第90話 過去を砕く


「いいか。魔力を頭のてっぺんから足の指先まで循環させろ。そして同時に、皮膚と同じ薄さで魔力を纏わせろ」


「わかった。やってみる」


「循環の穴は教えてやる。集中しろ」



 絨毯の上であぐらかいたエストは、意識を集中させて魔力を循環させる。

 その際に生まれた穴を、ジオが土の棒で突いてくる。

 その穴を理解するのに時間がかかったが、血の巡りが滞るような感覚として覚えると、上半身から下半身にかけて、ゆっくりと魔力の流れを整えていく。


 魔女に教わった魔力操作とは全く違う感覚のそれに、エストのこめかみに汗が伝う。



「どうだ。お前にとっては呼吸の仕方を変えるようなものだ。耐え難い苦痛だろう」


「……うん。いつまでやればいい?」


「死ぬまでに決まってるだろ。それにお前の体はまだまだ成長する。毎日循環の穴を確認して、無意識に塞げるようになるまで練習させる」


「…………なるほどね」



 新しい魔力操作の練習は、基礎ができていて、なおかつ無意識にできるような上手い者ほど苦痛を伴う。

 ジオが言った呼吸の仕方を変えるとは正にその通りであり、今の状態を保ち始めたエストは会話をする余裕もない。


 慣れるまでに相当の時間を要するため、適応力の高さが求められる。



「よし、次は纏う魔力を極限まで抑えろ。体内で循環させる魔力はそのままだぞ」


「……メリットは、なに?」


「分かってないのか? 今のお前、魔物から見れば格好の餌だぞ。ワイバーン以上の魔力を垂れ流す人間なんて、余程のバカでも無い限り見逃さない」


「……寝起きにゴブリンが居たのは」


「お前の魔力に釣られたんだろ。それに……ククッ、マニフがお前を殺さなかった理由がよく分かる」



 これまでのエストは、甘い甘い蜂蜜を垂れ流し続けているようなものだ。

 簡単に採取ができて、それでいて濃厚かつ芳醇な魔力を出し続ける存在など、魔族にとっては最高の家畜である。


 洞窟に入った時、殺さずに意識を乗っ取ったのはそれが理由だとジオは語った。



「白狼族はさぞ苦労しただろうな。あの種族は魔力を匂いで感知する。エストが横に居る限り、他の魔力との区別ができなかったはずだ」


「……そうなの?」


「お前……本当にパーティメンバーなのか?」


「だって種族とか興味ないし」



 あっけらかんと答えるエストは、わずかだが魔力操作に慣れてきた。



「……はっ、そういうことか。まぁ白狼族からすれば、お前はとんでもなく臭い上に威圧感を出してるってことだ」


「え、臭いの? それはヤダなぁ」


「だったら魔力操作を極めろ。アイツに嫌われたくないのなら尚更な」



 その言葉は、エストの心に火を灯した。

 他人なんてどうでもいいと思っていたのに、システィリアに嫌われる光景を想像するとどうしようもない寂しさを覚えたのだ。


 考え方の変化を自覚し、心を入れ替えて魔力操作に集中する。



「上手いな。今のところ穴は無い」



 これまでの魔力操作を感じさせない改善ぶりに、素直な褒め言葉が出てしまう。溢れていた魔力がスっと抑えられると、エストの放つ雰囲気が随分と柔らかくなった。


 今の姿をシスティリアが見れば、まるで別人のように思うことだろう。マニフに操られ、大量の魔力を消費した時よりも人間らしい放出量になっている。


 薄く、薄く。

 体外に流す魔力を極限まで薄くしながら、常に体の内側を監視する。

 体に合わせた魔力が循環するさまは、ジオが見ても美しいと思える出来だった。


 しかし、10分ほど経つとまた溢れ出した。



「それでいい。毎日少しずつ時間を伸ばせ」


「……ふぅぅ。はい、先生」



 脱力したエストが絨毯に寝転がると、ジオの傍でお座りをしていたシュンが、尻尾を振りながらエストの横に移動した。


 同じように絨毯の上に寝ると、エストはチラッとその顔を覗く。


 ジオが犬と言い張るシュンは、寝転がったエストと同じくらい体が大きい。

 銀と黒の体毛は雪に溶け込める色彩だ。

