下ろし、狼の胸部からドス黒い鮮血が噴き出す。

 土魔術で固めていた外皮に傷がつくと、すかさずアリアが追撃を入れる。一切の無駄がない嵐のような剣技は、黒い血の花を咲かせた。


 エストも杖を振って紫電氷穿リゼルヒュークを放つと同時、ダークロードの上に、直径10メートルはあろう半透明の魔法陣が出現する。


 紫の光が貫いた瞬間、超質量の岩塊がダークロードを押し潰した。



『──小癪な鼠め!』



 怒りに震える声が轟き、澱みが強く噴き出す。

 一帯を覆うほどの澱みがダークロードの傷に集まろうとした時、ライラの風が吹き荒ぶ。


 傷口に何かしらの処置をしようとしたダークロードだったが、霧散する澱みから標的をライラに変え、影から牙を剥く。


 しかし、ジオがライラを転移させたことで空振りすると、上空に現れた100を超える紫電氷穿リゼルヒュークが降り注いだ。


 天空龍の魔力と熾された氷龍の魔力が組み込まれた魔術は、大地黒く染めた。



 流石のダークロードもその長い口からボタボタと血を垂れ流すが、再び展開された無数の魔法陣に澱みをぶつけて破壊した。




『──精霊よ……怒れ、狂え、哭き叫べ!』




 その瞬間、空気が震えた。

 地響きの中、体に触れる空気が以上に熱くなったと思えば、肌を裂き、全身にベッタリと張り付く澱み。


 ダークロードに宿る四属性の精霊が、己が権能を暴れさせた結果、小さな天変地異が起きているのだ。


 沸き立つ湯の雨が降り注ぎ、うねる大地が足を掴んでは灼熱を帯び、咄嗟にライラが聖域胎動ラシャールローテを使うも、魔力が震えているために不発に終わる。



「これ、やばいよエスト」


「大地が……泣いている」


「目が見えません!」


「おいバカ弟子! 何とかしろ! 死ぬぞ!」



 為す術なく肉体が傷つく仲間に、エストの杖先は地面に触れる。足の肉が焼ける匂いが立ち込め、瞼を持ち上げると眼球に風の刃が浴びせられる。


 失った視界。何も出来ない絶望感。徐々に弱まっていく熾した魔力。


 遠吠えのような体勢のまま動かないダークロードは、虚ろになるエストの思考を読み取り、勝利を確信した。




「……ごめん」




 それは、誰に向けた謝罪だったのか。

 痛みを感じなくなったエストは、確かに胸を刺すような感覚に言葉が漏れてしまった。


 脳裏によぎる約束の言葉。


 何も出来ずに死ぬことを、たった一口の謝罪で許してもらおうとする浅はかな心に苛立ち、噛み砕いた奥歯から血が溢れ出す。


 しかし……何も、出来ないのだ。


 仮にも属性を司る精霊が暴れている中で、人間如きが魔術を使えるわけがない。

 術式を組もうとして崩壊する魔法陣。

 捻り出した自身の魔力も、精霊の前では干渉を受けてしまい、一瞬ともたない。



 傷つき、焼けていく体に皆が絶望を抱いたその時。



 の影がエストの前を横切ると、精霊を操るダークロードの喉元を一閃する。



『──馬鹿な!』



 その白い影は凄まじい速度で再びダークロードに接近すると、銀と青の光を残すを浴びせれば、よろめいたダークロードが天変地異を止めた。



 魔力が少しずつ動かせるようになると、白いそれは凛とした声を響かせる。



聖域胎動ラシャールローテ……全く、アタシが居ないとホントダメなんだから」



 白いローブのフードには特徴的なポケットが2つ。

 フードを持ち上げ、首を振れば長い空色の髪が飛び出し、大きな狼耳を跳ねさせると、立ち竦むエストの前に来た。



「どう……して?」


「嫌な予感がしたからよ。アンタ、昨日から様子が変だったし。尻尾がチクチクするぐらい不安になったから、エルミリアさんに送ってもらったの」



 何の確証もなく、完全武装で現れたのは。


 エストの相棒にして、死ねない理由。



 白狼族の末裔……システィリアだった。



「それにしても、気味の悪い狼ね。全然姿が見えないし、カッコよくもないわ。こんなのに子孫が襲われるなんてごめんよ。やっぱりアンタの選択は正しかったわ」


『──白き……狼ッ!』



 ダークロードの敵意が瞬時にシスティリアへ移ると、お得意の影から爪が伸びるが、知っていたと言わんばかりに回避した。



「やるわよ。ちゃんと合わせなさいよね」


