第399話 鬼王vs紅狼
「う〜ん……終わり〜?」
数十体のウルフの屍を見て、ウルティスは首を傾げる。その右手には氷の大剣が握られており、独特な威圧感を放っている。
戦っていた冒険者全員に顔を見せたウルティスは、その愛らしさと暴虐的な強さの前に、温かくも距離を置かれたまま視線を向けられている。
ダンジョンから魔物が溢れ出す気配はない。
しかし、ウルティスは喫茶店に戻らない。
何か……尻尾がチリチリとするのだ。
「お兄ちゃん、来ないのかな?」
一方、戦闘後の緩んだ空気を纏う冒険者の後方に、赤地に銀の刺繍が施されたローブを着た、大中2人の影があった。
「ふっ、あれ程の逸材が眠っておったか。見たな?」
「はい、副団長」
「しかしまぁ、あの幼さで上級魔術を扱う腕もそうじゃが……あの剣が気になる」
「透明、ですね」
銀色の杖を持ったまま呟く背の高い老人は、興味深そうにウルティスを見ている。対して16歳程度の少女は、面白くなさそうにウルティスを見ていた。
初めは水晶か何かの剣だと思っていた少女だが、魔力探知で見るとそうでは無いことが分かったのだ。
「あれは……魔術」
「うむ。それも、恐ろしく洗練されておる。恐らくは水属性魔術じゃろうが……いやはや、
「副団長でも、ですか?」
「あの少女が創った物ではないだろう。信じられん程に緻密な術式じゃ。辛うじて像魔術……じゃとは思うが、改変されすぎておる。もはや別の型として見た方が、理解出来るじゃろうな…………お?」
副団長と呼ばれた老人が見つめるのは、少女の持つ剣。その術式をひと目見ようと魔力を這わすが、まるで理解出来なかった。
だが、魔法陣は見ることが出来た。
しかし、直後にそれは『見たくなかった』と思ったのだ。
あまりにも複雑すぎる術式の数々。
本来は
──魔術の深淵。
そう称するに相応しい、恐ろしい術式だったのだ。
「副団長?」
思わず老人の顔を見上げた少女は、滝のように汗をかく姿に何事かと手を差し伸べた。
「視えぬ……違う、なんだ、これは……」
「先程からどうされたのですか?」
「お主には視えぬのか? この……揺らぎが」
「揺らぎ?」
老人の視界には、冒険者たちが宿す魔力の属性が見えていた。それぞれが持つ小さな灯火のような塊が、属性に対応した色に見えるのだ。
魔術師の中で、魔力感知に異常に長けた者が到れるという、魔力視。
帝国宮廷魔術師団の副団長、オールス・パープルは、50年の鍛錬の末に、魔力視を手にした男だ。
齢72にして、その実力は帝国ナンバー2。
事故があったという街道整備のために、優秀な団員ひとりを連れて、ここアカームに訪れていた。
午後から街道に向かおうと思っていたところ、ダンジョン活性化を聞きつけ、戦場に来たら……ウルティスが居たのだ。
そして、今。
魔力視が出来るオールスの視界には、世界がボヤけたような……恐ろしく澄んだ水の中を見ているように映っている。
「あ! 大っきいの、来た!」
幼い声が響くと、ダンジョンから大きな影が3つ現れた。
そのうち手前2つが、身長3メートルはあろう、赤い肌のオーガだった。ウルティスなんて一撃でぺしゃんこになりそうな程、大きな両腕を持っている。
問題は、最後に出て来た魔物だった。
「わ〜……油断ならない、ねっ」
思わず呑気な口調が抜けるウルティス。
それも仕方がない。
なぜなら、最後に現れたオーガは、5メートルはある体躯をしており、鎧のように硬く黒い肌と、岩を削り出したような王冠状の角を生やしていたのだ。
「オーガキング……だと?」
オーガの最上位種とも言われる、オーガキング。
王の名を冠する通り、手下のオーガを使うことはおろか、その膂力は岩塊を粉砕するという。冒険者ギルドにある報告書では、Aランク3人、Bランク8人のパーティが、ダンジョン産のオーガキングに全滅した記録がある。
また、オーガキングはその手に……
「剣士さん! あたしと一緒!」
ウルティスの持っている大剣に似た、鋼のバスタードソードを片手に握っていた。
……冒険者たちは、動けなかった。
オーガキングの放つ、圧倒的存在感の前に。
それでも辛うじて動けたのは、Bランクまで上り詰めた経験のある、ギルドマスターだった。
ここ、アカームのダンジョンは決して強い魔物が出るとは言えず、帝都近くの初心者ダンジョンの次に挑むべきとすら言われる、Dランク向けの難易度なのだ。
当然、オーガは出て来ず、今回の活性化対応に出撃した冒険者も、高くてCランクといった者が殆ど。
ウルティスの前に2体のオーガが立ちはだかると、1体が前に出た。どうやら一騎打ちを望んでいるらしい。
「オーガは強いから気を付けて、ってアリアお姉ちゃんが言ってたけど……お兄ちゃんが来ないってことは──」
戦え。
その瞬間、全力で踏み込んだウルティスはオーガの懐に潜り込む。
速度に対応出来なかったオーガは、巨木のような右腕を肘先で切り落とされた。