 青い宝石のように真ん丸な瞳は、ぬいぐるみのように可愛らしい。だがしかし、その大きさが規格外である。



「狼でしょ、君」



 そう言いながら手を伸ばし、シュンの頭を撫でる。

 髪を梳いている時のシスティリアのように、嬉しそうに尻尾を振っている姿は、エストの心の奥底にある寂しさを優しく温めた。


 羊皮紙に染み込んだインクが香ったのか、クシュンとくしゃみをした狼。



「名前の由来はくしゃみかな。可愛いね」



 もっと撫でろと言わんばかりに頭を擦り付けるシュンと戯れる。エストが乗れそうなほど大きな体でじゃれつくと、台所の方から香辛料の匂いが漂ってきた。


 ジオとの生活は、基本的に自給自足である。


 肉や魚はジオが狩ってきた動物を外に置くことで冷凍し、ジオの魔術で亜空間に仕舞われている。

 調味料や香辛料も大量に保存しているようで、毎日濃い味付けの物を食べて寒さに対抗するのだ。


 料理が完成すると、食卓でいただきますと言ってから食べるエスト。


 口では美味しいというが、どこか遠くを見ながら言うのであまり好みではないことが分かる。



「お前、肉が嫌いなのか?」


「ううん。ただ……今までシスティは僕に合わせてくれてたんだな〜って」


「はっ、胃袋を掴まれているな」



 苦い野草も臭い獣肉も、広い知識と豊かなアイディアで美味しく食べられるようにしてくれていたと、遂に気づいた。


 思えば、旅立つ前から料理に関してはうるさいと自負しており、事実それはエストの中の一番を奪うほどに美味しいものだった。


 ただでさえ魔術や剣術の鍛錬で疲れているのに、よく毎日違う料理を振る舞ってくれたと、机の上に小さなシスティリア像を出してから拝む。



「……変わってるな。俺が言えることじゃないが」


「沢山お礼を言いたい。僕の生きる活力だよ」


「まるで婚約の言葉だな」


「え? そうなの?」


「は? まさかお前……既に言ったのか?」


「うん。システィの作ってくれた料理しか食べられないって」



 ジオは大きなため息を吐いた。

 よく知りもしない白狼族の少女を可哀想に思ってしまったのだ。

 この様子だと他にもソレに近い言葉を言っていると予想ができるので、毎日気が気じゃなかっただろうと、労いの目で像を見た。


 不幸中の幸いは、曲りなりにも同じような気持ちを抱いていることだ。


 魔術師は大概ヒョロい人間が多いが、それは研究に没頭するあまり、食事を忘れることがあるからだ。


 しかし、エストは違った。


 むしろ食べることが好きであり、そうさせた理由のひとつにシスティリアの影響があると分かる。

 心から彼女の料理が好きで、その腕の良さは想像以上であると思える。



「お前、クールぶってるだけで実はベタ惚れしてるだろ。言ってみろよ? 好きなんだろ?」


「ベタ惚れって何?」


「好きすぎて夢中になることだ」


「好きは好きだけど、夢中ってほどじゃ……」



 ふと思う。いつもシスティのことばっかり考えてないか? と。前まではその席に魔術が座っていたが、今は彼女が足を組んで座っている。


 考えれば考えるほど、ジオの言う『ベタ惚れ』ではないかと思う。



「気づいたか。クハハ、面白いなお前」


「だって……楽しかったんだもん。美味しい物食べて、綺麗な景色を見て、危険な魔物を倒して……普通だと思う」


「普通を知らないお前が言うか」



 痛いところを突かれたエストは、慌てた様子で完食した後に魔力操作の練習へと戻っていった。

 まだまだ子どもっぽいところもあるんだなと、ジオは面白そうに笑って食器を片付ける。


 いくらシスティリアの料理が好きだからといっても、出された物は食べ切る姿はジオも頷く育ちの良さを感じた。


 仲の良かった銀髪の少女がそうだったなと思うが、顔を振って思考を払うと、魔力操作の手伝いに力を入れるのだった。

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