第390話 筋肉痛と権力者
「うにょ〜ん、うにょ〜ん、うにょ〜ん」
「あたしもやる〜! うにょ〜ん!」
庭の下草にうつ伏せになったエストが、シャクトリムシの様に腰を上げては体を伸ばし、汚れることも厭わず這っていた。
それを面白がったウルティスが真似をすると、ヌーさんたちも集まって遊び始めた。
「おいおい……アイツ、遂に壊れたか?」
「全身筋肉痛らしいわ。アタシの光魔術でも治らなかったから、相当つらいと思うのよね」
「幼児退行にも見えるね〜」
「まぁ、お日様を浴びるのは良いことよ。服が汚れるのは後で叱るけど、部屋に閉じこもらないならいいわ」
「叱るべきはチビ助の方だろ」
硬いパンを齧りながら言ったジオに、システィリアは『確かに』と頷けば、解放した窓から庭に出た。
まるで芋虫を摘むようにウルティスの腰を持ち上げると、ようやく彼女の怒りに気が付いたのか、全身を硬直させては尻尾を恐怖で逆立たせた。
しかし、隣では今も『うにょ〜ん、うにょ〜ん』とエストが這っている。
システィリアが睨みつけると、ヌーさんがエストの服を咥えて持ち上げた。
2人とも、服の前面が泥だらけである。
「お・せ・ん・た・く……するのよね?」
「「……はいぃ」」
しょんぼりした2人がその場で服を脱ぎ始めると、システィリアはウルティスを止め、替えの服を持ってくるまで動くなと言いつけた。
しかし、止められなかったエストはそのまま脱ぎ終えた。
エストの鍛え抜かれた上裸を見てか、彼女の尻尾はブンブンと振られ、ウルティスが振り返ると抱きついていた。
「こら! エストに泥が付いたじゃない! もうっ、2人でお風呂に入ってきなさい!」
「ウルティス、そろそろひとりで入りなよ?」
ウルティスも8歳である。
今更だが、男女で風呂に入るのはマズいと思ったエストが言うも──
「いや! おにいちゃん、おねえさまとはいってるもん」
ぐぅの音も出ない正論で返されてしまった。
夫婦だから〜とか、自分たちはいいの〜とか言いそうになったが、どうしてもウルティスが入りたいのならと許可を出した。
すると、なんの躊躇もなくエストの居る風呂に入っては、髪を洗えと可愛らしくねだっていた。
エストは背中も尻尾も丁寧に洗っていると、尻尾の中から何かの幼虫の死骸が出てきた。思わず自分のお尻の辺りに手を伸ばすが、尻尾が無いことを確認すると、小さく息を吐く。
念の為、驚かせないようウルティスには黙って死骸を亜空間に入れると、何事もなく朝風呂を楽しんだ。
庶民らしい濃緑に染められた麻のシャツと、動きやすい黒のズボンに着替えたエストは、秋物の服を着たウルティスと共に庭の裏手に出た。
楽をするために亜空間に入れていた汚れた服を、十数個の氷の桶にひとつずつ入れていく。
「これ、おせんたくー?」
「人は楽をするために進化したんだよ」
「しんか! あたしもしんかする!」
「いいね。ウルティスは、大きくなったら何になりたい?」
そんなありきたりな質問を投げながら桶を水で満たしたエストは、あまり泡立たないが汚れを落とし、繊維への負担が小さい
「ん〜とね、さいきょーのぼうけんしゃ!」
「最強の冒険者……なれるといいね」
「うん!」
きっとなれるであろう。
最強に可愛い冒険者に。
そんなことを考えながら準備を整えたエストは、空中で人差し指を回すと全ての桶の水が回転を始めた。
右回り……左回り……右回り……と、もみくちゃになった衣服たちは、水を濁らせて汚れを落としていた。もっとも、明確に色が変わるくらい汚れていたのは、先程2人が着ていた服だったが。
ちゃんと洗濯をしているか心配になって様子を見に来たシスティリアは、魔術で効率的に……否、楽をするエストの背後で腕を組んだ。
「……僕は悪くない!」
「まだ何も言ってないわよ」
そう言ってエストの肩を揉んだシスティリアだったが、エストはカッと目を見開くと、ウルティスに右手を伸ばした。
