第5章 幽双の帰路
第89話 ぷるぷるのもちもち
「寒い……寒い……寒すぎる」
吐いた息が真っ白に染まる雪原の中、エストは日課のトレーニングをしていた。
賢者ことジオとの生活が始まってから10日。
真冬の北国は洗濯物も凍る気温が常だった。
鍛えるためにトレーニング中は魔術を使わないと決めているが、今すぐにでも火に当たって落ち着きたい気持ちが湧いてくる。
気休めにと火の魔法陣を出しては、魔術は使わずに温まった気分でトレーニングを続ける。
食いしばった歯がガタガタと震えるが、持ち前の精神力で何とか堪えた。
そんな様子をログハウスの中から見ていたジオは、飼っている愛犬を撫でながら呟く。
「……狂ってる。アイツは修行僧か?」
『わふぅ?』
「シュン、気をつけろ。3代目は本当に狂っている。マニフに狂わされた2代目とは違って、真性の狂気だ」
常人なら逃げ出す環境に自ら出て行き、狂人も呆れる鋼の精神でひたすらに体を鍛える。
眠っていた期間を取り返すために、エストはギリギリまで鍛えては魔術に没頭し、ジオから渡された最古の魔道書を読み漁る。
ジオは予想以上の傑物に才能が降ってきたなと、感嘆の声を漏らした。
絨毯の上で寝そべりながら魔道書を読むエストは、少しの間考えてからジオを呼んだ。
「先生、ここ分かんない。火の魔術なのに魔力の動きを止めたら、どうやっても一瞬しか燃えないよ?」
「魔法に近いからな。言っただろ? 魔法は魔力の形そのものだと。魔術のような理論が一切なく、ただ強いイメージだけで現象を起こすから矛盾が発生する」
「……矛盾が形になるの?」
「なる。というか、するのが魔法だ」
エストの中で、魔女の『師匠』という立場が揺るがないため、ジオのことは先生と呼ぶようにしている。
存外本人もそう呼ばれることが嬉しいらしく、分からない部分は先生と言ってから聞くことで確実に答えてくれるのだ。
「見ろ。これが魔法と魔術の混成だ」
「気持ち悪いね。でも、面白そう」
手の上で不規則に動く火を見せながら、古代の魔術の異常性を教える。
興味を持ったエストは魔道書を閉じ、あぐらをかいて座ると、全身の魔力に集中しながら混成術式を組み上げていく。
数分ほど黙っていると、両手で包むようにしながら魔力の動きに注視し、輪郭のぼやけた火の単魔法陣が手の中で輝いた。
手の中から何かが蠢く。
エストはそれを、ジオに見せた。
「ふふん。見てこれ」
「……何だそれ」
赤と白の三角形の何かが、僅かに動いている。
毛に覆われた柔らかい皮のように見えるが、ジオはそれが何か分からない。
「温かいシスティの耳。魔法を組み込むことで、魔術よりも簡単にピクピク動かせる」
「気色悪いな! お前、本当に気色悪いな!」
「そう? 僕的には大きな発見なんだけど」
「どこかだよ気持ち悪い!」
「これを……
エストは色だけを水色に変えると、等身大システィリア像の耳を付け替えた。すると、まるで生きているかのように耳が動き出し、再現の完成度が上がった。
しかしまだ出来に満足していないエストは、流れるように毛並みを再現した動く尻尾に付け替え、より本人に近い存在感を覚える。
「う〜ん……まあまあだね」
「お前のそのやる気はどこから来ているんだ?」
「やる気? ただ好きだからやってるだけ」
あまりにも精巧に造られた像を消すと、再度絨毯に寝転んで魔道書を開いた。
先程まで悩んでいたページを全て読み込み、頭上に小さな魔法陣を作って再現しながら、初代賢者が記した魔道書を読んでいく。
こうも簡単に読み進められるとは思っていなかったジオは、ある種の恐怖心をエストに抱いた。
適応力が異常なのだ。
例え宮廷魔術師が読んでも理解できないものを、エストは形だけでも再現し、中身が再現できなくとも一度本物を見れば完全に理解する。
そして、その内容を自分の型に落とし込むことで、更なる発展性を秘めていることを示唆してくる。
落とし込む先が像なのがマイナスポイントだが、それ以外はジオが驚くほどの創造性を持っていた。
「おぉ、肌の質感も再現度が高くなった。でも、ちょっとぷるぷるさせすぎ? あと少しもちっと……こう。そう、これ!」
「さっきから何──本当に何やってんだ?」
少し目を離した隙に、エストは魔道書を読むのを辞めて再度システィリア像に手を加えていた。
しかし、問題なのはその内容である。
何故かエストは像の胸をペタペタと触り、質感の再現に混成術式を使って試行錯誤していた。
