第266話 15歳の誕生日
「ふ〜、毎年この日は大忙しだね〜」
「うむ。じゃが今年は円滑に進んだのぅ?」
「システィちゃんがノリノリだからね〜」
リビングで一息ついたアリアと魔女は、部屋全体が飾り付けされた煌びやかな空間を見渡し、テーブルを埋め尽くさんとしている料理を眺めた。
そして、その料理たちに保温の魔術を掛けていくエストはというと、透明なワンドを指揮棒のように振っている。
ひとつひとつの料理に感謝を込めながら使われる風と火の属性融合魔術だが、新たにもうひとつ、属性が加わった。
それは、氷龍が皿に手を伸ばした時のこと。
料理を覆う保温空間に触れた瞬間、バチッと静電気が弾ける音と共に、龍の目に涙を浮かべさせた。
「痛いよ盟友! 指先が焦げた!」
「あ、威力を間違えちゃってた。よかった、氷龍で。君以外が触ってたら、最悪死人が出てたかも」
「ボクの扱いがぞんざいだよ!」
新しく組み込んだ雷魔術だが、エストの想像以上に消費魔力の調整が難しく、今のままでは感電死してもおかしくなかった。
しかし威力を落としては氷龍がつまみ食いをするので、皆に料理には触れないように伝えると、エストは館を出て行った。
「忙しないのぅ。幼い頃とは大違いじゃ」
「ね〜。あんなに大人しかったのに、よく喋るし、よく笑うし、エストも成長したね〜」
「きっとシスティリアとの出会いが変えたのじゃろう。いずれにせよ、明るくなったものよ。立派になりよった」
「……寂しい?」
「……ちょっとだけじゃ。家族が遠くに行くという経験は初めてじゃからの。わらわも少し、戸惑っておる」
「ん〜、ウチも〜。小さい時は〜、お姉ちゃんと結婚すると思ってたのに〜」
「ほっほっほ。本気ではあるまい」
「え? ウチ、本気だったけど」
「ほ?」
魔女が笑顔のまま固まっていると、外で草木がざわめいた。
突然、コンコンとドアがノックされ、返事の後に入ってきたのは自然の魔女ことネモティラだった。
真冬だというのに露出の多い翡翠色のドレスに身を包み、誕生日を祝うパーティということでドレスコードを守ったらしい。
しかし、外で皆が普段通りの服装でいることを見て、落ち込んでいる雰囲気を放っていた。
「人間社会に合わせた初めてのおでかけだったのに……! 私の気持ちを弄んだわね! 賢者エストめ」
「その姿を見せれば、エストも喜ぶじゃろう」
「……ふん! 私の同行を断ったくせに、ひょいひょいと人間の仲間を連れてるヤツに見せるドレスじゃないわ!」
「わ〜、エストってば大人気〜」
「人気ぃ? この私が惚れてるみたいな言い方、やめなさいよ。あの妻に勝てる女は居ないわ。獣人最強よ」
生活面しかり、戦闘面しかり。ネモティラが知っている限り、システィリア以上にエストと合う女性は居らず、誰もエストを奪えないことは周知の事実だった。
せっかくドレスを着てきたネモティラだったが、皺がつくことも恐れず椅子に座った。
その瞬間、ドレスが淡い緑に輝き、白と緑のオーバーサイズのシャツに変わる。
締まった服装が一気に緩くなると、その温度差にアリアが苦笑いで見つめていた。
少ししてエストが帰ってくると、椅子に座って足をぶらぶらさせるネモティラを見ては、
開口一番に──
「ネモティラ、少し太った?」
「は? 殺す」
デリカシーの欠片も無いエストの発言に、首を絞めようと手首から蔦が伸びた。しかし、エストは極めて冷静に術式を破壊して蔦を払うと、来てくれたことに感謝を述べた。
「ありがとう。これで全員揃った」
「……賢者エスト。あのオレンジ女は誰?」