「くっ! ウルティス逃げるんだ! ここは僕が抑える! だから、君は……先に!」
「わー、おにーちゃーん! きゃはは!」
洗濯の罰を逃れ、ヌーさんたちを連れて森に走っていくウルティス。
寸劇をしながら倒れ込むエストだったが、どうやら相当に気持ち良かったらしく、筋肉痛の痛みから解放された喜びで倒れ込んだらしい。
ダイイングメッセージを遺すように右手の人差し指がくるくると回されると、桶の中の水が指の回転方向と連動していた。
「ほんっと、器用なことするわね」
「水を回すだけだよ?」
「20個近くも同時は無理よ」
「そうかな。等間隔に配置してるし、練習にはちょうどいいよ。システィもやってみる?」
「……そう言ってアタシに手伝わせる気ね?」
「バレてしまったなら仕方ない……ちな「ダメよ。ちゃんとお日様で乾かしなさい」
先回りしてエストの希望を打ち砕いたシスティリアは、洗い終わった洗濯物を持ち上げては膝に叩くようにして軽く水気を切り、物干し竿に掛けていく。
綺麗に目論見がバレたエストも、彼女と同様に洗濯物を掛けていくと、ふわふわと揺れる尻尾に視線が吸い込まれた。
「どこ見てるのよ」
「……地面?」
「アタシを見なさい! 全くもう、後で触ればいいじゃない。変に隠さないでちょうだい」
目敏いシスティリアには全てお見通しだった。
洗濯が終わり、ソファで寝転びながら魔道書を読むエストの前にジオが座った。どこか観察するような目で出来の良い弟子を見るが、我慢ならなくなったのか、遂に口を開く。
「お前、あの化け物を呼ぶ時に使った魔術は何だ?」
「あ〜! それウチも気になってた〜! エスト〜、あれなに〜?」
星付きが揃って疑問に思う魔術を使ったエストに、魔女やシスティリアからも視線が集められた。他言こそ禁止されていないものの、正直に答えるのは憚られる。
決戦前日の夢に、クェルから呼び出しがあったことはまだ誰にも話していないのだ。
「あ〜……実は一昨日の夜、精霊に呼ばれたんだ。そこで、まだ万年の鎖が解けないことを教えてもらって、色々と話をしてね」
「やっぱり! ほらね? エルミリアさん!」
「お〜お〜、すごいの〜」
「適当すぎるわよ!」
何故か盛り上がる2人をよそに、エストは続けた。
「あの時に使ったのは、精霊の魔法。前にも勝手に使って禁止されたんだけど、こればっかりは許してくれたんだ」
「……精霊の魔法だと?」
「人間が定めた『禁術』なんかより、よっぽど危険な魔術だよ。世界の理に干渉するから、精霊しか使うことが許されないんだってさ」
今回は精霊の尻拭い、ということで
念入りなことにクェルは時間律の発動後、エストには術式の忘却と固定を行い、二度と使えないようにした。
「先生、開拓村はどうなったの?」
「澱みが晴れて喜んでいたぞ。ゆくゆくは貿易路を通して、あの辺境伯が管理するだろ」
「そっか。そういえば別れの挨拶してないや」
「要らないぞ。その代わりに村長から伝言を預かった。『ありがとう。次訪れた時は盛大なパーティを開こう』だとよ」
「……なんだか村長らしくないね」
ジオはまだ知らない。今回の業魔の森開拓をもって、村長が一代限りの男爵位を叙爵したことを。
しかし、領地を受け取ることはせず、領域は辺境伯のままに、開拓村の管理だけを任されている。
やがて村の規模を超えた場合は市長として、辺境伯の元に就くだろう。
「そういえば先生、冒険者ギルドに怒鳴り込みたいんだけど、一緒に来てくれない?」
「お前、俺に言えば何でも思い通りになると思ってるだろ」
「うん」
「……まぁその通りだが」
魔物を間引き、人々を守るために冒険者という職業を作った本人は、自身を冒険者の身に起きながらもギルドに対し絶大な権力を有している。
初代賢者、そして冒険者ギルドの創立者という面からも、ジオが各国で偉人や英雄として扱われる。