「はぁ……ガキがンなところ再現するな。っていうか知らないだろうが」
「……いっかいだけ」
「あ?」
「いっかいだけ……触った」
ジオからはその背中しか見えないが、少年が何かのきっかけでちっぽけな勇気を振り絞ったことは分かった。
その影は少年ではなく男のものであり、ジオは先程までの子どもを見る目をやめ、仲間を見る目で背中に手を当てた。
「…………やるじゃないか。どうだった?」
「柔らかかった。でも、ちょっと小さい?」
「そりゃアイツもガキだからな。しかし、そうか。お前もちゃんと女に興味があるんだな」
最初は寝相で手が当たっただけだった。
しかし、システィリアが体をくっつけようとするためにより強く手が当たる。夏で薄着の彼女は、エストの冷たい手を抱きしめたいのだ。
その時に目が覚めたエストは、引き抜こうと手を動かしたのだが……好奇心が勝ってしまった。
起きた時に本人からぶん殴られたが、『次触るなら宣言しなさい!』と謎な怒られ方をした。
それ以来システィリアに触れる時は事前に伝えていたのだが、彼女は少し不服そうにしていた。
「フン、仕方ない。お前、アイツとはどんな関係なんだ?」
「……パーティメンバー?」
「それより先に進みたくはないのか?」
「先って?」
何も知らないエストに、経験豊富なジオは少しずつ知識を注入していくことにした。
「恋人だ。あの女を傍に置きたいとか、一緒に居たいと思わないのか?」
「それは……一緒に居たいよ。死ぬまで」
約束だ。システィリアより先に死なないと、そう約束したのだ。2人で交わした小さな口約束だが、エストはしっかりと胸に刻んでいる。
それを守るために。自分より先に彼女が死なないために、力を付けて守らねばならない。
白狼族という稀有な種族が魔族に狙われるなら、魔族を倒す力が要る。心掠のマニフに負けた以上、二度目は無い。
絶対に……守ると決めたのだ。
「バカか。男なら死んでも傍に居ろ」
「う、うん。死んでも守る」
「そうだ。なら、覚悟を決めろ」
「覚悟?」
「生涯をかけて愛する覚悟だ。女として見るのはただひとり。どんな女に誘惑されようとも、絶対に心を曲げないと誓うんだ。それが出来て、お前はようやく半人前の男になる」
黒く澄んだ瞳が、エストの心を貫く。
それはエストが魔術に対する思いのようで、軽く返事ができるものではない。生涯をかけるということは、曲げれば死ぬ覚悟を持つことである。
目を伏せたエストは、静かに考える。
脳裏に浮かぶ、メルという少女の姿。
天真爛漫な彼女は、自分という存在を特別に扱ってくれた。他の人には向けない視線で、鋼の如く固い意思を持っていた。
だが、それはシスティリアも同様である。
普段はトゲのある言葉や一見して嫌っているかのような態度を見せるが、ふとした拍子に甘い表情で心を溶かしてくる。
過ごした時間はシスティリアの方が長い。
同じ飯を食べ、同じベッドで寝て、よく喧嘩もしたが嫌いにはなれず、視界に入ればつい追ってしまう魅力がある。
エストが初めて『触れたい』と思ったのは、システィリアなのだ。
「まだお前は子どもだ。今決めるのは心も体も未熟すぎる」
「……うん。もう少し時間が欲しい」
「それでいい。軽く返さないだけ、俺の言った言葉を理解する力がある。安心しろ、お前は立派な男になる」
「初代賢者にそう言われると、嬉しい」
「三ツ星冒険者だ! 賢者じゃない」
そう否定するジオだが、本人が書いた魔道書を読んだ以上、エストは彼を冒険者ではなく、魔術の祖として認識している。
深い敬意を表すとともに、感謝の念を抱く。
そして像を消そうとするエストの肩を掴んだジオは、トントンと指で叩きながら言った。
「そういや、お前の魔力操作は穴があるぞ」
「どういうこと? 穴なんてないよ」
「あるんだよ。お前にやり方を教えたの、女だろ? 今のお前の体格に合ってないから簡単に分かるぞ」
エストの全身を凝視しながら言うと、両方の肩と腹、左胸、腰、膝、ふくらはぎを指先でつつき、穴の場所を示した。
「正しい魔力操作を教えてやる」
「やっぱり賢者でしょ」
「……今この瞬間はな」
ニヤリと笑うジオは、魔術師が喉から手が出るほど欲しい情報のひとつである、魔力操作の神髄を語る。
「魔族め……せいぜい苦しみやがれ」
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