第264話 小さな稲妻
魔道書を取りに行ったネルメアが帰ってくると、エストとシスティリア、そして氷龍の3人が遊んでいる姿を目撃してしまった。
その遊びは、机の上にある絵を、精巧に
氷の王たる氷龍も苦戦し、システィリアは氷の内部を色水で満たすことで絵を再現するが、エストだけは氷と言われても分からないほど、額縁から細かな筆の跡まで再現していた。
「システィの発想は面白いね! 得意な水で勝負するのも、そのやり方も賢くて好きだよ」
「えへへ、そう? でもアンタには負けるわ」
「なぜ……盟友は本当に人間なのかい……?」
「造形は感覚に頼ることもできるけど、技法とか材質とか、絵の具の材料を知ったらより深く真似できる。君との違いはそこじゃないかな?」
「……なるほど。対象の背景か……うん! 盟友の言う通りだ! これは一見して技術の勝負に見えるけど、その実、知識と感覚に頼る部分が大きい。とても面白いよ!」
なんて、ドラゴンに魔術の使い方……遊び方? を教えるエストに、ネルメアは静かに戦慄してしまう。
友好関係にあるにせよ、人間とは遥かに格の違う生命体を相手に、蓄えてきた知識を共有するなど正気の沙汰ではない。
恐れ、
「戻ってきたぞ。中級まで記した魔道書だ」
「本当に? いいの? 読んじゃうよ?」
「あ、ああ。君の役に立てば幸いだ」
羊皮紙に書かれた魔道書を手渡すと、エストは少年のように目を輝かせて受け取り、待ちきれないといった様子で表紙をめくった。
その瞬間、好奇心に満ちた目は魔術の信憑性を測る魔術師のモノへと変わり、真正面からネルメアの研究結果と対峙する。
まるで熟練の魔術師に新理論を提唱したような緊張感だ。ネルメアの肌がピリッと痺れ、拳を握ってしまう。
「真剣に魔道書を読むエストって、カッコイイんだけど、どこか可愛らしいのよね……」
「盟友が可愛い……? 不思議なことを言う」
「子どもっぽいところが、どこか目が離せないのよ。……ネルメアさんは分かるかしら?」
「私か? 確かに彼は、同い歳と比べて幼く見えるな。だが、実力を知っていると一歩引いてしまう。システィリア君の考えは、彼を深く愛しているから出てくるものだろう」
2人に比べたら、3ヶ月の付き合いしかないネルメアは認識が浅い。
大人の対応で立てられたシスティリアは、嬉しそうにはにかみながら、エストの目にかかった前髪を流してやった。
どんなことが書いてあるのか、隣から少し覗き込む。するとそこには、落雷の瞬間を模した絵と、魔力の更に細かい世界である、魔素の繋がりに関する理論が展開されていた。
論理的に雷魔術への認識を改めたエストは、一旦魔道書を机の上に置く。
両の手のひらを向かい合わせると、理解した部分をその場で再現しようとする。
「え〜とつまり、右手の魔素と左手の魔素に繋がりを持たせて……その間を火魔術以上の速度で魔力を震わせる、と……」
その瞬間、エストの右手から左手へ、バチッと音を立てて閃光が走った。
「ん、わかった。じゃあ次は曲げられるかな」
そして今度は、直線的ではなく顔の位置くらいまでアーチを描くように魔素の中継点を作ってやると、エストの理想通りに光ったのだ。
「なんか凄いことやってるわよ」
「……たった数分でここまで進化するのか?」
「はっははは! キミたちは盟友を甘く見すぎだよ」
再び読書に戻るエストを見て、氷龍は2人が考えもしなかったエストの本質を言い当てる。
「盟友は恐らく、どんな生物よりも本能が強い。生存本能、生殖本能、学習本能……生命として、そして個としての本能は、ボクら龍よりも遥かに強いよ」
「……つまり、貪欲ってことかしら?」
「そう言い換えても伝わるだろう。面白いのは、質の面かな。盟友は最高効率で学習することが得意だ。恐らくは、あの銀色の魔女によるもの」
「エルミリアさんが……なるほどね。確かにエストは、食欲も睡眠欲も強いわ」
思えば、誰よりも食べて誰よりも寝ているのがエストだった。早寝早起きをしては、体格に見合わない膨大な量の食事をとり、常に魔術を使って鍛え続けている。
「はぁ……今日ぐらいは盟友を寝かせなよ?」
「なっ、何よ!? まるでアタシが性欲の権化みたいに言うのは心外だわっ!」
「ボク、なにも言ってない」
「ぐぬぬ……じゃあ何。何が言いたいのよ!」
「盟友より生殖本能が強い個体が、目の前に居るな〜って」
「意味が一緒なのよっ! このバカ!」
ついっと氷龍から顔を逸らした彼女は、エストの邪魔にならない程度に抱きつくと、ふわふわの尻尾を揺らした。
そんなシスティリアに、エストは魔道書を読みながら言う。
「僕はシスティが大好きだから、抑えようとしなくていい。君の気持ちを受け止められないほど、僕は半端な人間ではない自負がある。だから、我慢しなくていい」
「……でも、甘えっぱなしじゃないかしら?」
「そうかな。僕の方がシスティに甘えてる。とにかく、気にしなくていいから。もっと一緒に居よう?」
「……ええ。もちろんよ」
頷いた彼女は、尻尾をゆらりと動かす。
魔道書に集中しながらも返事をし続けたエストの言葉は、あれこれと思考のチェックをかけていない、純粋な心からの言葉だった。
ページをめくる手は止まらず、遂に魔法陣の構成要素を理解したエストは、そっと魔道書を閉じて彼女の頭を撫でた。
「大体わかった。でも、疑問点がある」
「何かな? 言ってくれ」
「無駄が多い。術式として魔法陣に組み込む時に、無駄な構成要素があるんだ。例えば、方向指定。これは魔術の発動地点に向ければ済むよね」
「真っ直ぐに進むのならな。だが、雷は風や火と同じく、一定の形をとらないものだ。君の言い分は理解できるが、極めて難しいぞ」
「うん、まずそこだね。僕は感覚でそれらを一定の形に落とし込める。だから無駄だと言っているんだ」
「……技量で補える、と?」
「うん。使ってたら分かると思うんだけど」
そう言って人差し指を立てたエストは、指先からパチッという音とともに魔力を弾けさせると、顔の周り稲妻に走らせた。
システィリアの耳がピクっと動き、震えるが、既に小さな雷程度であれば使いこなせていたエスト。
「これを元に、色々と研究してみるよ。ありがとう、学園長」
「……まさか、この短時間で習得するとはな」
「まだだ。まだだよ。習得というには浅すぎる。もっともっと、何ヶ月も何年もかけて研究しないと」
そう言ったエストは、実に爽やかな笑みを浮かべていた。
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