第265話 魔女になる覚悟
エストが帰省してから10日が経った。
本棚は魔道書で敷き詰められ、机と椅子とベッド以外は何も無い質素な部屋でシスティリアと眠り、狭いながらにも肌の温もりが心地よい日が続いていた。
早朝、いつものように打ち合いと魔術の鍛錬をしていると、館の裏に生えている、一輪の青薔薇の元に訪れた2人。
見れば青薔薇は、今にもその花弁を開きそうなほど力を溜めており、夕方には咲くことを皆に知らせた。
「私、青薔薇なんて初めて見ました……!」
「オレもだ。霊薬の材料だとは知っているが、その霊薬が存在するかも知らなかった」
「ドワーフでも知らぬとは、薬師は減ったのかのぅ?」
魔女とブロフ、そしてライラの3人は、実在するかも怪しいとされた青薔薇を見ていると、霊薬自体が朧気な存在だという。
効能も作り方も謎であり、ただ材料に『青薔薇』と『龍の血』、そして『純粋な魔力液』が必要ということだけが、世間に認知されていた。
「霊薬にするには凄まじい年月がかかるのじゃ。この青薔薇の花弁を集め、油分を取り出さねばならぬ。1滴の油に何十本もの薔薇が必要じゃ。件の霊薬には、龍の血と純粋な魔力液を、2対3対5の割合で煮詰める必要がある」
「……へ? そ、それが霊薬の作り方……ですか?」
「うむ。血はワイバーンでは使えぬぞ。ドラゴンか、或いは精霊樹の樹液でしか作ることは出来ぬ」
さらりと語られる霊薬の製法。
そして代用品まで明らかにされると、一体魔女が何者なのか分からなくなってしまい、ブロフは頭を抱えた。
「え、えと、飲んだらどうなるんですか?」
「それは至って単純じゃ。死ぬまで体が頑丈になる。簡単に言えば、凄まじい力を持つ滋養強壮の薬じゃな。分かりやすかろう?」
「……は、はい! でも、どうしてそれが霊薬に?」
体が頑丈になるということは、病に強く、怪我もしにくい。しかし光魔術が発達している今、病は治せないために恐れられるが、怪我はあって無いようなもの。
ライラには、その霊薬の効能がピンと来なかった。
「お主、エストの肉体を知らぬのか?」
「エストさん……ですか?」
「ッ! まさか──」
「うむ。幼少よりエストに霊薬を摂取させておった。じゃから風邪をひくこともなく、アリアの訓練にも耐え、果ては龍の魔力にも耐える体を手にしたのじゃ」
エストが食べるものに1滴垂らすだけだった。
魔女はよくエストの体を観察し、10年もの間、ずっと健康で居た息子の秘訣を握っていたのだ。
魔女の部屋にある大きな鍋は、元は霊薬を作るためのもの。
実の所、材料の『純粋な魔力液』が最も収集が大変なのは、魔女と協力者であるネモティラしか知らない話だ。
「エストで実験していたのか?」
「抜かせ、阿呆ぅ。じゃが、エストに言っていないのは事実。やましい気持ちは無く、わらわの、息子へ元気で居てほしいと想う気持ちなのじゃ。他言はせぬように頼む」
実験自体は別の動物や自身の体、そしてエルフで試したのだ。サンプルによって強化される度合いは様々だったが、エストは最も効いた例と言えるだろう。
特に、龍の魔力に耐えられる体というのは、本来の人間では有り得ないことだ。
一種ならまだしも、二種の魔力と共存している。
これは霊薬の材料にもある、龍の血を摂取していたからに過ぎず、ただ魔力が強いから耐えられるとは、魔女は微塵も思っていない。
霊薬の材料のうち、青薔薇の油と純粋な魔力液は、龍の血、或いは精霊樹の樹液を、人が摂取しても死なない程度に希釈する役割を担っている。
何百年も積み重ねてきた霊薬の研究は実を結び、大切な我が子を逞しくしたのは事実だ。
魔女が魔女たる所以はそこにあるのだが、それは誰にも明かしていない。
そんな魔女に、ライラが聞いた。
「あの……私にも霊薬、頂けませんか?」
「無理じゃ。もう花弁が無くてのぅ? 次の精製までに40年はかかる見込みじゃ。その時に摂取しようが、どうせお主の寿命が尽きようて」
「そう……ですか……」
「考えてもみよ。おいそれと渡せる代物でもない。霊薬が何故霊薬たるか。仮に手元にあったとて、わらわがお主にやると思うか? 些か野心が猛々しいぞ。己の言動を省みよ」
魔女に叱られ、欲をかいた言動をしたことを恥じたライラは、ブロフに背中を押されて館に戻った。
リビングで魔道書を読むエストはどこか楽しそうで、キッチンから漂う料理の香りが腹の虫を呼び起こす。
聞こえてくるアリアとシスティリアの声は騒がしく、エストの真正面に座る氷龍は机に突っ伏して寝ていた。
何とも平和な空間だが、それぞれが異常なまでの力を有している。
そんな中、風呂上がりであろうジオがタオルを首にかけて出てくると、エストの隣にどかっと座った。
「おい、クソ優秀なバカ弟子。指名依頼はどうしてる?」
「それがねぇ……来ないんだ。配慮なのか圧力なのか、僕やシスティ、ブロフには指名依頼が全く来ない」