「ライラのこと? シトリンで見つけた、3つの適性持ち。面白そうだから仲間にした」
「この私を差し置いて? 私なら7つも使えるけど?」
「でも精霊だし、一緒に死ぬには存在が大きすぎる……ってそれ、前にも言ったよ。そんなに仲間になりたかったの?」
「……べつに。しらない。ふんっ」
昔のシスティリアを思い出す拗ね方に、エストは内心で『面倒くさぁ』と思いながら、外に居た皆を集めてきた。
そうしてブロフがネモティラに跪いて挨拶したり、ライラが3人目の魔女を前に気絶していると、氷龍が膝をつき、ネモティラより少し視線を下にして話し始めた。
「こんな所で会うなんてね、氷龍」
「盟友の繋がりのおかげです、ネイカ様」
「ここではネモティラよ。っていうかここに居る人間、気持ち悪いくらい強いわね!」
最後に来たネモティラ含め、異常なまでの戦力が集まっていた。この集団だけで、王国、帝国の二国を武力で乗っ取れる程に異常なのだ。
改めてエストの縁の異色さを実感しながら、遂にパーティは幕を開ける。
魔女エルミリアが立つと、皆の視線が集まった。
「さて、まずは息子の誕生日を祝うため、集まってくれた皆に感謝する。エストも15になり、自立もした。わらわの元を離れ5年が経ち、妻となるシスティリアを連れ、仲間のブロフとライラと共に帰ってきた」
「……まだまだガキだけどな」
「魔族と戦う宿命を背負い、既に五賢族を3体も
「師匠、長い」
挨拶を断ち切ったエストを見て、魔女は手元のグラスを掲げた。
「ええい、誕生日おめでとうじゃ! 乾杯!」
「「「乾杯!」」」
全員に注がれたワインを掲げ、遂に誕生日パーティが始まった。
明らかに10人前どころの量ではない料理から、テキパキと取り分けていくシスティリア。皿に持った料理をエストに渡すと、嬉しそうに笑って食べ始めた。
「ん、美味しい! 味付けはシスティで、焼き加減はお姉ちゃんかな?」
「……よく分かったわね?」
「ふっふっふ。僕は誰よりもシスティの料理を食べてきたからね。全部お見通しだよ」
「えへへ、じゃあこっちも食べてみて。ソースの隠し味を当ててちょうだい。はい、あ〜ん」
「あ〜ん……おおっ」
顔を赤らめたシスティリアに食べさせてもらったのは、エストの大好物であるワイバーンの腹肉ソテーだった。
ほろりとほどけるような食感と溢れ出す肉の旨み。脂の乗った腹肉だが、さっぱりとしたソースが食欲を誘い、更に旨みを増させている。
そんなソースの中に感じる、僅かな甘み。
優しく香る花の匂いが隠し味のようだ。
「蜂蜜?」
「正解! このソースはシトリンで狩った料理人に教えてもらったの! 分量を変えてエスト好みにしたわ」
「凄いよ。本当に美味しい。1頭食べれそう」
幸せそうに食べるエストを見ながらワインを飲むシスティリア。彼女も彼女で食べているのだが、次第に酒が回り、尻尾のように体が揺れ始める。
このままでは大変なことになると思い、システィリアの飲み物をブドウジュースに差し替えれば、ジオがエストのグラスに酒を注いだ。
「お前もデカくなったなぁ? 拾った時はチビだったくせに、もう俺ぐらいの身長だろ?」
「そうだね。いずれは見下ろしてあげるよ」
「口もデカくなりやがって……まぁいい。おめでとう。残りも頑張れよ」
「ありがとう先生」
「俺の方こそ、脚の件で感謝してる」
カツンとグラスを打ち鳴らすと、ジオはライラたちの方へ歩いて行った。すると次はネルメアがやって来ては、同様に祝いの言葉を受け取った。
「そうだ、エスト君。この間炎龍の魔石がオークションに出ていたが知っているか?」
