第141話 高い技術と練習法


「あの、お客様、事前にお知らせを……」


「ごめんね。それで2人は?」


「こちらに向かわれています」



 息を切らしながら王族の来訪を伝えに来た宿の職員に、風呂上がりで気分の良いエストは笑顔で対応した。


 次からは気を付けると言うと、執事を連れた2人の王女が廊下を歩いて来ていた。ドアから顔を覗かせ、軽く手を振って呼ぶと、数人の職員が緊張に身を震わせながら部屋に上げた。


 ルージュレットは小さく『お邪魔します』と言って上がったが、シェリスはエストを見つめるだけだった。



「わぁ、とても広いお部屋ですね!」


「……あれも貴方の荷物?」



 応接室に案内しようとすると、シェリスがベッドの上の背嚢に指をさす。

 大きな荷物が2つあることから、疑問に思ったようだ。



「あれはシスティのだよ」


「システィ……?」


「パーティメンバーで、僕の婚約者」


「そうですか……って」



「「婚約者!?」」



 2人して大きな声で驚くと、それぞれの執事から注意が入った。シェリスはともかく、ルージュレットは対抗戦でのメルとの一幕を見ていたために、その名前ではなかったことに口を開けていた。



「お、おめでとうございます!」


「……本当に賢者なのですよね?」


「あれ? 賢者って言ったっけ?」


「えっと、それは……」



 言い淀むシェリスだったが、直後に本人からどうでもいいことかのように語られる。



「まぁいいや。それより新理論の話をしよう。前にルージュに教えたのとは違って、これは万人に使える理論だから、知っておいて得しかないよ」



 己が賢者であることに一切の興味が無いのか、一足先に応接室に入ったエストは土像アルデアで大きなボードを壁に立てた。


 執事と一緒に2人が入ったのを見て、早速本題に入るエストに困惑するシェリス。


 隣に座るルージュレットを見るも、既に彼女は皇女から魔術師の目に変わっており、真剣に話を聞く姿勢をとっていた。



 ボードに一般的な初級魔術の魔法陣が描かれると、エストはその中の構成要素を拡大し、魔力の流れを描いて見せた。



「僕が見つけたのは、遅延詠唱陣とは違う、魔術そのものを遅くする理論……理論じゃないや、技術だね」



 2人の前に風球フアの単魔法陣を出すと、これが通常の魔法陣だと言うエスト。

 そしてもうひとつずつ魔法陣を出し、それが今回見つけた魔術自体を遅くしたものだと言う。



「発動してないけど、違いは分かる?」


「陣の回転速度が異なります。2つ目の方は、やけにゆっくり回っています」


「その通り。常識として、強力な魔術は早く陣が回転するのは知ってると思うけど、なぜかその逆については誰も考えてなかったんだよね」



 魔法陣とは、流す魔力が増えるほどに早く回転し、大抵はその回転速度から威力を読んで防御するものだ。

 ちょっと魔術を勉強すれば分かる内容に、シェリスは今更そんな話かと落胆する。



「当たり前です。そんなの、戦闘にも生活にも役立ちません。新理論としては弱すぎますよ?」


「威力が落ちてるからね。使う価値が無い」


「でしょう? はぁ、賢者と言っても所詮──」


「まぁ、僕が見つけたのは威力がそのままなんだけど。大体、魔法陣見て気づかない? 2つは全く同じ消費魔力、循環魔力をしているのに、ただゆっくり回っているんだよ。この意味、分かる?」



