第386話 開戦・闇の王


「ブロフ、ライラ。来てくれてありがとう」


「役に立てるかは怪しいがな」


「魔女になるために、いっぱい勉強してきましたから! 頑張ります!」



 エストが朝食をとり終えた頃に、パーティメンバーであるブロフとライラが訪れた。

 2人はこの一週間、みっちりと狼系の魔物と戦うことで少しでも多く経験を重ねていたのだ。


 魔女を志すライラは新しい術式の構築を行い、前衛たるブロフは物理攻撃の応戦が出来るよう、研究と実践を繰り返した。


 エストを含めた3人が庭に集まると、忘れてもらっては困るとアリアがエストの背中に抱きついた。



「お姉ちゃんも頑張るよ〜」


「もちろんだよ。先生もね」


「……ああ。だが期待はするなよ」



 これで戦闘員は揃った。

 前衛2人に魔術師3人の構成は、ブロフたちの負担が大きくなるが、エストが中衛として立ち回ることでバランスをとる。


 それぞれがやることを明確に意識すると、見送りに来たシスティリアたちと、帝国兵の輸送を任された魔女がやって来た。



「師匠、今日はありがとね」


「気にするでない。しっかりと守るのじゃぞ。守るために矛を持ち、刃を研ぐのじゃ」


「エスト、ちゃんと挨拶してから行きなさい」



 頷いたエストはエフィリアを抱っこすると、自身と同じ色の髪を撫で、優しく微笑みかけた。



「……愛してるよ、エフィリア。行ってきます」


「おにいちゃん、いっちゃうの?」


「うん。僕が居ない間、ウルティスがシスティとエフィを守ってあげるんだよ」


「は〜い!」



 娘を妻に預け、純白のローブを翻す。

 背を向けたエストの顔は、恐怖も、不安も、焦りも、喜びも、高揚すら感じさせない無表情だった。


 それでいい。それがいいのだ。


 凪いだ海のような心こそ、魔術師として最高の状態である。物心がついてから自身の魔術師像を磨き続けたエストは、今が最も理想に近い。



「公国の騎士団は既に集まっている。師匠と先生は予定通りに。ブロフたち3人は、先に開拓村へ送るよ」


「待て、エストとエルミリア以外はこれを飲んでいけ」



 転移の手を止めたジオは、前衛組とライラに抗魔澱剤こうまでんざいのアンプルを渡した。しっかりと服用の確認がとれると、遂に作戦が始まる。




「やろうか。一万年の歴史を終わらせよう」




 エストの言葉で転移した。


 帝国、王国、連合国から少数の騎士が開拓村に集結すると、いよいよ万年の鎖が効力を失いつつあるのか、村の澱みが濃くなっていた。


 先に転移していたブロフたちは問題なかったが、薬を服用していない騎士たちには影響があり、早速体調不良を訴える者が居た。



「村長、これは……」


「ああ。やはり形だけで正解だった。村のことは気にするな。賢者エスト……澱みの発生源を消し去ってくれ」


「言われるまでもない」



 今回連れてきた騎士らは、少数であって精鋭ではない。

 それは万が一でもくだんの魔物が襲ってきても、精鋭だろうと瞬時に壊滅することを予期しているからだ。


 ゆえに、あくまで形だけの集合であり、各国が手を取りやすいための存在なのだ。



「これが澱みか〜。エストはよく平気だね〜」


「慣れたからね。先生はどう?」


「お前、俺を舐めてんのか?」



 あたかもジオも澱みに慣れた風を装っているが、握られた右手の中には空のアンプルが身を潜めていた。



「心配しただけ。こっちも大丈夫そうだね」



 ブロフとライラが頷くと、死屍累々たる騎士らに見送られ、一行は業魔の森を進んでいく。


 エストを先頭に、巨大な水晶がそびえ立つひらけた草地に足を踏み入れると、一段と濃い澱みにライラが顔をしかめた。


 水晶の前にぽっかりと空いた穴が、陽の光を反射して美しく輝いている。

