第271話 黒い狐がつままれた
「やっぱこの人ヤベェって。俺とあんだけ殴り合った後に、走りながらクオードの魔術消してんぞ」
「あの人は昔からそうでしたわ」
「天才なんだか秀才なんだか……にしても対人戦がうめぇ。拳でさえ視線誘導してきたぞ」
アウストとクーリアが観戦するのは、ボロボロの服のままクオードの剣を捌き、走りながら魔術の攻防戦を仕掛けるエストである。
高度な技術を息をするように使う様は、ネルメアも目を輝かせながら応援していた。
「昨日の朝も、エスト君はシスティリア君と稽古をしていたな。呼吸のタイミングがズレただけで負ける、武人の頂点の戦いだった」
「学園長……エスト先生って人間なのか?」
「彼ほど人間らしい者は少ない。表面上は無欲な青年に見えるだろう? だが、その実、欲にまみれたエロ──あぢっ!」
ネルメアの鼻先でバチッと雷が弾けると、剣を全て弾きながら彼女を見つめる、無表情のエストが居た。
「まぁなんだ、エスト君とシスティリア君はびっくりするほど相性が良い。四六時中イチャついてるからな」
「あぁ……それは俺も知ってるぜ」
「私の知るエスト君は、魔術にしか興味が無い、無機物のような人間だったのだがな。良くも悪くも人らしくなって、嬉しいのやら悲しいのやら」
しかし、魔術師としてのエストは変わらない。
未知の領域を臆せず進み続ける鋼の探究心に、システィリアやライラも触発されているのだ。
おぞましい速さで打ち消される魔術の数々は、多少の改変を即座に見抜く技術があってこそ。
現状、帝立魔術学園で最も強い水魔術師のクオードを完封しているのは、その弛まぬ努力と尽きない好奇心によるものが大きい。
「終わりだね。君は体力も魔力も使い切った」
「まだ……戦える」
「ダメだよ。君はまだ、見て学ばないと。次の相手は、この中で一番強い人だからね。下がっていて」
息も絶え絶えなクオードが皆の方へ歩いて行くと、エストは演習場の隅に目を遣った。
人の気配が一切ないその空間に、エストが左手を前に突き出し、細く鋭い小さな
すると、耳と尻尾を立てた黒い狐獣人の女性が、目を丸くして歩み寄った。
「久しぶりだね、ミツキ。耳、隠さないの?」
「……うん。学園生じゃないから」
「そっか。君との再戦、楽しみにしてたんだ」
静かに位置に着くと、ミツキは腰の刀に指を這わす。
以前と違い、刀に合う体へと成長した彼女にとって、ここまでの模擬戦を目にした以上、敗北の文字は思い浮かばない。
「……動きはもう見切った。あたしが勝つ」
「僕も強くなったんだ。それに、君からまだ教えてもらってない」
「教える?」
「ユニークって言葉の意味」
その瞬間、彼女の頭に思い浮かんだのは魔術対抗戦での言葉。ミツキが言った『ユニークな人』という言葉の意味を教えてもらおうと、彼は再戦を心待ちにしていたのだ。
5年前の約束を果たそうと言うエストに、ミツキは鯉口を切る。
「本当にまだ知らないの? 獣人語、話せるよね」
「ドゥレディアでは習わなかった。正確には、べルメッカでは、かな。それに君から教えてもらうのが一番だ」
ミツキはネルメアに雇われ、各国の情報収集のために様々な地域へ渡った。
その道中、偶然王国領でエストが獣人と話しているのを見て、流暢に獣人語を使うことから言葉の意味を知っているものだと思っていた。
調べれば出るだろう言葉を、ミツキの口から聞きたいというエスト。
彼女はエストの左手の薬指を見て、冷たい息を大きく吐いた。
「……そう。じゃあ最後に聞く」
「なにかな?」
「…………あたし、綺麗?」
「うん。だけど、君にその言葉は贈れない。僕が『綺麗』と言える人は、ひとりしか居ないから」
冬の夜空のように澄んだ黒い瞳が、エストは好きだった。だがそれ以上に好きで、愛している人がもう居るのだ。
いかにミツキが綺麗でも、口には出さない。
それは最愛の人を裏切る行為であり、エストが自分自身を信じられなくなるから。
彼の覚悟を知ったミツキが、音も無く接近する。
体の周りを
それをエストは、軽々と避けた。
アウストたちとの模擬戦とは格段に早い動きで、まるで全て見切ったように。
躱されたと気づいたミツキが続いて二の太刀を振るうが、それよりも早く迫る杖先に身を逸らし、頬に赤い筋が走る。
これまで手を抜いていたのかと思うほど動きが洗練されたエストに、ミツキは真っ直ぐに目を見つめた。