即座に左拳でウルティスを殴りつけるが、そこに彼女は居ない。股を抜けて背後を取ったウルティスは、大きく跳躍し、首の位置で一閃する。
「……すげぇ」
そんな声が聞こえた時には、1体目のオーガの頭が落ちていた。
そして2体目がウルティスの前に立ちはだかるが、氷の剣先には赤い魔法陣が浮遊している。
しかしその魔法陣は、誰も見たことがないもの。
後方で見ていたローブの2人が、魔法陣を食い入るように見ているが、即座に魔法陣が輝きを放った。
プスッ。
そんな音と共にオーガの額に小さな針が刺さる。
こんなものか? と言いたげなオーガだったが、次の瞬間には、頭よりも大きな極太の炎の槍が飛来し、首から上が消滅した。
「倒したよ! オーガの王さま、やろ?」
満面の笑みで剣先を向けるウルティスに、オーガキングは姿勢を低くし、肩の位置まで剣を持ち上げた。
突きの構えだ。
一歩踏み出した瞬間、突風と共にウルティスに迫ったオーガキングだったが、紙一重で躱されたことに気付いた。
間合いに潜り込まることは読んでいたのか、足元まで一気に地面を抉るように斬り下ろす。
「くっ」
そんな声が聞こえると、ウルティスの周りにキラキラとしたガラス片のような物が散る。
それは特殊な術式改変が施された、
しかし、あと2枚残っている。
一瞬、ウルティスの脳内にご褒美のことがチラついたが、そんなことを考える余裕は無いと判断し、後ろに跳び退くと大きく息を吐く。
自身の背丈はある大剣を片手で持ち、左手は自由にする。左足を前に出し、体は斜め前に向け、背筋を伸ばす。
その瞬間、戦場の空気が変わった。
まるでコンサートが始まる直前のような。
武の極地に立つ者同士が向かい合ったような。
息をするのも忘れるほど、自然に、そして美しい構え。
ウルティスが軽く腰を落としたと思えば、右へ一歩、左へ二歩、右へ二歩と進む。──恐ろしく速いスピードで。
それを目で追っていたオーガキングだが、間合いに入った瞬間、生存本能で右へと体を逸らした。
しかし、間に合わなかったようだ。
左肩から先が斬られて落ち、瞬きをする瞬間に目が合った。
首を斬られる。そう思い、首の前で剣の腹で守ると、ギャリギャリと音を立てて防ぐことに成功する。
だが、それだけでは終わらない。
オーガの中でも王の位に坐すオーガキングは、防いだままの剣から手を離し、音速を超えて拳を振るう。
「きゃっ!」
小さな悲鳴と共に紅い塊が左へ吹っ飛ぶと、木の3本を薙ぎ倒しところで勢いが止まった。
どんなに鍛えられた騎士であっても、一瞬で肉塊になるような一撃。
しかし、殴られたその場所には、またもやガラス片のような物が散っている。
「いてて……お姉さまと同じくらい速いや」
フラフラした足取りで戦場に戻ってきたウルティスを見て、息を飲んで見ていた冒険者たちからどよめきが走る。
「最後まで戦うよ。あたし、強くなるもん」
決意と共に踏み込まれたステップは、今までのどの踏み込みよりも速く、強い。揺れた尻尾が残像を残すような速度で接近するウルティスの顔には、笑みが浮かんでいた。
戦える喜び。
生きている喜び。
強くなれる喜び。
今まで戦ってきた家の人は、格上だけだった。
エストにすら満足に勝てた試しがないウルティスは、ひたすらにアリアとシスティリアに叩きのめされ、その度に立ち上がった。
ゆえに、感じていたのだ。
──まだまだ弱い、と。
もうすぐ9歳になる者が抱くには不相応な自己理解だが、それが常識を覆す、圧倒的な武を得る糧になっていた。
初めて戦う同格の相手。
いや……オーガキングの方が少し強い。
しかし、勝てると思える相手だったのだ。
そう……オーガキングの左腕が生えるまでは。
「ッ!? まだ!」
ウルティス専用魔術により、オーガキングの腹に針が刺さる。
そして放たれた槍を──剣で弾かれた。
それも、右手一本で。
同時に踏み込んで大剣を振り上げるウルティスだったが、僅かに遅かった。
岩をも粉砕する拳が小さな体を襲うと、今度は反対側の森へと吹き飛ばされた。そして、またもやガラス片が散っている。
ぽこん、と。
「お、お兄ちゃん?」
そう呼んで振り返ると、灰色のローブのフードを深く被った、愛しの兄貴分が立っていた。
その口元には笑みが浮かんでおり、耳と耳の間に落とされたチョップは、優しく撫でる手のひらへと変わっていた。
ウルティスから氷の大剣を受け取ったその男は、オーガキングの前に立ちはだかる。
「ウルティス、よく見ておいて」
そう言い切られると、オーガキングの神速の突きが放たれた。
……だが。
鋭い剣先同士が全く同じ角度でぶつかり、互いに衝撃を吸収した。男は一歩も動かなかったが、オーガキングはよろめいてしまった。
それが決着の合図となる。
悠々と近付いた男は、音もなくオーガキングの首をはね飛ばした。
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