 出力自体は変わらないのに、ただ魔術が

 その重要性に気がついたのは、執事を含め、4人の中でルージュレットだけだった。



「戦闘ならフェイントに。生活では……そうですね。火の維持や貯水、建築の骨組みでも活躍できそうです」


「半分正解かな。今までは循環魔力を増やして維持していたものを、そのロスを減らして持続させられるんだ。時間をかけたい時なんかは役立つよ」


「……でも、それが何になると?」


「君はもっと頭を使って。この技術の本質は遅くすることじゃないよ」



 エストはそう言いながら3つ目の魔法陣を出すと、全く同じ構成要素をしながらも、1つ目より倍の速さで回転させていた。


 これこそがエストの見つけた技の有用点であり、それは執事たちも瞬時に理解するものだった。



「遅くできるなら当然、速くできる」


「……嘘っ」


「これは……恐ろしい技術ですね」


「そう言うと思って公表してないよ。犯罪に使われるリスクを考えたら、黙ってた方が世のためになる」



 本当は時空魔術……否、時間魔術の発見のために試行錯誤していたところ、偶然編み出した技術である。

 単純に発動速度を早められるこの技は、今までの魔道書には書いていない技術であり、システィリアで実験して分かったのだが、誰でも再現できるということ。


 練習すれば身につけられるというこの技術は、容易に市井に流れれば犯罪に活用されかねない。


 ゆえに、公表したい気持ちを抑え、魔術師として仲の良いルージュレットには教える気になったのだ。



「──あれ〜、エスト〜? 帰ってるの〜?」



 と、ここまで教え終わったタイミングで、服を買いに行っていたシスティリアが帰ってきた。

 ベッドでゴロゴロしておらず、応接室で聞こえた話し声を辿って入って来ると、凄まじい気品を放つ少女と2人の執事を見て固まった。


 数回瞬きをしてボードの前に立つエストを捉えると、唐突に後ろから抱きしめた。



「ア、アタシのエストだから! あげない!」



「……あら、まさかAランク冒険者のシスティリアさんではなくて? もしやエストさんの婚約者とは……」


「ああ、うん。彼女だよ。可愛いでしょ」


「……冷狼のシスティリア。私でも聞いたことがあります。確か、2年前のワイバーン単独討伐とか」



 レッカ帝国を中心に活動していたからか、ルージュレットは知っている様子だったが、リューゼニス王国でもシスティリアの名前は轟いていた。


 ワイバーンの単独討伐が話題に挙がることが多いが、それはアリアによって嫌々戦わされた結果である。



「以前お見かけした時は誰も寄せ付けない雰囲気でしたが……エストさんの前だと、とても素敵な女性ですね」


「ふ、ふ〜ん? 素敵な女性ですって」


「でも僕はシスティがもっと魅力的な女の子だって分かってるよ」


「ふふんっ! そ、そういうアンタも……カッコイイわよ。誰よりもね」


「……ルージュ、なんですかこの2人。見ていると無性に腹が立ちます」



 目から光を失ったシェリスが、ルージュレットの腕を掴みながら言う。

 まぁまぁと言って宥める彼女もまた、魔術の話から一転、目の前でふたりの世界に入られると青筋が浮かぶ。



「それで? 板を見るに加速陣の説明かしら?」


「システィリアさんはご存知なのですか!?」


「ええ……って、確か皇女様と王女様よね。申し訳ないわ、エストが無礼をしていたらごめんなさい」


「いえいえ、ここでは無礼講ですので。それより、どのようにしてこの技術を?」


「確か……お茶を回したはず」



 お茶? と疑問符を浮かべる2人の前に、透き通った氷の器に八割ほど水が注がれた。

 システィリアに抱きつかれながらも完全無詠唱で作り上げたそれに、シェリスだけでなくルージュレットもまた目を見張る。


 一切の陣が見えない発動速度と魔術の精緻さに、これまで舐めてかかっていたシェリスはギョッとした目でエストを見た。



「はい、まずは細い棒から。これで水をかき混ぜるんだけど、その時に泡と音を立てないように回すんだ」


「は、はぁ」


「ある程度の速度が維持できたら、それを魔法陣に落とし込むようにすれば簡単に覚えられるよ。まずはやってみて」



 差し出されたガラスのような氷の棒を握ると、2人は水の入った器をかき混ぜ始めた。

 ちゃぷちゃぷと音を立てないように、それでいて中心の渦から泡を立てないように気をつける。


 大体1秒足らずで一周が混ぜられるようになると、エストから声がかかる。



「今限界だと思っている速度が、現状でできる最大の加速だね。システィ、お手本を」



 2人の前にある物と全く同じ物が彼女の前に現れると、システィリアは目で追えない速度でかき混ぜていた。

 1秒で3周半という速さと、全く音と泡をを立てずに混ぜる技量に空いた口が塞がらない。



「一応言っておくと、エストはアタシより速いわよ。先に魔法陣を終わらせてから、この練習法を編み出していたもの」


「まぁ2人も練習すれば、加速陣が使えるようになるよ。この技術をどうするかは2人に任せるけど、くれぐれも気をつけてね」


「もちろんです。エストさんの魔術には驚くものが多いですが、まさかこんな練習法まであるとは思いもよりませんでした」


「……来て良かったです。とだけ」



 本当に新理論という名の技術を教えるだけで帰っていく2人に、エストだけでなく執事の面々も背筋が伸びた。


 ルージュレットは問題ないとして、光の適性を持つシェリスの魔術が気になるエストは少し残念そうに見送った。


 その様子を見てか、妬いたシスティリアが自信満々に光魔術を見せつけ、部屋がずっと明るいままである。



「多分、明日も来るわよ、アレ」


「……そう?」


「きっと、自分たちの宿に戻ったら死ぬほど練習するもの。それだけあの技術は学ぶ価値があるってことよ」


「そっか……じゃあ明日まで休みにしよう」



 明後日から炎龍に向けての行動を始めることにすると、システィリアのミニファッションショーが始まった。


 普段の軽装備とは違う女の子らしい姿に、エストは静かに拝んでいた。



「はぁ……システィが可愛くて胸が痛い」


「ふふっ、それが恋って言うらしいわよ」




「僕は何回君に恋したらいいんだ……?」

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