第398話 小さくても狼


「うん、良い香り。今度システィも誘おう」


「ぽかぽかする〜」



 ここは、アカーム冒険者ギルドから道を挟んだ位置にある、喫茶店。エストとウルティスは2人席に座り、店主おすすめだと言うジンジャーティーを楽しんでいた。


 ここでもエストはフードを目深にかぶっているが、ウルティスはローブ自体を脱いでいる。

 初めは獣人の来店にカウンターから鋭い視線が飛んできたものの、彼女の綺麗な身なりと愛らしい笑顔に、店内は優しい空気に包まれたのだ。


 ピコピコと動くウルティスの耳を見ていたエストは、視線を外へ向けると、活性化の対処のためか、道路を塞いで集まっている冒険者たちが居た。


 大きな剣を担いだギルドマスターらしき人が前に立ち、100人余りの冒険者を引き連れて北門へと進行を始めた。



 しかし、エストは優雅にカップへ口をつけた。



「お兄ちゃん、行っちゃったよ?」


「参加したい? まぁ、あの150匹で終わると思えないから、状況を見て参入する予定だけど」



 運ばれてきたファタケーキにフォークを刺し、口に運んだエストは表情を緩めた。そんなエストに倣ってケーキを食べたウルティスも、ファタの優しい甘さに満面の笑みを浮かべる。


 平和。幸福。


 そんな言葉が似合う空間に、喫茶店のマスターをしている白髪の老紳士がエストに問うた。



「冒険者の方でしたか。5年振りの活性化ということで、大盛り上がりしているようですな」


「こんな日に魔物と戦うなんて勿体ない」


「はっはっはっ、それもそうですな。明日には雪が降るでしょうし、今日ほど紅茶とケーキが似合う日は、そうないでしょう」



 エストの言葉に、うんうんと頷くマスター。

 ウルティスは天辺に飾られたファタの身を落とさないように、それでいてケーキを倒さないように全神経を注いでおり、エストも微笑ましく眺めている。



「ですが、Bランク以上なら強制出動では?」


「僕がBランク以上だと思う?」


「ええ。ローブにこそ隠れておりますが、その肉体の強さは一朝一夕で身につくものではありません。これでも私、元Aランク冒険者でしたから」



 誇るでもなく、そっと情報を出したマスターに真っ先に反応したのは、冒険者を目指すウルティスだった。



「Aランク! おじいちゃんすごい〜?」


「うん、凄いよ。Aランクと言えば街で知らない人は居ない。むしろ、国単位で貴重とされる戦力だって、ユルが言ってた」



 ユル。その名前が出た瞬間にマスターの眉がぴくりと動き、マスターはお代は不要だと言いながらもう一杯のジンジャーティーを運んできた。



「二ツ星のユルと関わりがあるので?」


「友達だよ。前に王都で絡まれてね。春に遊ぶ約束をしているんだ」



 さりげなく発せられた『遊ぶ約束』に、マスターは別人の話かと思った。しかし、エストが言った『遊ぶ約束』というのは、ラゴッドに突如現れたドラゴンの階層を攻略することである。


