第269話 どうしてここに!?


 年が明け、旧友と集まる日がやってきた。

 陽も昇る前に家を出ようと、エストは普段通りのシャツにズボン、白雪蚕のローブを着ると、システィリアに止められた。



「もう少しちゃんとした格好は無いの?」


「無いね」


「制服も?」


「節約のために買わなかった」


「……なら仕方ないわね。でも、礼服が無いのは不便じゃないかしら?」


「僕ら、普段通りの格好で王侯貴族に会ってるし、礼儀もクソも無いよ」


「嫌な説き伏せられ方だわ。それじゃ、気をつけて行ってらっしゃい」


「行ってきます」



 システィリアにキスをしてから館を出たエスト。

 足元に出した空間転移の魔法陣を踏めば、すぐに帝都の北門から街へ入った。


 冬の帝都は浅く積もる程度の雪が降り、街の人々の雪かきを手伝いながら時間を潰すことに。


 手始めに腰が曲がった老婆に声をかけると、エストの手伝いを喜んで受け入れた。



「あらぁ、ありがとねぇ。力持ちなのねぇ」


「鍛えてるからね。屋根の雪も溶かす?」


「そんなことも出来るのかい? 頼むよ」



 エストが右手を上げると、橙色の単魔法陣が現れた。そして、魔法陣から可視化した橙色の腕が出てくると、屋根に積もった雪を溶かしながら地面へ落とした。


 雪解け水が凍って滑らないよう、水球アクアで水分を吸収すると、老婆は目を輝かせてエストの肩を撫でた。



「凄い魔術師様なのねぇ。ありがとう」


「えっへん。僕は凄い魔術師だよ」


「あらぁ、もう本当に凄いんだから。あっはっは」


「あはは。じゃあ次の人を手伝ってくる」



 エストは道向かいの道具屋へ行くと、店の前で雪かきをする店主を手伝い、そこでも同じ魔術で雪を溶かして見せた。



「すげぇな兄ちゃん! 宮廷魔術師様か?」


「それが実は、宮廷魔術師と喧嘩してさ」


「本当か!? ははっ、だったら国は惜しい人と喧嘩したな」


「おじさんの店は何を売ってるの?」


「ウチか? ウチは道具屋だが、鍛冶屋も兼ねてるからな。農具に針に、それこそ雪かき用の道具も売ってるぞ」


「じゃあせっかくだし、くわを買いたいな」



 ついでに隣の民家の雪も溶かしていると、店主は信じられないといった様子で、店内で売っていた鍬を持ってきた。



「8000リカだが……」


「はい、ちょうど。ありがとね、おじさん」


「いやいや、こっちこそ。またな!」



 新品の鍬を手に、道具屋を去るエスト。

 それからも朝早くから開店のために雪かきをする人たちを手伝っていると、瞬く間にエストの噂は広がった。



「そこの白い魔術師! 手伝ってくれ!」


「お〜い魔術師! こっちにも来てくれ!」


「兄ちゃん、後でこっちも頼む!」


「はいは〜い。全員回るから、待ってね」



 1軒ずつ回るのが面倒になったエストは、途中から複数の店舗を何軒も同時に雪を溶かし、お礼にパンや野菜に果物など、貰った籠から溢れそうになっていた。


 陽も完全に昇ってしばらくすると、冒険者たちも活動を始め、街は騒がしくなっていく。



「こんなもんかね。7時前か……公園でゆっくりしようかな。良い運動になった」



 懐かしい公園のベンチに腰を下ろす。

 朝の澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込み、氷獄に比べたら暖かいと思っていると、トサ、トサ、と足音が聞こえてきた。


