第420話 帝立ドタバタ魔術学園
「エフィ、こっちにおいで。絵本読むよ」
ウルティスが入学式の予行練習に忙殺されている頃。レガンディ郊外の家では、研究を止めて育児に励む男が居た。
広いリビングの一角に低いテーブルと座椅子を設置し、幾つかある絵本を手に取ると、エフィリアを膝の上に乗せて音読する。
「あの絵本、帝都で8万リカで売られてるのを見たわ。いつの間に買ってたのかしら?」
ここ数日、毎日のように読み聞かせている光景を見て、ふとシスティリアが呟いた。
今はアリアが買い物に出掛けているので、クッキーをつまみながらお茶を飲む魔女が答える。
「エストのお下がりじゃ。わらわの家にあるやつじゃな。この前、アリアと共に探しに行っておった」
「そうなのね。絵本を読み聞かせてもらうエスト……想像出来ないわ」
「いつの間にか立派に成長しよったからのぅ。英雄になるわ、美人な嫁を連れて来るわ、孫が出来るわ……わらわの願った幸せを掴んでくれおった」
「束の間の休息よ。育児が落ち着いたら、ドラゴン巡りをするのよ? 今は何も気にせず楽しんで欲しいわ」
システィリアは知っている。エストのことだ、行く先々で問題を起こしたり巻き込まれ、飽きない旅が再び始まるのだと。
それを隣で、或いは手を引いて見ることが出来る自分は、なんて幸せなのか、と。
「──おしまい。ん? お耳どうしたの?」
「ばーぱ、あえ!」
娘との時間を完全にリラックスして堪能していたエストは、エフィリアが指をさした庭を見て、眉をひそめた。
そこに居たのが、真っ黒なペガサスだったからだ。
以前にも見たことがある漆黒の天翼馬だが、今回は馬車を曳いていなかった。
システィリアに目線を送るも、首を左右に振られる。
すると、コンコンとドアがノックされた。
「入れましょうか。ソファでいいかしら?」
「うん。ありがとうシスティ」
「あーとー」
「ふふっ、いいのよ。エルミリアさんは紅茶をお願い」
「了解じゃ。にしても、明日は入学式じゃろうに、何かあったのじゃろう。ウルティスが無事ならよいが」
魔女の憂いを聞いてエストは不安になるが、娘の手前、表情には一切出さずに凛とした表情で抱っこを続けた。
「やぁ。突然の訪問すまない」
そして案の定、やって来たのは学園長こと魔女ネルメアだった。
しかし服装が真っ黒なローブなもので、挨拶も程々に対面に座った学園長を物珍しそうな目で見るエスト。
「まず知らせておく。ウルティス君は関係ない。全く別の要件でエスト君を尋ねた」
「じゃあ話を聞こう。ペガサスに乗ってくるなんて、相当急いでるんでしょ?」
「ああ。察しが良くて助かる」
庭でヌーさんたちに囲まれ、偉そうに鼻を鳴らすペガサスを見る2人。
学園長が直接ペガサスの乗って来るということは、馬車を曳く時間も惜しい状況だと直ぐに分かった。
魔女が出した紅茶を含み、学園長はどこか寂しそうな表情で伝える。
「実はな……新入生を担当する教員が亡くなったのだ」
「誰かに殺されたの?」
「いや、老衰だ。78歳だったからな。長生きした放題。老若男女、魔術師を育てるのが大好きな男だった」
「えっと……ご愁傷さま?」
魔術師を育てられるということは、エストにとっては同胞が亡くなったようなもの。学園長の気持ちを分かってあげるべく、普段使わない言葉を出した。
それに驚いたのは、食卓の方で聞いていたシスティリアと魔女だった。
「優しいな。そこで、申し訳ないんだが……」
「いいよ。半年? 1年? 新入生?」
「……まだ何も言っていないのだが」
「講師をやれって話でしょ? 代われる人が居ないから僕の所に来た。そうじゃないの?」
講師が亡くなったと聞いて、エストは何となく察していた。入学式もあって職員周りも大変だろうが、代わりが居ないはずがないのだ。
つまり、何らかの理由で講師が出来る人が足りず、最終手段であるエストを尋ねた。
そこまで考えて、エストは聞く前から了承した。