 だが、その光に魅入られて進もうものなら、飛んで火に入る夏の虫を体現することだろう。



「あの先にダークロードが居るの〜?」


「俺たちは入れないぞ」


「大丈夫、呼び出し方はから」



 エストは改めて全員の心の準備が整ってから、亜空間より槍剣杖を取り出し、片手で握りしめては矛先を巨大水晶に向ける。


 大きく息を吐き、闇の王を叩き起す。




「時間律──《経》」




 刹那、秒針を刻む音が世界に轟く。



「……なんだ今の。時間魔術か?」


「ま〜た変な魔術覚えてる〜」


「来るよ。備えて」



 エストが数歩下がると、洞窟の壁面を構成する全ての水晶にヒビが入り、尋常ならざる気配と共に澱みが噴き出す。


 可視化される程に黒い澱みは、地上にある巨大水晶の中に吸い込まれていき、闇に染まった水晶内に4つの光が煌めいた。


 すると、耐えきれなくなった巨大水晶は内側から亀裂を走らせ、遂には砕け散ってしまった。




『──矮小なる白き魂よ。よくぞ我を解き放った。褒美に精霊の祝福をくれてやろう』




 耳ではなく、脳に直接響く重たい声。

 それはかつて水晶だった黒い何かが、体高7メートルはある巨大な狼の姿をとると、まるで空間に穴が空いたように全ての光を吸収していた。


 声には反応せずエストが杖を構えると、即座にブロフとアリアが黒い狼──ダークロードへと斬り掛かる。



「ッ! 硬い!」


「針のような毛だ。間合いが読みにくい」



 近付いただけでは分からない毛の情報を得たブロフは、エストにも聞こえる声量で言った。無言で応じたエストか上空に水色の多重魔法陣を展開すると、青白く輝いた。


 それは昔、氷龍の顎を貫いた氷のきりであり、音速を超えて射出されたソレはダークロードの黒い体に飲み込まれた。



『──龍の因子。精霊の手先だな、白き魂よ』


「……は〜、まさか魔力を解析するとはね」



 正体がバレたエストは『お相子だね』と言うが、ダークロードは闇の中でニヤリと笑う。しかし、予想とは違う結果に姿勢を低くした。



「言葉を交わしたら洗脳する術式か。そうやって精霊を取り込んだんだね」


『──多少は知恵があるようだ』



 エストに明確な殺意が向けられると、ようやく命のやり取りが始まった。

 ダークロードから濃密な澱みが解き放たれ、エストは真っ先に指示を出す。



「戦闘開始だ。ライラ、澱みを払って」


「はいっ! 風護域フリタローテ!」



 ライラが翡翠色の多重魔法陣を輝かせれば、土魔術の構成要素を転用した強力な風が辺りの澱みを吹き飛ばし、全員の体が僅かに軽くなった。


 初めて聞く詠唱に興味が湧いたエストだったが、直後、体を震わせたダークロードから針の如き毛が四方八方に飛ばされた。


 刺されば死ぬ気がしたジオは、全員の前に亜空間へ繋がる魔法陣を展開し、澱みの塊である針を亜空間に消し去った。



『──小賢しい。大地に抗えぬ塵たちよ』



 そんな声が響いた瞬間、大地が揺れて地割れが起こるが、エストの環境操作ネドゥシフトによって相殺され、ダークロードが使う土の精霊アルマインの権能が知られてしまう。



「何となくわかった。君、全部で5属性使えるね。人間なら賢者や魔女に相当するよ」


『──貴様も精霊の権能者か』


「まさか。僕は精霊を食べたりしない。君の扱いが下手なだけだよ。黒いの王?」



 煽るエストの言葉で、遂にダークロードは牙を剥く。闇の中で黒い光を纏う牙は、例え視認していなくとも恐怖を与える力を持つ。


 それに対抗するように、エストは氷龍の魔力を熾した。



『──興が乗った。喰ってやる』


「その首を落としてやる」



 古い魔物と新しい賢者。

 両者の牙が、今、喰らわんとする。

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