ゆえにジオとしてはその権力を振りかざす時、相応の理由だと考えているが……。
「──産まれたての子どもを置いて、指名依頼に行かせるのは危険極まりないよ」
「アタシたちは大丈夫だったけど、配偶者への負担も大きくなるわ。せめて申請したら数年は免除した方がいいわね」
「3代目がAランクでいいの〜? 初代は三ツ星なのに〜? そこはどうなのかな〜」
現役冒険者からの切実な願いと、二ツ星からの苦情を聞いて、ジオは実に不愉快そうな表情をしながらも羊皮紙に記していく。
少し前にもエストへの指名依頼の受理禁止を言い渡したところだが、短期間で二度も行使するとは思わなかった。
「とりあえずだ。冒険者が親になった場合、5年は指名依頼を免除する権利を与える。取り消しも可能とするが、その場合再免除は2人目が生まれた時だ。これでいいか?」
「僕は賛成」
「アタシも」
「ウチも〜」
「わらわも〜」
ひとり冒険者じゃない声が混ざっているが、概ね問題ないとしてジオは続けた。
「次はエストの昇格だな。お前は全然依頼を受けねぇから、現状は破格の有能株だ。ひとまず一ツ星にするが、依頼料は二ツ星と同額にする」
賢者特典と言えば聞こえは良いが、他の冒険者から非難する声が上がりそうだ。しかし、それ以上にエストの功績を認める者が多いと思ったジオは、料金を引き上げる方向で進める。
「そこまでしてくれるんだ」
「お前がやりたいなら好きな金でやりゃあいい。だが、最低でも一ツ星の金額だぞ。一発50万からだ」
「おお〜、魔道書1冊分だ」
「ンな高ぇ魔道書買うより、美味いメシ食った方がお前に合うだろ」
「じゃあ2回受けて魔道書とご飯を買う」
強欲な考えをするエストに溜め息が吐かれるが、好きにしたらいいと、ジオは血判を押してから封蝋でとじた。
ジオの小さな魔法陣に書簡が仕舞われると、頭を掻いて転移の魔法陣を出した。
「コレを出したら帰る。世話になったな」
「ううん。僕の方こそ、手伝ってくれてありがとう」
「おう、感謝しやがれ。また気が向いたら来るが、氷獄に来るならチビ助も連れて来い。アイツは鍛え甲斐がありそうだ」
それだけを言って、ジオの姿が消えた。
ここ数週間は賑やかな生活だっただけに、少々寂しくなる。再びソファに寝転がったエストに、システィリアがマッサージを提案した。
筋肉痛が酷く、癒しを求めるエストにはちょうど良かったため、寂しさを感じる前にマッサージを楽しんだ。
もう、すっかりジオのことは忘れている。
「う〜ん、硬いわねぇ。ガチガチよ」
システィリア曰く、全身が石だとか。
首、肩から腕の先、背中、腰周りに太もも、ふくらはぎから足の先まで、ありとあらゆる筋肉が強ばっていると言う。
流石のシスティリアでも焼け石に水だと感じてしまい、2人で風呂に入ってじっくりと解すことにした。しっかりと温め、熱めの湯に付けたタオルで蒸らしながら施術をすると、エストは細く揺れた声を出していた。
交代でシスティリアにもマッサージをしたエストだが、気持ち良さから艶かしい声を上げる彼女に、氷の精神で施術を優先した。
血行が良くなり、肌のツヤも増したシスティリアは尻尾を振って喜んだ。
風呂から上がると、庭で木の実やベリーを集めたウルティスが帰ってきていた。午後のおやつはドングリから作ったクッキーを食べ、赤いベリーは紅茶に入れて楽しんだ。
現在エストは、ソファで寛ぎながらエフィリアを抱っこし、指をにぎにぎさせている。
「はぁぁ……この世の“可愛い”を集めて煮込んで干して粉末にしてお湯に溶かして飲んだ気持ちだよ」
「ただの薬湯ね」
「うん。エフィは万能薬だよ」
エストは、しばらく娘と妹に時間を捧ぐと決めた。
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