「その通りだ。期間は1年で頼む。新入生と2年生のどちらか選べるが、希望はあるか?」
「どっちも一緒。希望としては、週に一度、学年合同で実技演習の日がほしいかな。ほら……僕の肩書きが理由でウルティスに迷惑かけたくないし」
「……あぁ、ありがとう。学年合同演習は絶対に通す」
頭を下げた学園長に、エストは頷いた。
どうせ育児で研究もほぼ止まっていたために、小さな刺激を得るのにちょうど良かったのだ。
懸念点を挙げるとすれば、システィリアへの負担が大きくなることだが、彼女は嬉しそうに頷いている。
近くでウルティスも見られるので、メリットが大きいと判断したのだろう。
立ち上がったエストは、眠ってしまったエフィリアを預け、白雪蚕のローブを羽織る。
「今から学園に行こう。入学式で何かやることになるんでしょ?」
「いいのか?」
「うん。その方が僕にも得があるし」
言葉の意味は分からなかったが、入学式で短期の新任講師として紹介出来ることは喜ばしいことだ。
学園長は再び頭を下げ、庭へ出るとペガサスと共に待機する。
エストが手を振り下ろすと、学園前に繋がる半透明の魔法陣を出した。
見送りに来たシスティリアとエフィリアにキスをしてから、エストは転移した。
学園に着くと、ペガサスは透明になって専用の厩舎へ歩いて行ったので、学園長の後ろを歩く。
「今は式典の準備と予行練習をしているな。新入生代表はウルティス君だぞ」
「……何かしたの?」
「創立して初めて満点合格で入学したのだ。まさか旧帝国の歴史まで教えているとは思わなかった」
「それは師匠に言ってほしいな」
旧帝国の歴史は、実際に魔女が見てきたものが語られている。文献が残っているものもあれば、完全に消失した国内の争いなども魔女は知っている。
当時の生々しい話は、今の平和な国家間とは別世界のようで、暗躍していた魔族の話を聞くと身震いするほど恐ろしい。
「第1演習場? ここで練習?」
「登壇の仕方やスピーチのやり方を教えている。エスト君も受けた方がいいと思ってな」
「いや、それより授業の日程とか知りたい」
「どうせ式後は自己紹介と学園案内だ。本格的な授業は明後日からだな」
「え〜……わかった。終わったら帰るからね?」
「ああ。出来れば明日は午前7時に来て欲しい」
「は〜い。ミツキによろしくね」
それだけ言うと、エストは第1演習場に入る。
中から黄色い悲鳴が聞こえたが、学園長はホッと息を吐いて学園長室に向かった。
まだ手続きや周知用の書類が溜まっているのだ。
エストへの頼みは、それらやるべき事を全て押しのけてペガサスに乗って行った。
だが、これ以上無い返事を貰えたことで、学園長はやる気に満ちている。
ミツキのためにも、獣人差別の撤廃は大事なことなのだ。
「──お兄ちゃん!?」
黄色い声に包まれるエストの先では、登壇からスピーチの読み上げを練習するウルティスが顔を上げた。
紅い耳をピンと立て、尻尾を全力で振りながら走ってくると、思いっきりエストに突進する。
それを軽く受け止め、耳と頭を撫でるエスト。
「元気で良かったよ、ウルティス。なんとね、僕も学園に行くことになったよ」
「え!? 一緒にお勉強するの!?」
「いや、教える側だね。でもお昼ご飯は一緒に食べられるよ」
「やったぁ! あ、お兄ちゃんもスピーチするの?」
「……しないと思う。練習してる様子を見てるから、もう一度通しで見せて」
「うん!」
明朗快活なウルティスが頷くと、式の関係者が纏う空気が変わる。
新入生代表の挨拶で練習用の壇に上がったウルティスは、真剣だが険しくない表情で中央に立ち、明日も読み上げる言葉を連ねていく。
「詰まることなく読めたの、これが初めてなんです」
「やる気が無かったんでしょ。ウルティスは薪を用意するだけじゃダメだ。やる気を出すきっかけがあれば、誰よりも熱意をもって取り組むよ。そういう子なんだ」
それにしても、彼女には気になることがあった。
「……仲がよろしいのですね?」
「家族だから。しかし……」