「……アイツの根回しだな。風ガキめ」
「風ガキ?」
「ユル・ウィンドバレーだ。アイツは星付き唯一の貴族だからな。他国の者とはいえ、お前の邪魔をさせないよう動いてるんだろ」
ジオは亜空間から取り出した銀のコップに、自分の水魔術で水を注いで飲み干すと、以前二ツ星に昇格させた緑の長髪の男を思い出す。
毎月ギルド経由で届く手紙に、よくエストのことが書いてあったのだ。
一切返事は送っていないが、律儀な男である。
「お前は貴族になりたいか?」
「なりたくない」
「だろうな。今のお前に、貴族になる利点が無ぇ。聞いてみただけだ」
ジオはその気になれば国王よりも強い権力を手に入れられる。だが、そんなことをしては信用は落ち、かえって周囲に迷惑をかけると分かっていた。
社会的野心を持たぬエストにクツクツと笑い、対面に座るライラを見た。
目が合うとビクッと驚かれ、怯えたように顔を逸らす彼女に、ジオはつまらなさそうにする。
「お前、魔女になるなら俺を超えろ」
「……ど、どういうことですか?」
「そのままの意味だ。初代賢者より強くねぇと、魔女も賢者もなれねぇよ。一属性を極めるか、俺よりも多彩に使って人を助け続けねぇ限り、『ただのスゲー奴』で終わりだ」
ジオは自身を器用貧乏な魔術師と認識している。
そのため、五賢族ほどではないにしろ、弱い魔族を倒せる程度の腕が無ければ、魔女にはなることは叶わず、更なる高みへ至ることは出来ないと言う。
エストの隣に座って甘い紅茶を飲む魔女も、元は火魔術の才能があった。
適性が混ぜられ、感覚も全て変わったが、それでも魔術の鍛錬と研究を続け、ジオの隣で魔女を名乗ることを許されたのだ。
今のところ、概念としての魔女は数百年の時を生きている。
エルミリアはその心臓が影響し、ネモティラは元より精霊、そしてネルメアも過去に人間を辞めるきっかけがあった。
人の身で魔女になった者はまだ居ない。
頭がおかしくなるような覚悟の果てに魔術を極めぬ限り、ライラの目標は叶いようがなかった。
「でも……私はこの才能を役に立てたいです」
「だったら目を逸らすな。姿勢を正せ。脇を閉めろ。強さには責任が伴う。エストは魔族を殺すという責任を背負った。その嫁は一生をかけて支えることを誓った。お前は何を賭けに出す? 英雄の代償は生半可なモノじゃねぇ。覚悟を決めろ」
「わ、私は……」
逸らしていた目を伏せ、ライラは悩む。
守りたい家族を失い、伴侶と呼ぶべき人も居ない。
己か、それ以外の人のためにしか力は使えない。
魔女になりたい気持ちは、私欲。
ではその理由は。根底にある気持ちは?
彼女の中では、もう答えは出ていた。
「命……です。命を懸けて人を助け、この力を認めて欲しい……です!」
顔を上げたライラはジオと目を合わせた。
すると、唇をギュッと結んだジオだったが、堪えきれずに噴き出してしまった。
「ハッハハハ! おい聞いたか? バカ弟子。コイツ、お前が命を懸けて戦ってねぇと思ってるぞ……プフッ!」
「先生……ライラはまだ修行前の僕みたいなものだよ? それは笑いすぎ」
「はぁ? あの時点でお前は五賢族を瀕死に追いやり、嫁はゴブリンの群れを抑えていただろうが。いいか? オレンジ魔術師、よく聞け」
一呼吸の後、ジオは真剣な眼差しでライラを射抜く。
「命に価値は無ぇ。死に様で語れ。その身が朽ち果てようと人の盾になること。もう無理だと思ったら、敵に突っ込みデケェ魔術で自分諸共蹴散らす覚悟が要る。生き様で語るうちは無理だ。じっくり考えな」
「死に様……ですか」
「その点、このクソ優秀なバカ弟子はカスだぞ」
「どういう意味ですか?」
「僕はシスティより早く死なないし、僕がシスティを守り続けるからね。魔族を倒す理由も、安心してシスティと暮らすため」
「な? 俺が知り合って来た奴で、一番欲にまみれた小僧だ。だがコイツには、それを成すだけの力がある。気持ち悪ぃ奴だぜ」
「先生? ぶん殴るよ〜?」
欲も欲。これまでも、そしてこれからも見せつけられるであろうシスティリアへの愛情が戦う理由であり、賢者という肩書きへの思い入れなど一切ない。
そこがジオが面白がる点であって、魔族を倒すという目標の更に先を追い求めることから、エストなら強くなれると思ったのだ。
「まぁなんだ、コイツに着いて行きゃ分かる。お前が真に目指したいモノと、このアホがどれだけ馬鹿げた力を持っているか。劇薬みてぇな奴だからな。管理には気をつけろよ、ブロフも含めてな」
「……最後に飛び火しやがった」
溜め息を吐いたブロフは、既に管理など出来ない程に暴れ回っていると心の中で言った。
一方ライラは、楽しそうに魔道書を読むエストを眺めては自問自答を繰り返し、完全に悩みの渦に呑まれていた。
そして、遂に青薔薇が咲く時がやってくる。
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