第267話 何気ないひととき
「ん……んごっ……動け…………ない」
誕生日の翌朝。エストは全身が重かった。
昨夜はシスティリアだけでなく、エストもそれなりに酒を飲んでいたせいか、服がはだけた彼女を何とかベッドに運んだところまでは覚えているのだが、その後が思い出せない。
寝相で咥えていたシスティリアの耳を離すが、左腕が抱きしめられたままであり、胸と腕、そして太ももで挟まれているために身動きが取れなかった。
「んっ……やっ……」
何とか引き抜こうと腕を前後に振ると、艶っぽい声が耳をくすぐる。
背中を一本指で撫でられたような感覚に体を震わせるエスト。これ以上動かすと理性が保てなくなると思い、申し訳なさそうな表情で右手を伸ばした。
システィリアの耳を優しく掴むと、唾液で汚れていた部分を洗うように
「ふみゃぁぁぁっ!? なぁにぃ!?」
「う、腕を……血が止まってる……」
「あら、ごめんなさい。寝耳に……水?」
確かに文字通りの意味であることにエストが笑い出すと、ぽかんとしていたシスティリアが頬を膨らませ、エストの唇にキスをした。
「も〜っ! 二度寝できないじゃない」
「もう8時だよ? 二度寝はダメ。朝ご飯食べて打ち合いしたら、ちょっと遠くまで散歩に行こう」
「……そういう、ことなら……行ってあげなくもないわっ。どうしてもって言うのならね!」
「どうしても、だよ。ほら起きて」
窓から差し込む朝日を浴びて、う〜んと伸びをするシスティリア。はだけたシャツから覗く腹筋は美しく、尻尾を手ぐしで整えてから立ち上がった。
エストが窓の外を見ると、ちょうど魔女とアリアが青薔薇の落ちた花弁を集めているところだった。
青薔薇は他の薔薇とは違い、咲くために大量の魔力を使うため、咲き続けることが出来ないのだ。
真っ青に染まる優雅な花弁が落ちた地は永劫の豊穣をもたらす、なんて逸話もあるほどに、花弁の貴重性が高い。
親指ほどの花弁一枚の魔力量は、なんとワイバーンの魔石に匹敵する。そのため、通常の土壌では一瞬にして土が死ぬ。
豊穣をもたらす前に青薔薇が土の養分となる魔力を吸いきるので、逸話の現実というのは、もとより豊かな大地に青薔薇が咲いたに過ぎないのだ。
「な、なんだこれ……やけに疲れてると思ったら、手のひら氷龍が10匹も……」
リビングにやって来た2人が見たのは、食器が片付けられていないテーブルの上を闊歩する、小さな、それは小さな氷龍の像だった。
トコトコと歩いては他の氷龍とぶつかり、ひっくり返って暴れては起き上がる。
「わ〜! 可愛いドラゴンね!」
「……僕、これ無意識でやってるの?」
酔った勢いで使った魔術なのだろうが、今のエストに手のひら氷龍を操作している感覚はなく、これこそが氷龍の魔力に適応した結果なのだと実感した。
ただ身体能力の強化や氷龍と会話が出来るだけでなく、異常な程に氷の扱いに長けていた。
エスト自身でも驚く技術を前に、システィリアは1匹の氷龍を耳と耳の間に乗せると、そのまま台所へ向かった。
保存庫にある適当な食材とパンを取り出すと、エプロンを着けた彼女を眺めながら、エストは頬杖をつく。
「いいなぁ。僕もシスティの耳に挟まれたい」
「なに言ってんのよ。おっぱいに腕を挟まれて、耳まで咥えてたじゃない」
「……確かに。その子は無罪にしてやる」
「アンタ、自分の魔術に嫉妬してるの?」
「別に? 見方を変えたらその氷龍も僕自身って捉えられるから」
「はいはい、よ〜く伝わったわ。ご飯、もうちょっとで完成するから、テーブルの上、片付けてちょうだい」
エストは皿を重ね、スプーンやフォークなどの食器を集めていると、手のひら氷龍が一列に並んで見守っていた。
次は本物と同じ大きさで作ってやろうと思い、9匹を消すと、流し台に運んでは灰を混ぜた
