第292話 ミツキの過去
「
夏の昼も、冬の夜も。幼いミツキは弱音を吐かずに、ただ立派な剣士になろうと兄の剣術を見て学び、竹を打ち、藁を斬っていた。
神の子になることが何を示すのか。大人でも分からないそれに想像を膨らませたミツキは、神の子になれば兄のような剣士になれるのかもしれないと、ひたむきに剣を振ったのだ。
これまでに神の子になって帰ってきた者は居ない。
言い伝えでは、仙郷にて仙人になってから帰るとあるが、その仙郷がどこにあるのかなど、誰も知らない。
そうして仙人になることが土地神の力となり、里を守るのだと伝えられている。
だが、それが嘘であることが分かったのだ。
「ミツキが奉納される
カゲンに住む全ての狐獣人をみても、黒い髪をしたのはミツキだけだったのだ。それが闇魔術への適性だと知るや、ネルメアはミツキを取り入れんと、様々な行動をとった。
遊びに魔術に大陸の話。ミツキが知らない沢山の魅力を提げたネルメアだったが、どの蜜も彼女を引くことは出来ず、時が流れていったのだ。
「ただ、あの子が外の世界に興味があったのは事実。兄より強い剣士が居るなら手合わせして欲しいと、心から願っていたのでしょう」
「じゃあ、ミツキは……」
恐らく、そのことがネルメアにバレたミツキは、『大陸には強い剣士がゴロゴロ居る』とでも言われたのだろう。
強さを追い求める彼女にとって、強者という言葉ほど甘い蜜は無く、それを提供できるネルメアという存在が輝いて見えた。
「奉納の一週間前のことです。あの女はミツキを連れて行こうとしましたが、まだ神の子になっていないと、里から出ることを拒みました」
神の子になればもっと強くなれる。
大陸に居るであろう猛者の度肝を抜いてやろうと燃えていたミツキを見て、ネルメアは神の子が何なのかを探ったのだ。
そして、今までに奉納されてきた子どもが死んでいる、もしくは殺されていることを知り、ネルメアはその風習から逃げようとした。
「でもあの女はそれを無視してミツキを連れ去った……神の子になるはずだったあの子が消えたせいで、神主が言ったのです。『土地神様がお怒りです。今年は10人捧げなければならない』と」
年に一度の奉納を無視したことを土地神は相当に怒ったらしく、カゲンの上空を雷雲が覆い、大雨が降り、魔物が何体も現れたという。
その年はミツキ含め11人の子どもがカゲンを去り、なんとか平穏が帰ってきた。
「もう…………土地神様を怒らせてはならないのです……」
黄土色の耳を垂れさせて言う彼女に、全ては風習が……土地神が理由だと感じたエストとブロフ。
しばらく話していると陽が山に隠れようとしており、一度集合することを伝えると、2人の子どもに手を振って出た。
「これは大変な問題かもね」
「本質を見失うな。腕を治すことが最優先だ」
「そうだけど……子どもが消えているのは看過できないよ。10歳って、ちょうど成人の歳だし」
「帝国や王国ではな」
丘の上に生える1本の木の元に行くと、不機嫌そうなシスティリアと、それを宥めるライラとエイダが立っていた。
エストらが来たのを見て、システィリアはエストに抱きつき、頭をぐりぐりと押し付けて気を晴らす。
「お疲れさま。3人の方はどうだったの?」
「その……男性の方に話しかけたんですけど、システィリアさんが延々と口説かれてまして……」
「既婚者だっつってんのにしつこいもんで、あんたへの愛を叫びながらぶん殴ったんだ」
尻尾の毛を逆立たせ、ピンと立った耳を撫でればゆっくりとほぐれていくシスティリア。災難な目に遭ったねと、エストは深く聞こうとせずにただ彼女の頭と背中を撫でた。
少し元気が戻ったのか、少しずつ頭を上げる彼女の耳元で囁く。
「僕だけを愛してくれてありがとう。僕もシスティだけを愛してる。君の行動は間違ってないよ」
