第270話 失望
「しまったな。まさか全員が観に来るとは」
「先生は自身の肩書きを忘れ過ぎだ」
「賢者なんて、僕には要らないんだけどね」
遠くから聞こえるクオードの声に答えながら、ローブを抜いだエストが体を伸ばす。
模擬戦前にはこうして体をほぐさねば、大きな怪我をするかもしれない。例え治せると言えど、予防を怠ることは取り返しのつかないミスを生む。
しっかりと伸ばしたエストは、片手で槍剣杖を握った。
「その杖、前見た時と形が違うね」
「えへへ、カッコイイでしょ。仲間に改造してもらったんだ。おかげで手に馴染むし、この杖で倒せなかったのはドラゴンだけだ」
「そこに私の名前も刻んじゃおっかな〜?」
「ははっ! メルも冗談が上手くなったね!」
「……う、うん!」
煽りではなく、エストは本気である。
それは入学当時より変わらない本質だが、いざ自分がその言葉を向けられる対象になれば、相手の気持ちが嫌というほどよく分かる。
積み上げてきた経験を蹴り飛ばされるような、清々しいまでの煽りの言葉。
エストが卒業してから血反吐を吐いても続けた鍛錬も、彼に届くかどうか。
怒りは鎮める。
強い自制心は魔術師の心得だ。
メルが所属する宮廷魔術師団は皆、魔術を使う時に感情を見せない。
──エストのように。
「それじゃあ始めよう。クオード、合図を」
「はい。構え!」
その言葉でメルは、上質なトレントから造られた杖を構えた。対するエストは、だらりと脱力している。
「始めっ!」
先手はメルがとった。
完全無詠唱で10発もの
メルはその場から動かない。
しっかりとその目でエストを捉え、射殺さんと睨んでいる。
続いて50を超える
「やっぱり、魔術師同士の戦いはつまらない」
「……まだまだ手はあるよ」
「僕はね、『戦いを白熱させるな』ってアリアお姉ちゃんに教わっているんだ。なぜだと思う?」
「知らない」
「勝てる相手に戦いを長引かせて、自分が負ける道を作らないためだよ。だから、この戦いは面白くないと思う」
絶えず雨のように降り注ぐ
じりじりと近寄って来る彼を拒むように、されど膝をつかせんと魔術を放つメルだったが、瞬きをするとエストが消えていた。
そして、肩に冷たい感触が走る。
「い、いつの間に──!?」
「はい、僕の勝ち……と言いたいところだけど、流石につまらない。空間魔術は禁止しよう。どこかの三ツ星冒険者は『空間魔術は戦闘には向かない』とか言ってたけど、相手が人間なら最強の魔術だよ。ね?」
杖を引き、メルの首に赤い線を引いたエストは、次の瞬間には模擬戦を開始した位置に転移していた。
「さぁ、次は『メルの魔術』を見せてごらん? 僕は君ほど優秀な土魔術師を知らない。僕が思いつかないような、面白い魔術を作っているはずだ」
そう言ってエストが5つの土属性単魔法陣を展開すると、なんとメルはそのうちの3つを解読し、破壊してみせた。
しかし一呼吸する間もなく魔法陣の数は倍々に増えていき、あっという間に100を超える土属性の魔法陣が天井を埋めつくしていた。
「既存の魔術はもう試した。ここに無い魔術なら、僕は対応出来ない。オリジナルの術式ぐらい、もう持ってるよね?」
「……エストくん、本当に死ぬよ?」
「君はドラゴンに噛まれたことはある?」
「……ない、けど」
「目を焼くほどの炎を受け止めたことは?」
「……ない」
「そっか、残念。僕が今までに『死んだ』と思ったのは4回。2回はドラゴン、2回は魔族だ。彼らは僕の、いや、人類が想像も出来ない力をぶつけてくる。どれも運良く生き残ったけど……君は本当に僕を殺せるの?」
ケロッとした顔で放たれた煽りの言葉。
それは相手が想像出来る存在であればいいが、今しがた並べられた種族の名前は、一般人では見ることも出来ない災厄の象徴だ。
メルの頭に浮かぶドラゴンは、どれもワイバーン。その格の違いを知らぬ彼女にとって、エストが死にかけたと思うことすら出来ない。
魔族もそうだ。王都周辺を焦土にしたことは新聞で知っているが、直後にエストが大地を蘇らせたために、その悲惨さ、凄惨さを知る者は少ない。
だが、アウストとクオードは違う。
この2人は、王都に襲撃した魔族の強さを、エストの魔術越しに感じ取っていた。
「こりゃ先生の勝ちだな。メルが無謀すぎる」
「ですが、メルさんも相当に鍛錬を積まれました。一縷の望みはあるのではないでしょうか?」
「クーリア、キミは何も分かっていない。先生が今言った魔族の中に、王都を襲った魔族は入っていない。あの人は授業で語ってくれた。獣人連合ドゥレディアに現れた魔族と、先生が初めて戦った魔族との戦いを」
「ドラゴンの話は知らねぇなぁ。でも2回ってことは、最低限2種類は戦ってるんだよな?」
「……だろうな。あの人の経験は、たかが学園生と比べ物にならない。一縷の望みも無い」
「それは……過大評価、ではありませんの?」
「フッ。そう思いたいのなら好きにすればいい。結果は現実が教えてくれる」
メルが杖を構え直し、人間大はある多重魔法陣を組み始めた。
それをエストは、わざと解読せずに天井の魔法陣を消すと、何が起こるのかワクワクしながら待つことにした。
魔術師同士の戦いではまず起きないとされる、上級魔術の使用。
基本が領域系の魔術は、使ったところで効果が薄いが、今からメルが使う魔術は威力だけで上級相当である。
