第293話 ガキンチョ精神極まれり
「おきろー! あさだぞー! ……あれ?」
「……いない?」
朝、客人であるエストらを起こそうと襖を勢いよく開けたフブキとキサラギは、布団が綺麗に畳まれた状態の部屋を見て、揃って首を傾げた。
「ん……おにーちゃ、外からなにかきこえる」
「いこっ。キサラギ、帯ちゃんとしめて」
「は〜い!」
小袖の帯が中々締まらないキサラギを見て、フブキは何も言わずに締めてやると、小さなお礼と共に外へと駆け出した。
まだ朝日が山に隠れ、空だけが明るい早朝。
いつもの時間に起きた2人は、家から少し離れた草地の上で、訓練と呼ぶには生ぬるい、血が流れる打ち合いを始めていた。
火花が散った瞬間にシスティリアの氷の剣が眼前に突き出され、エストがフッと息を吹くと、氷は瞬く間に蒸発する。
その温度に空間が揺らめき、剣を握る手の甲に痛ましい炎の足跡をつけた。
「何よその魔術! 速すぎるのよ!」
「熱気を吐いただけだよ。ちょっと熱いけど」
「アンタの“ちょっと”は皮膚が爛れる程度なの?」
「しょうがないなぁ」
そう言ってまたもやエストが息を吹くと、今度は極低温の冷気が放たれ、システィリアの手は剣の柄とくっ付き、アダマンタイト合金の刃が白く染まる。
右手を救わんと左手に出した氷の剣で切断しようとするが、その瞬間に彼女は悟った。
ここで腕を切り落としても、柄には手が残ったまま。それ即ち、再び剣を握ることは出来ず、氷の剣か魔術でしか戦えないことを意味している。
「あ〜、もう! 降参よ降参!」
剣を下げ、左手を広げてそう宣言した。
珍しく笑顔のエストが近付くと、そっと右手を包んで彼女の傷を癒せば、その手を握りながら下から顔を覗き込んだ。
「いぇ〜い、僕の勝ち〜。実に25日ぶりの勝利ぃ。どんな気持ち? 久しぶりの敗北、悔しい? 僕はね……う・れ・しっ!」
「うっざいわねっ! でも……えぇ、悔しいわ。すぐに察して、治療か攻撃に転じれば勝てたもの。油断していたわ」
「……そっか」
「露骨に微妙な反応しないでちょうだい! あぁもう、ムカつくわねっ! 今夜は朝まで襲っ…………ゴホン」
わざとらしく咳払いをするシスティリア。その視線の先には、2人の打ち合いという名の模擬戦に釘付けになった、フブキとキサラギが立っていたのだ。
危うく子どもの前でとんでもない話をしかけたシスティリアは、剣を納めてから2人の前にかがむ。
「どうしたのかしら? まだ朝も早いわよ?」
「え……うん……えっと……」
「おねーちゃ、かっこいい!」
「あらぁ、そう? かっこいい? ふふん、そうでしょうそうでしょう。聞いた? エスト。『お姉ちゃんかっこいい』って。お・ね・え・ちゃ・ん! ってね!」
「……くっ! 聞いた……ううん、効いた」
純粋な武術に魔術を持ち込んだエストは、左腕が使えないからと魔術も全開で使っていたが、やりすぎたと理解していた。
「にーちゃん、息だけでねーちゃん倒した……かっこいい」
「ほ、ほらね? フブキは僕の味方だよ?」
「どうかしら? 魔術がかっこいいのであって、アンタじゃないかもしれないわよぉ?」
「往生際が悪いよ! 今日は僕の勝ちだから! 認めないなら尻尾ぎゅーん、するよ?」
エストが開発した、対システィリア用戦術秘技『尻尾ぎゅーん』とは、彼女の尻尾の付け根を、親指と人差し指の輪っかで優しく締めながら一気に先端まで撫であげる技である。
神経の集まる尻尾を根元から先まで激しく撫でられるので、システィリアは何度か失神している。
痛みではない別の感覚が膨大な情報量を誇るため、尻尾が怪我をした時とは比べ物にならない、痺れるような感覚が脳を駆け巡るのだ。
さすがのシスティリアにも、これには──
「へぅっ……そ、それは……! ご褒美?」
「全身に鳥肌立つことがご褒美なの?」
「ア、アンタがやるから気持ちいいだけよ!」
「気持ちいいんだ……」
大抵はやった後に平手打ちが飛んでくるが、彼女の真意を知ったエストは微妙な表情で半歩下がった。
2人が何の話をしているのか分からないフブキとキサラギは、きっと何か技の話し合いでもしているのだろうと思い込むと、朝日が顔を出した。
エストは右ポケットに移した魔道懐中時計を見ると、時刻は6時2分を示していた。
時計を仕舞い、するっとシスティリアの肩を抱き寄せれば、模擬戦でかいた2人の汗を
すっきりしたシスティリアからお礼のキスを頂き、家に戻ろうとする。
その光景をバッチリ見ていた2人は、ぽけーっとしたまま立ち止まっていた。
「子どもには刺激が強かったかしら?」
「……僕にも刺激が強い」
「それは……魅力的って意味かしら?」
「うん。えっちだよ」
「誰が万年発情期よ!」
「言ってないよ! ……思ってはいるけど」
「一言余計なの! 大体、そのアタシを満足させるアンタは、アタシ以上なんじゃないの?」
「…………いや?」
「変な間ね。もうっ、ドラゴンの魔力で体が強くなりすぎなのよ。薄めたり出来ないのかしら?」
「頑張ればできる。でもやらない」
この強靭な肉体がなければ魔族に勝てない。
システィリアの伴侶足り得ない。
そして何よりも、弱くなることを恐れていた。
現状に満足していないからこそ、毎日の鍛錬を欠かさず。常に高みへ至ろうとするため、格上のシスティリアを追いかける。
その足を重くするという行為は、出来たとしてもやらないのがエストの譲れない思いだった。
「仕方のない人……せめて心だけは、アタシが癒すから」
乾いた風が狼の耳を撫でつけ、くすぐったいのか彼の右肩に耳を擦り付ける。
ふわりと髪が立つような感覚がして、エストの腕に抱きついた瞬間、パチッと静電気が起きてしまった。
「ふゅん! ……も〜! これだから……これだから秋は嫌なの!」
「擦り付けたから仕方ないね。痛くない?」
「大丈夫。音で驚いただけよ」
普段より乾燥するこの季節、システィリアは度々静電気に悩まされていた。ブラッシングの時や、服を着る際にもパチッと弾ける音がするのだ。
耳の良い彼女にとって、乾燥する時期は肌にも耳にも天敵である。
雷魔術で対策出来るのではと思うエストは、家に着いて朝食を食べている間も、ずっと模索し続けていた。
フブキとキサラギに髪型を弄られながら模索する午前を過ごしていると、ブロフたちと合流する時間が迫る。
「そろそろ行くわよ?」
「う〜ん……あと5分」
「ダメよ! そう言っていつも2時間経ってるんだから! ほら、は〜や〜く〜っ!」
「……はぁい」
思いついた静電気対策の魔道具の構想を紙に書きとめ、システィリアに手を引っ張られるエストだった。
改めて見るカゲンの里は、のどかな分、どこか寂しい印象があった。
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