ピクピクっと動く耳を見て、エストは続けた。
「システィが綺麗だからね。可愛い女の子だけど、大人の色気もあって、ふわふわの耳と尻尾が魅力的なんだ。それもこれも、システィが真っ直ぐな性格の、気高い狼だからだよ」
「あ、あぅ、あぅあぅあぅぅぅ……」
「あはは、子犬みたいになっちゃった」
顔を真っ赤にしたシスティリアが顎を震わせるように声を出すと、先程までの落ち込んだ気分は晴れたのか、エストの胸に顔をうずめて他人に見えないようにした。
「さ、さすが旦那だな」
「一瞬でしたね……」
「エストはお嬢と共に行動しろ。戦力的には苦しいが、それ以上に面倒事が多い」
「うん、そうさせてもらうね。ごめんねシスティ、そばを離れちゃって。もう一緒だから」
「…………うんっ」
頬を赤く染め、嬉しそうに頬を緩めて頷くシスティリアに、エストは鼓動を早めながら表情には出さないように抱き締めた。
「えへへ……ドキドキしてる」
「は!? その顔でドキドキしてんのか!?」
「エストさんって本当にお顔に出ないですよね……!」
表情と感情が見えないエストに、エイダが信じられないといった顔で言う。
その影でエストの心音を楽しむシスティリアは、ゆらりゆらりと尻尾を振っていた。
「さて、どうしようか。宿があるとは思えないし、拠点……建てる?」
「エストとお嬢はさっきの所で良いだろう。オレたちはここでいい」
「本当に? でも、5人は多いもんね……」
2人だけ泊めてもらうことに罪悪感を覚えたエストだったが、ひとりの老いた狐獣人が丘を登って来ていることに気がついた。
杖をつき、曲がった背中でとぼとぼと歩く老人に近付くと、深緑の目が合った。
その瞬間、エストは2歩下がって槍剣杖を取り出すと、老人に向けて槍先を向けた。
「おいおい、何やってんだ!?」
「エストさん!?」
攻撃の構えをとったエストに疑問の声が出ると、老人は──
「カッカッカ! よそ者が来たとは思うたがぁ、随分と手練のようじゃのぅ? そこな白狼と共に在ろうが、このカゲンの里に何用じゃ?」
「勝手に来た身だけど、君は誰かな?」
槍先を向けたまま問う。
「ワシはゲンゾウ。里長じゃ」
「僕はエスト。魔術師だよ」
「ハッ、魔術師が槍を扱うか。面白い」
そう言うと、カゲンの里長であるゲンゾウは杖をつき直し、その大きく垂れた赤黒い耳を撫でると、大きく頷いた。
「そこな3人はワシの家に泊めてやる。術師はサツキんとこぉ泊めてもらえ」
「サツキ?」
「昼間ぁ居ったじゃろい。キサラギとフブキぃ言う、可愛ええ子に会ったじゃろ」
「……名前聞いてなかった。うん、会ったよ」
「ワシの家はすぐそこの、
そう言うと、特にエストたちについて聞くともなく、ブロフらを家に招こうとするゲンゾウ。その行動に裏が無いとも思えないが、ブロフは縦に頷いた。
「甘えよう。ゲンゾウ殿、世話になる」
「気にすんなぁ。話は後で聞くからのぉ」
明日の昼間に里長の家に行くと伝えると、エストとシスティリアの2人は、ミツキの伯母であるサツキの元へ行った。
里長に言われたと伝えると快く了承してもらい、システィリアとの関係を話せば、昼間より格段に対応が柔らかくなっていた。
人間の街では獣人が珍しい存在だが、獣人の街ではその逆になる。
狐獣人しか居ないカゲンの里では、獣人と結婚したならと、エストを迎え入れやすかったようだ。
「ご飯が楽しみだな〜」
「ぼくもー!」
「きさらぎもー!」
「アタシはサツキさんを手伝ってくるから、2人のことお願いね」
「は〜い」
可愛らしい2人の子どもと一緒に、初めてのカゲン料理を待つエストであった。
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