宮廷魔術師団に入るにあたり、オリジナルの魔術を組み上げる必要があった。そこで見せた魔術がきっかけで、彼女は在学中にも関わらず、その名前を団に刻んだ。
大きな魔法陣が高速で回転すると、静かに詠唱を待つ。
相対するエストも待っていると、その魔術は名前を呼ばれた。
「ふぅ……頑張って生きてね。──
魔法陣が輝いたその瞬間、細かいガラスの粒子がエストを包み、服や肌、眼球、そして耳や喉の中で暴れ回った。
たった数秒しか維持出来ない、必殺の魔術。
宮廷魔術師団長に『最も戦争で輝く魔術』と言われた、メルのオリジナル。
流石のエストも見たことがなく、想像も出来なかった攻撃だった。
あまりに悲惨な、非人道的な魔術にアウストとクオードも目を見開いて居ると、煌めく嵐の中から、服が細切れになったエストが出てきた。
「え…………嘘っ」
「はぁ……何この魔術。人を傷つけるための魔術にしか思えない。ガッカリだよ、メル。君はもっと、人を幸せにする魔術を見せてくれると思ってたのに」
「ど、どうし……生きて……」
服は確かに傷ついている。しかし肌は、耳は、目は、喉や内臓は、一切の傷が無い美しい状態を保っていた。
その姿にアウストたちはホッと息を吐き、メルが勝つと思っていた生徒は信じられないといった様子で口に手を当てていた。
「その程度の魔術、風魔術師には通用しない。火魔術師にも効かないね。あぁ、水も。なんなら土もそう。人を殺したいなら、一瞬で体を消滅させないと」
「どういう……」
「そのままの意味だ。君の魔術は、人を殺す魔術じゃない。人を傷つける魔術なんだ。歴史的に見れば戦争で使われる魔術だろう。くだらない。失望したよ。魔術に目を輝かせていた可愛いメルは、きっともう居ないんだね。その事実が今は、ただただ悲しい」
エストは杖の首を持ち、石突きでメルの腹を殴ると、彼女は膝をついた。嫌な魔術を見たと思いながら、クオードに顔を向ける。
「そ、そこまで! エスト先生の勝利!」
「はぁ……次は誰がやる? 出来れば人を傷つける魔術を使わないでほしい。次にこんな事をされたら、僕は本気で怒る」
「じゃあ俺だな! パン屋志望の火魔術師の貴族。今はCランクの俺だ! 先生にひと泡、吹かせてやるぜ!」
真っ先に手を挙げたのは、アウストだった。
帝国子爵の三男坊である彼は、貴族の責務も全部忘れて、最高に美味しいパンを焼くことを人生の最終目標にしている。
「……よかった。アウストなら信頼できるよ」
「だろ? 火魔術は周りにも影響出るからな。もしもの時はクオード、お前に頼むぜ」
「……その前に先生が消すだろ」
「言われてるよアウスト」
「あぁん!? じゃあ先生が消すよりも先に、お前に向かって飛ばしてやる!」
「おっ、じゃあ僕を倒してからクオードと勝負するといい。僕に勝てたら、一緒にクオードと戦ってあげる」
「マジかよ先生! っしゃ、本気で行くぜ!」
「……万が一にも有り得ない未来だろ」
男3人で盛り上がっている空気をよそに、メルはクーリアに回収されていた。
その瞳から溢れる涙は、ガラスよりも煌めく、複雑な光を放つ。
彼女の編み出した魔術は、確かに対人戦を目的とし、己が勝つのではなく相手が負けを認めることを願い、組み上げられた術式だった。
魔術に没頭した彼女は、それが悪だと考えなかった。
団長に言われた言葉も、褒め言葉だと思っていた。
クーリアや友人も、凄いと賞賛してくれた。
だが、この人だけは。エストだけは違った。
──くだらない。失望したよ。
彼女が真に認めて欲しかった人に、失望される魔術だったのだ。
土魔術では難しい硝子の生成。
それを細かく、さらに嵐のように吹き付けるイメージは、真冬の雪山で吹雪に呑まれた時に思いついたのだ。
肺を凍て刺す空気を再現した、最悪の魔術。
だが、そんな魔術も、エストが経験した氷獄の空気に比べれば優しいものだろう。
「大丈夫ですか?」
「私……どこで間違えたんだろう」
「メルさん……」
「どうしてこんな魔術、作っちゃったんだろ」
「ですが、あの魔術は無類の強さを──」
「いいの、クーリアちゃん。私が悪いの。きっとあの時、エストくんに振られて……嫉妬したんだと思う。それで、自分自身が許せなくて、傷つけたい思いがこの魔術を作ったの……ほんと、バカだなぁ、私」
力なく笑うメルが自暴自棄になっていると感じたクーリアは、必死にその背中を撫で続けた。
よく考えれば気づける話だったのだ。
それを、オリジナルだからと。
エストに並ぶ手札だと信じ切って賞賛したことが、かえって彼女を傷つける結果を招いてしまった。
演習場の入口で一連の流れを見ていたネルメアは、腕を組んで天井を見上げた。
「彼は……優しい魔術師だ。魔術を兵器となんて思っちゃいない。人を助け、生活を豊かにする道具として、学問として認識している」
ふぅっと大きく息を吐いたネルメアは、戦争の無いこの時代に相応しい賢者だと、心の底から実感する。
「今年度の魔術対抗戦、アレで無双の果てに優勝したなどと知ったら、彼は激怒するだろうな……メル君の名誉のために、言わないでおくか」
そう呟くと、ぬるりと生徒に紛れ、エスト対アウストの魔術そっちのけで繰り広げられた殴り合いの戦いに熱狂する、ネルメアであった。
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