 顔を右へ向けると、野良猫がエストの手元まで来ており、すぐ隣で寝転び始めた。


 そっと手を伸ばして背中を撫でてやると、ゴロゴロと気持ちよさそうに鳴く。



「ふっふっふ……ドラゴンだぞ〜!」



 一瞬だけ氷龍の魔力を纏うと、猫は飛び起きて全身の毛を逆立たせ、全速力で公園から逃げて行った。

 あまりよくない驚かせ方をしたと思っていると、偶然前を通りかかった、赤い髪の男と目が合った。


 の制服を身に纏い、背丈はエスト程で、真っ赤な瞳に宿った熱意が溢れ出ている。


 ニッと歯を見せて笑い、エストに近づいてきたのは、エストの教え子のひとり、アウスト・フォーグだった。



「先生! どうしてこんな所に居るんだよ!」


「久しぶりだね、アウスト。僕は里帰りだよ。それより君、依頼で帝国まで来たの?」


「ちげーよ! 学業優先に決まってんだろうが! 俺はこっち帝国の魔術学園に留学してんだよ。まぁ、休みの日はダンジョンにこもってるけどな!」


「そんなことが。遠くまで大変だったろうに」


「……こっちの学園長が、ペガサスの馬車で迎えに来てよぉ。あっという間だったぜ?」


「ペガサス? そういえば変な馬がウチに居たような……あれ学園長のだったんだ」


「ちょっと待て、聞きたいことが山ほどある……けどもう行かねぇと。わりぃ先生、また会えたら話すわ!」


「忙しいんだねぇ」


「今日は学園長の特別講義なんだよ! 前の席取っとかねぇとなんだ!」



 アウストはそのやんちゃそうな外見や言葉遣いから、頭よりも体を使って覚えるタイプに見えるが、その実勉強熱心な努力家である。


 学園でも積極的に質問をしていたことで、エストの記憶から抜け落ちることはないだろう。



 そうこうしているうちに時計の針が8時を指すと、エストもまた約束の時間に遅れてしまうと、学園へ向かって歩き出した。


 他にもぞろぞろと制服の学園生が門をくぐる中、ローブ姿のエストはとても目立っていた。



「久しぶりだ。確か……5年生の教室だっけ」



 前日にネルメアから貰った紙を頼りに校舎を歩いていると、その風貌を怪しむ生徒や、物珍しさに目を輝かせる生徒に見られながら、目的の教室にたどり着いた。


 在学中には見ることもなかった5年生の教室。

 他と変わらない大きなドアを開けて入ると、30人あまりの生徒から一斉に視線を浴びた。



「エ、エストくん!?」


「エストさんですの!?」


「エスト先生! どうしてここに!?」


「ん? メルにクーリア? 久しぶり。それにクオードも。……アウストはさっきぶりだね」



 教壇の前に立つと、アウストと同じく留学中のクオードと、隣の机に並んで座るメルとクーリアに手を挙げた。


 メルの反応から一気にザワつく教室の中には、数少ない友達であるユーリも居た。


 改めてネルメアの紙を見れば、『適当な席に座るように』と書いてあるので、空いている場所を探していると……──



「やぁ諸君! サプライズゲストの登場には驚いてくれたかなぁ!?」



 バンッ! と扉が開けられ、入ってきたのは学園長たる雷の魔女、ネルメア本人である。



「あ、学園長。空いてる席無いんだけど」


「君は私と同じく教壇に立て。軽く紹介したら、すぐに場所を変えるさ」



 そう言うとネルメアは教卓に手をつき、皆が静かになるのを待っていたが、エストの元クラスメイトではない生徒にとって、彼は生ける伝説だった。


 一向に静かになる気配はなく、ネルメア2回手を打つとようやく話を出来る空間になる。



「紹介しよう。彼はエスト君。この帝立魔術学園の卒業生で、なんと、たった3ヶ月で出て行った賢者だ」


「あの時は賢者じゃないけどね」


「それからまぁ、なんやかんやあって賢者になったな。また、アウスト君やクオード君の居る王立魔術学園で教鞭をとり、2人の先生だったそうだ」


「そっちも3ヶ月で辞めたけどね。教えること無くなっちゃったから」