そして……気づいてしまった。
「りゅ、龍眼……ッ!」
縦に割れたドラゴンの瞳。深い青のそれは、ミツキの体をぶるりと震わせ、本能的な恐怖を植え付けると共に、本気で戦うべき相手だと認識させた。
次の瞬間、更に早くなったミツキが突きを繰り出すが、エストは上へ跳躍して回避した。
これは好機と着地に合わせて再び突きの構えをとるも、本能が危険信号を出し、その場から飛び退いた。
すると、跳躍したエストは
彼女がこれまで戦ってきた人間の中で、間違いなく最強のエストに、血と混ざった汗が顎先から垂れた。
「速いね。でも、追える速度だ」
「これが……追えるの?」
「うん。だって普段、もっと速い人と戦ってるから」
ミツキの全速力よりも速いなど、まず種族から人間ではない。それが彼の妻であるシスティリアであることは想像出来るが、ミツキの認識の彼女は、速さよりも強さ……腕力の印象が強い。
しかしここで分かったのは、その速度も尋常ではないということ。
力は速さに直結する。
ミツキのように闇魔術の目くらましで瞬間移動をしたと錯覚させるのと違い、本当に物理的に瞬間移動をするのがシスティリアだった。
「……でも、まだ負けてない」
ミツキは
背後に回り込み、その背中へ一撃入れようとした瞬間──
「捕まえた」
前を見たままのエストが後ろへ腕を伸ばし、ミツキの首を握った。
模擬戦でなければ、先に死ぬのはミツキの方だ。
尻尾を垂れさせ、敗北に脱力すると首から手が離された。
「聞かせてよ。ユニークの意味」
「……まさにあなたのこと。世界にただひとりの、個性的という意味。あたしはあなたを……特別な人だと、認識していた」
「……そういう意味なんだ。ふんふん、確かに僕は世界でひとりだけだ。僕が2人も居たら、システィを取り合っちゃうからね。うん、僕はユニークだ」
エストの脳内でもうひとりのエストとシスティリアを取り合う光景が生み出されるが、ミツキはそれを一刀両断する。
「……覚えたての言葉を使う子どもみたい」
「はぁ!? 僕、大人だから! 15だよ!?」
「あたしの方が歳上。あたしの方が大人」
「くっ……確かに、そう……かもしれない」
「ふんっ。あたしの勝ち」
「はいはい凄いね、大人だね」
「……殴りたい、その顔」
「大人は先に殴らないんだよ。そんなことも知らないの?」
「うぅ……ッ! ネルメア様ッ!」
最後にはミツキの雇い主であるネルメアに判断が委ねられると、ネルメアは『エスト君の勝ちだ』といい、ミツキは逃げるように演習場から出て行った。
「あの子が感情的になるとは……流石だな」
「いやぁ、強かった。手を抜いてたら初手で負けてたよ」
「私からすれば、その力を制御するエスト君が恐ろしい。それで……満足出来たか?」
「うん! ありがとう学園長。これで学園に思い残すことは無いね」
「よく言う。元から無いだろうに」
エストが抱いていたのは、学園への思いではなくミツキとの約束だった。しかし、それが果たされた今、本当の意味で学園やその周りに対する心残りは解消された。
その後は複数人の生徒と同時に模擬戦をしたり、隣の演習場に戻って使った魔力分の食事をとったりと、旧友やアウストたちと楽しい時間を過ごしたエスト。
もうすぐ日が暮れるという時、門の前で皆に別れを告げれば、メルが一歩前に出てきた。
「その……エストくん。私……」
決断に迷うメルの言葉を、エストは遮った。
「人を笑顔にする魔術を作るんだ」
「え?」
「僕は何度だって言う。魔術を楽しんで、ってね。これはみんなにも言えることだけど、魔術は君たちが思ってる以上に面白い。人を楽しませる前に、まずは自分たちが楽しもう」
「……エストくん」
「それじゃあ、またどこかで会おう。次会う時は、面白い魔術師になってることを祈ってるよ」
あくまでヒントだけである。
メルが道に迷ったなら、進むべき道を照らすだけ。
例えどんなに険しい山道だろうとも、進むべき力は既に身につけているのだから。
最後に笑顔で別れを告げたエストは、瞬きをすれば消えていた。
あれが魔術を楽しんだ者の頂点。
目指すべき人を改めて認識したメルは、頬を両手で叩いて気合いを入れた。
「魔術を……楽しもう」
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