「しかし?」
「制服姿のウルティス……可愛いな。赤と黒っていう色がまず似合ってる。スカートの丈も短すぎず長すぎず、尻尾の穴まであるのは素晴らしい。明日は……うん、少しウェーブをかけて髪をふんわり見せよう。前髪は分けて、髪留めにはアルマの魔水晶で作ったピンが良いかな。化粧は……要らないね。いや、口紅だけつけよう。ちょっと大人っぽく見せた方が、ウルティスの良さが立つはずだ」
エストのスイッチが入ってしまった。
普段はシスティリアに対してスイッチを入れるのだが、今回は妹が登壇してスピーチをするのだ。つまり、主役である。
ならばエストが本気を出さないワケにはいかない。
並々ならぬ熱意を宿すエストに、女性職員は苦笑いをしながら聞いていた。
……だが、彼の語る明日のウルティスを想像すると、それは可憐さと妖艶さを併せ持つ、新入生代表に相応しい姿が浮かんだ。
(なるほど……そこらの人間より愛されているとは、こういうことですか)
「ところで君さ」
「わ、私ですか?」
「うん。無意識に土魔術使ってるけど、どうしたの? 足の裏にピッタリだから、足跡を消したいんだろうけど」
「っ!? い、いえ!」
「気を付けてね。ウルティスに何かあったら、僕はまず君を疑うから」
一瞬。ほんの一瞬だけ、彼女の見るエストの瞳が、龍のモノになった。
殺気も威圧感も無いのに、動けなくなる。
本能が生物としての格に屈した感覚だ。
(これが……賢者? 無意識の魔術が見つかるなんて、どんな探知能力してるのよ! しかし、マズイ。ウルティスさんを隠れて守る役なのに、私が真っ先に疑われることになってしまった)
背中に冷たいが汗が流れると、一転してエストは彼女の肩を優しく叩いた。
「それにしても良い術式だ。
「は、はい」
(え……? 褒められた?)
「君は講師? 職員?」
「職員です。学園長に恩がありまして」
「そっか。その魔道具は学園長との連絡用?」
この職員は、エストの探知能力を見誤った。
懐に忍ばせている連絡用魔道具すら気付いており、視線はずっと彼女の顔に向けたままなのだ。
やましいことはしていないのに、どこか責められている気持ちになる。
まだ『影』として5年くらいしか活動していないが、過去に感じたことがない、絶対絶命の窮地に立っている気分だ。
「っ……そうです。学園長より、影ながらウルティスさんを守るように、と」
もうこの際、バラしてしまった方が良い。
変に疑われて関係を拗らせるよりも、秘密を明かしてウルティスを任せられた方が、任務にやる気も出るというもの。
彼女の言葉を聞いて、エストはフッと息を吐いた。
「好きな食べ物は肉と魚。朝は5時から鍛錬をしている。好きな色は赤と白。落ち込んでいる時は話しかけない方が立ち直りが早い。攻撃は基本攻め、回避が得意。果物や甘い物は大体好きだけど、レーズンは苦手」
「……えっと?」
「覚えておくといい。ウルティスと仲良くね」
「っ! は、はいっ!」
任務を明かしたのは正解だった。
学園長からの仕事は、守るだけでなく、安心して過ごせる環境作りも与えられているのだ。
そこにエストが今言ったことは、ウルティスの味方になるのに最も役に立つ情報だろう。
「さてと、もう終わるだろうし僕は帰ろうかな」
「お兄ちゃん帰るの!? あたしのお部屋来ないの?」
「女子寮の寮母、多分僕のこと嫌いだよ? また明日から会えるから、休み時間においで」
「うんっ!」
そうして、気が付けばエストの姿は消えていた。
職員に変装中の『影』である彼女は、手元のメモに『信頼、賢者エスト』と記し、さりげなくウルティスのサポートを続ける。
「お兄ちゃんと、私も呼んでみたいものです」
「ダメだよ? あたしのお兄ちゃんだもん」
「冗談ですよ、ウルティスさん。お兄さんを盗ったりしませんから」
ちゃんと一歩引く、影である。
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