 学園周りは3ヶ月しか活動出来ないと思える履歴だが、学生も講師も、それ以上在籍する意味が無くなっただけである。



「……とまぁ、各地で色んなことをしているエスト君だが、君達ももう卒業する5年生だ。会うのが最後になるかもしれないからな。手紙を書かせてもらった」


「よく5年も居るよ。退屈じゃない?」


「君、私の前でそれを言うのか?」


「授業がつまんないから……ねぇ? アウスト、クオード」


「おい! 俺たちを巻き込むなよ!」


「はい。エスト先生の授業を水で薄めたような内容でした」


「クオード!? お前……あぁもう! 同意見だよ!」



 5年生の授業は、元宮廷魔術師による高度な魔術理論やその実践が主である。しかし、エストのようなトレーニングも無ければ、魔術も人に向かって撃つことが無いため、2人はもの寂しさを感じていた。



「ほぉう? そうかそうか、2人とも同じ意見か……」


「が、学園長! これは違うんだ!」


「何も違わない。正直に言えば、エスト先生の教え通りに体を鍛え、ダンジョンで魔物相手に魔術の鍛錬をした方が身のためになる」


「お〜、クオードが鋭い。歩きながら魔術使えるようになった?」


「はい! 完全無詠唱はまだですが、行動中の詠唱は出来るように!」


「いいね。半年で随分成長してる。後で模擬戦する?」


「……是非」



 アウストからすれば、エストと模擬戦など死にに行くようなものである。それはクーリアも分かっているのか、ギョッとした目でクオードを見ていた。



「この学園の教育方針も、そろそろ変える時なのかもしれないな。それでは諸君、特別講義……という名のパーティをしよう! 第1演習場に移動してくれ!」


「……あの実技教室か」


「行こうぜ、先生。公園でした話の続きもしてくれよ?」



 そうしてアウストに肩を組まれ、仕方なさそうに誕生日パーティのために豪華な人たちで集まったことと、気にもとめなかったペガサスの話をした。


 ネルメアでさえ霞む、3人の魔女と二ツ星、三ツ星に祝われるという経験談は、近くで聞いていたメルたちの肝を抜いた。



 第1演習場に着く頃にはもうお腹いっぱいだというアウストだったが、貴族の社交界を思い出させる豪華な会場に、思わず乾いた笑いが漏れていた。



「さぁ、飲んで食って騒ぐといい! 模擬戦をしたければ隣の第2演習場を使いたまえ。3代目賢者と戦える機会など、もう他には無いのだからな!」



 普段の学園では絶対に起こり得ないパーティに、皆困惑しながらも最後の言葉に目を輝かせていた。


 それはエストも同じようで、5年間学園で学び続けた者の魔術がどれぐらい強く、面白いのか、知りたくなったのだ。




 ネルメアの合図で皆の手に果実水の入ったグラスが渡ると、再会を祝して乾杯をした。



 まさかこんな事になるとは思っていなかったエストに近づいたのは、茶色い髪を肘まで伸ばした、宮廷魔術師団入りが確定したメルだった。



「ねぇ、エストくん。私と模擬戦、してくれないかな?」



 今や学園最強と言われるメルが真っ先に言うと、周囲は2人に視線を集中させ、エストの返事を聞き逃さんとしていた。



「うん、いいよ。殺す気でおいで」


「……え? ほ、本気?」


「え? 模擬戦で手を抜くつもりなの? だったら断るよ。話にもならない」


「ちょっと、エストさん──」



 エストの煽るような発言に止めようとするクーリアだったが、メルが遮って縦に頷いた。



「いいよ。殺す気で行く。今の私の実力、エストくんに見せつけたい」



 昔のように、浮ついた視線は消えている。

 今のメルが宿す闘志は、エストを奪われてしまった自分の不甲斐なさと、彼に教わった魔術の楽しさを糧に燃えている。


 そんな彼女と相対するエストの瞳は──




 見る者全員に冷や汗をかかせる、龍の目をしていた。

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