食器洗いは幼い頃からよくやっていた。
アリアから『後片付けまでが料理』と習い、出来ることなら調理と並行して洗うことが理想だと、効率的な料理の手順を教わったこともある。
今ではシスティリアに任せっきりだが、こうして皿洗いくらいはエストも手伝う。
「あ、ごめんなさい」
「いいよ〜」
システィリアの切った野菜からエストの方へ水が飛んだ。謝罪の意がこもった尻尾の先でお尻を撫でられ、後でブラッシングをしようと言う。
昨日は泊まっていったはずのジオやネルメアたちは、まだ起きてこない。
程よく小さな台所に2人で立つ幸せを噛み締めていると、玄関の方からガチャりと聞こえ、魔女たちが帰ってきた。
「む? おはようじゃな、エスト、システィリア。今年も良い青薔薇の花弁が手に入ったぞ」
「あ〜! エストが皿洗いしてる〜! お姉ちゃん思いでやっさすぃ〜!」
最後の皿を洗い、
「残念だったね、お姉ちゃん。僕はシスティに言われるまでやる気が無かったよ」
「オォゥ……でもありがとね〜! システィちゃんもっ!」
「は〜い。アリアさんたち、朝ご飯は?」
「なんとね〜、これから食べに行くの〜! ご主人が王都の高級レストランに連れてってくれるんだって!」
「2人も……来るかのぅ?」
「ううん、システィが作ってくれたの食べる。そうだ、お姉ちゃん。あのクッキー買ってきてよ。お金は後で払うからさ」
「え〜? しょうがないな〜。でもお代はお姉ちゃん持ちね。ささやかな誕生日プレゼントだよ〜」
そうして青薔薇を保管しに行った魔女が戻ってくると、終始嬉しそうなアリアと共に空間転移で王都へ旅立った。
食器洗いが終わると、ちょうど盛り付けも終わったシスティリアが皿を並べており、2人で向かい合って座る。
本日の朝食は余り物のオーク肉を薄くスライスし、サラダを巻いたものと、ワイバーンとオークの骨から出汁をとった、温かい野菜スープだった。
デザートには果物が3種類カットされており、栄養面もしっかり考慮された、至高の逸品が並んでいる。
「いただきます。……あぁ、幸せ」
「ふふっ、余り物だけどね」
「関係ないさ。僕はこれだけ美味しくて、愛情たっぷりのご飯が食べられたら幸せだよ。このスープも、あっさりしてるけど旨みが深い。体が温まるね」
「ワイバーンの骨髄は滋養強壮に良いらしいわ。骨を砕いた薬もある程よ」
「……はぁい」
「ちなみに、レポスの球根を刻んで入れたわ」
「僕それ知ってる。惚れ薬を作ろうとした魔術師の手記にあったよ。確か、かなり強力な媚薬の材料とか……はっ、まさか」
「体……ポカポカするわね」
「……ス、スープが温かいからだよ」
朝からとんでもない成分を摂取したエストたち。
しかし、その甲斐あってか朝食後の打ち合いは普段以上に集中でき、滋養強壮も鍛錬に取り入れるべきか、2人は真剣に考えたのだった。
強い体を作るには、まず食事から。
これからはレポスの球根を持ち歩くか議論を交わし、シャワーを浴びるエストだったが、そろっとシスティリアが乱入した。
「あぁ、うん……球根はナシの方向で」
「ふふふっ。あと幾つ残ってるか、知らないでしょう?」
「……今日は散歩の体力を残してください」
「分かってるわよ。まだ朝よ?」
「分かってたらレポスを入れないから!」
そうして、2人が浴室から出てくるまでに、ネルメアたちが起きて来たのだった。
これから散歩に行くという時、ライラがボソッと『なんだか色っぽい……?』と呟いた瞬間、エストが肩を跳ねさせたのは秘密である。
そんなエストの腕を抱きながら、システィリアは玄関を飛び出した。
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