「……誰に……言ってんのさ!」



 杖を持ち上げたエストは、システィリアの柔軟かつ強靭な一撃の後に、ダークロードの噛み付きを氷槍ヒュディクで打ち飛ばす。


 軌道がずれた頭の下のくぐったシスティリアが土を踏みしめ、全体重を乗せた斬り上げでダークロードの喉元の肉を切り裂けば、影から伸びた爪が襲いかかる。


 しかし、直前でダークロードの上に転移させられると、空いた手に鋼よりも遥かに硬い氷の剣が握られ、その首に突き刺した。


 そして刺した剣先から相乗魔法陣の氷刃ヒュギルが展開されると、ダークロードの体内をズタズタに引き裂いていく。



 痛みによろめく巨狼から離れたシスティリアは、エストの隣に跳び退いた。



「まだ……死なないんだ」


「アンタの全力じゃないと無理ね。あの変な魔法陣よりも、もっと強い一撃で屠ってあげなさい」


「……わかった」



 エストは杖を地面に置き、全身を巡る氷龍の魔力を熾す。2割、3割と熾された魔力は濃密な気配を纏い、システィリアの尻尾がぶるりと震える。


 現状の限界である6割まで魔力を熾したエストは……気付いてしまった。



(足りない。アイツを倒すには、残りの魔力じゃ全然足りない。何か、使えるものを……!)



 魔力を熾す種を探したエストは、足元の槍剣杖が目に入った。


 正確には、その先端に取り付けられた水色の玉。

 純粋な氷龍の魔力の塊である、龍玉に。


 槍先の刃で傷をつけた左手で龍玉を持ち、傷口から氷龍の魔力を抽出する。これは内部からの生成ではない、外部からの魔力供給。


 その圧倒的な魔力の性質の違いから、同じ龍種でもなければ、肉体が魔力に耐えきれず爆散するだろう。


 そう……エスト以外は。


 氷龍の魔力を熾したままのエストは、魔力の構造自体が氷龍と同化するために、龍玉からの魔力供給に奇跡的に肉体が耐えられた。



「ぐっ……うぅ……」



 しかし負担は大きく、苦悶の声を上げたエストは体表に青白い鱗が生え、龍の眼からは透明な魔力の涙が溢れ出している。


 そして遂に魔力を完全に熾すしたエストの額には、皮膚を突き破って出た氷の角が2本伸び、龍人族の様な外見へと変わった。



『──矮小なる白き者……なぜ龍の血を』


「声が震えてるね。寒いのは苦手なのかな」



 この世で最も精霊に近く、生物としての頂きで眠る龍の力を手にしたエストは、腕を軽く振るうだけでダークロードの周囲が凍結させた。


 術式を構築するよりも格段に早い、意志による現象の行使──魔法。


 龍の中でも最強と云われる氷龍の魔法は、精霊を喰らったダークロードでさえ、恐怖に身を震わせる。



 最後の足掻きと言わんばかりにダークロードがエストの左腕に噛み付くと、あまりにも硬い鱗に牙が阻まれ、小さな穴を空ける程度だった。


 しかし、その小さな穴からエストの体内に入り込んだ澱みは、迷うことなく心臓へ────辿り着く前に、左腕が落とされた。


 そして氷で造られた龍の腕が生えると、落ちた龍玉を拾い、ダークロードを睨みつける。



『──……最古の……龍』



 そう呟き、喉元の傷口に冷たい人間の手が突き刺さる。ドクンと脈打つ音と共に、ダークロードの血を入れ替える勢いで氷龍の魔力が流れ出した。


 瞬く間に内臓、肉、そして全身が凍りついたダークロードは、エストが手を引き抜くと同時、バラバラに砕け散った。



「終わっ……た?」


「エスト、まだよ!」



 システィリアの叫びが聞こえ、ダークロードだった塊から4つの光の玉が浮かび上がる。

 それが明確な敵意を持ってエストに向かった瞬間──



「甘ぇんだよ、バカ弟子」



 眼前に現れた異空間へと繋がる魔法陣に触れ、光の玉……喰われた精霊たちが姿を消した。


 澱みの発生が消えたことを確認したエストはふらりと倒れ込み、システィリアに抱きとめられた。


 龍玉を落とし、伸びていた角が消え、氷龍の左腕も消えたことで額と腕から血が溢れ出してくると、彼女の温かい光魔術で傷が癒えていく。



「よく頑張ったわね」



 弱い息をしたまま気を失うエストの頬に、優しく唇が当てられた。

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