 軽く誘ったドラゴン討伐を、エストは『遊ぶ約束』として認識しているのだ。



「……ユル・ウィンドバレー。彼は英雄です」


「そうなの?」



 呟くように言ったマスターに、エストが問う。



「かつてフラウ公国と魔道都市ラゴッドの間にある、峡谷……『竜の谷』から溢れたワイバーンを、彼はその身一つで、5体も屠りました」


「へぇ〜」


「彼の魔術と剣術はワイバーンを堕とし、目から突いた剣は脳を砕いた……怯えて逃げるワイバーンを見て、私は思いましたよ。ああ、彼こそが英雄だと」



 懐かしそうに、そして憧れの瞳で語るマスターを横目に、エストはケーキを食べ終えてジンジャーティーを楽しんでいる。


 ウルティスもちょうど食べ終わったらしく、口の端に付いたクリームを、エストが優しく拭った。



「ワイバーンで英雄か……ユルは喜ばないだろうね」


「ほぅ?」



 訝しげな目でエストを見るマスター。

 ただ、当のエストはうんうんと頷いている。



「まぁいいや。ウルティス、そろそろ活性化の対処をしよう。剣の長さはどれくらいがいい?」


「う〜ん……おっきいの!」



 ユルの話をぶった切ったエストは、するすると膝の上に乗っていたウルティスの頭を撫で、喫茶店のドアを指さした。


 ひょいっと飛び降りたウルティスに、彼女の身長と同程度の長さの氷の大剣……バスタードソードを氷像ヒュデアで創り出した。


 鍔には可愛くデフォルメされた狼のレリーフが。

 刀身は広く分厚く、それでいて鋭い。

 内包する氷龍の魔力を見たウルティスは、目を輝かせて見つめていた。



 エストが丁寧に渡すと、嬉しそうに握りしめた。



「氷の……剣?」



 マスターの呟きを無視して、北を指すエスト。



「北門はあっちだ。門を出たら、帯状に広がる冒険者の左側、森と草原の間から溢れ出そうなウルフを倒すこと」


「はい! 他には〜?」


「3回怪我をしたら僕が行く。一度も怪我をしなかったら……ご褒美を約束しよう」



 エストは完全無詠唱で氷鎧ヒュガを掛けると、そっとウルティスの背に触れた。



「ホントに!? わかった! 行ってきます!」


「うん、行ってらっしゃい」



 重いであろう大剣を片手で持ち、ドアを開ける姿は何とも愛くるしいものだった。

 ドアが閉まる直前、はにかんだ笑顔を向けられたエストは、素直に可愛いと思ったほどだ。



「よ、よろしいのですかな? おひとりで行かせて」


「今の戦場は冒険者109人、ダンジョンから溢れ出た魔物が186体。その全部がウルフだけど、ダンジョン前の草原を覆いつつある」


「……はあ」


「西側にある草原と森の隙間は、魔術師も弓使いも足りていないのか、前衛だけで抑えている。神官が何人か居るけど、それももうすぐ崩壊する」



 エストは日に日に精度を高める魔力探知で得た情報を口にする。



「盾使いが倒れた。崩壊する……けど、うん。間に合ったね」



 エストは紅茶を含むと、ジンジャーの香りにホッと息を吐いた。





◇ ◆ ◇




 一方、喫茶店を出てすぐのウルティスは。



「やった、やった、やったー! お兄ちゃんの剣だ!」



 無邪気な笑顔を振りまきながら、メインストリートを爆走していた。

 そう、爆走である。



「な、なんだあの子……速ぇ」

「おいおい、馬車を追い抜いたぞ」

「しかもなんだあの剣……透明?」



 幾台もの馬車を追い抜き、出遅れたとばかりに走る冒険者を追い抜き、特訓の成果を遺憾無く発揮して疾走するウルティス。


 冒険者用にと開門されている北門を抜けると、真っ直ぐ伸びた道の先で、魔物の波を押しとどめる、防波堤の如き冒険者の壁が見えていた。



(指示があったのは左側。確かに人が少ない……お兄ちゃんの魔力探知、すごいなぁ)



 憧れの兄……? 兄貴分のエストに今一度深く敬愛の念を込めたウルティスは、耳をぴこっと動かしては、情報を集めながら目的地へと走る。



「くそっ、弓使い! こっちに回れ!」

「ダメだ、中央が突破されるとまずい」

「じゃあ魔術師は……ッ! ヤバい!」



 北門から見て左側の前線が、ウルフの波に耐えきれず、遂に崩壊した。──その瞬間だった。



「とぅっ! ……せい!」



 キラリと陽光を反射した線が薙ぐ。

 すると、盾使いを押し倒したウルフたちは首から上が分離し、たった一刀のもとにた3体が死の海に沈んだ。



「ごっほうっびごっほうっび、なっにっかな〜?」



 そんな歌と共に再び振るわれた透明の大剣。

 先程よりも深く土にめり込んだ足は、両手で握られた大剣に無駄なく力を流し込み、まるで水を斬ったようにウルフの体が両断される。


 突如として戦場に舞い降りた紅い天使。


 小柄な体躯に見合わぬ得物は、血に塗れた氷。


 見た目に反した、尋常ではない膂力。


 浮かべた笑みは幸福か、闘争か。


 小さな紅い狼が、無数の狼を蹂躙した。



「多いな〜? お兄ちゃんなら〜……魔じゅつゅ!」



 甘噛みしながらも、ウルティスは半円に開いた狼の陣地の中で、剣先に真紅の魔法陣を出現させた。

 多重魔法陣として現れたそれは、思わず目を引く速さで回転を始めると、ニヤリと笑って突きの構えをとる。


 そして、発動のキーワードが唱えられた。



「──回禄燼滅メデュサディア



 魔法陣が輝いた瞬間、ウルティスの前方に灼熱の波が展開された。


 白く燃える波がウルフに触れると、毛から皮、肉や骨まで灰に変えて突き進み、僅か5秒で50体ものウルフが消失した。


 しかし、炎の波が押し寄せたにも関わらず、草原や森は無傷であった。

 ……まるで何かに守れたように、煌めきを放っていたが。



「す……すげぇ」

「今の……上級魔術?」

「なんなんだよあの子ども……」



 押し寄せていたウルフが壊滅すると、ウルティスは振り返っては冒険者たちに笑顔を向けた。


 天真爛漫な、天使からの微笑み。



「あはは! たのしいねっ!」



 まるで命のやり取りを知らない、純真な笑顔。

 血を見たことが無いような、無邪気な瞳。

 同意を求めたようで、ただの感想を述べた少女に、防衛ラインの西側を担当していた冒険者は、男女問わず、見蕩れてしまった。


 そして、同じ感想を抱いた。



(可愛い……)


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