「……それ、僕とシスティが倒したやつだね」
「やはりか。出品者はファルム商会だったが」
「ファルムに売って路銀にしたんだ。おかげでシスティの機嫌も良くて毎日幸せ」
「何を言う。君らはお金が無くとも幸せだろうに。ははっ!」
実際そうだろうと思い、隣に居るシスティリアを見たエストだったが、とろんと蕩けた黄金の瞳と目が合うと、両手を伸ばして抱きつかれた。
するりと去って行ったネルメアは席に戻り、2人の様子を眺めていた。
「むぅ。エストのまわり、女多い。むかつく」
「ガリオさんとかファルムとか、男の人も多いよ?」
「女はみんな色目つかってる。アタシのエストなのに……ゆるせない!」
少し呂律が回らなくなったシスティリアは、抱きついたままエストの頬にキスをした。しかしそれでも足りないのか、何度もキスをすると、唇も奪ったのだ。
「……ソースの味がする」
「システィも食べよ? いっぱい働いてくれたんだから、その分食べないと」
「うん……あとでお風呂」
「一緒に入るから安心して。はい、どうぞ」
「ありがと……」
手際よく料理を持った皿を渡すと、システィリアはエストを離した。手馴れた対応にアリアが感心していると、魔女が歯を食いしばっていた。
「どしたの、ご主人」
「ぐぬぬ……システィリアのせいで、わらわはエストと一緒に風呂に入れんのじゃ! あやつばかりエストを独占しよって、ずるいと思わんか!」
「……ご主人? エストはもう大人で、男の子なんだよ? いつまでもお母さんと一緒じゃないよ?」
「じゃが……」
「エルってば、そんなに賢者エストと風呂に入りたいの? 意外ね」
「……昔は洗いっこしてくれたものでな」
「ご主人の感覚で昔って……」
「昔は昔じゃ! わらわの時間感覚はエストと同じじゃ!」
「エストに貰った時計、ずっと大事に使ってるもんね〜」
「うむ……大事な時計じゃ」
上手く風呂から時計に話題をズラしたアリアは、そっと魔女のグラスに火酒を注いだ。
この酒は、エストがフラウ公国で買ったお土産である。ギャンブルで生計を立てていた情報と共に受け取ったのだ。
酒場の店主が推す酒だけあり、強いアルコールの中に封じられた繊細な香草の香りが鼻を抜け、魔女はふぅっと息を吐く。
「良い酒じゃのぅ」
「ギャンブルだけで稼いだお金らしいね〜。ウチもこれ好き〜」
「エストにギャンブルの才もあるとはのぅ」
「天運に恵まれた子だよ〜……本当に」
アリアは精霊を信仰していないが、もしラカラ教徒であれば、間違いなくエストのことを精霊に愛された子だと言うだろう。
運を実力の土俵で引き出せる腕と、窮地に微笑む精霊が居ることは、左隣に座るネモティラを見れば分かる。
この場に精霊が居るなど、本来なら有り得ないことだ。おまけに氷龍すらエストと共に料理を食べ、満足気に笑っている。
あまりにも異質な存在同士が、調和を保って楽しんでいるのだ。
「凄い子じゃ……わらわの誇りじゃぁ」
「大変。ご主人が酔っぱらっちゃった〜」
「……面倒になるわね。水飲ませなさい」
「は〜い……あ、間違えた。これお酒」
エストが独り立ちした寂しさに、泣き上戸の魔女はボロボロと涙をこぼしながらアリアの胸に顔を埋めた。
これはしばらく泣きっぱなしになると思い、ネモティラはそっと距離を置き、グラスを片手に席を立った。
完全に逃げられてしまったアリアは、20年ぶりに思い出した魔女の酒癖に、仕方なく付き合うのだった。
「エストぉぉ……おぉぉぉぉん!!!」
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