第373話 澱みの対策


「ごめんくださーい」



 陽も傾き始めた午後4時半。

 ログハウスのドアがノックされると、聞き慣れた声と異様な魔力を嗅ぎとったシュンが立ち上がる。



「ごめんくださ〜い」



 シュンは器用にも研究室のドアを開けると、新たな薬の調合をしているジオを呼び、手を止めた彼は玄関前に立つ。



「ごはんくださーい」



 キィ、と音を立ててドアを開けた瞬間、やけに顔色が悪いエストと不貞腐れた氷龍の分身体を見て、ジオはドアを閉めて鍵をかけた。



「先生? 弟子が野垂れ死ぬよ?」


「人間の魔術師? 盟友が野垂れ死ぬよ?」


「帰れ! お前ら2人が揃って良かった試しが一度も無ぇんだよ! 野垂れ死ねバカ弟子ども」



 強引にドアを開けようにも土の壁でしっかりと塞がれており、雪の上に佇む2人は互いに顔を合わせると、同時に頷いた。


 そして氷龍が一歩前に出ると、右手の拳を握りしめ、刹那に魔力を爆発させて打ち込んだ。


 しかし、流石は初代賢者。

 殴られることを想定していた土の壁は柔らかく、ぐにゃりと凹んで衝撃を吸収されてしまった。



「むむっ。かくなる上は本体で──」



 ムスッと頬を膨らませた氷龍が家の前の本体に戻ろうとした時、土の壁が消えてジオが現れた。



「ふざけんな! ったく……何の用だよ」


「お腹空いた。強い魔物倒す。家まで送って」


「簡潔にクソみたいな仕事を並べたな。帰れバカ野郎」


「ボクには何も聞かないのかい?」


「……何しに来たんだよ」


「盟友を連れて来ただけさ」


「マジで何しに来てんだ? お前は帰れ!」



 氷龍はエストと居る場合は大人しいため、ジオは露骨に『会いたくない』と書いたような表情を浮かべるが、弟子を帰らせるわけにはいかなかった。


 というのも、エストが魔力欠乏症であることがひと目で分かる顔色をしているのだ。帰らせるにしても、何か食べさせてやらねば危険な状態である。


 仕方なく2人を家に入れると、エストはソファで横になり、氷龍は暖炉の傍で温まるシュンを撫で始めた。



「盟友。娘ちゃんの名前は決まったのかい?」


「は? お前、娘が産まれたのか?」


「2ヶ月前にね。名前はエフィリア。この世でシスティに並ぶ一番可愛い娘だよ」


「……報告に来いよ」



 台所に立つジオが寂しげに呟くが、氷獄にまで報告に行くのは危険かつ面倒極まりない。雪山の荒れ狂う魔力でエストは転移出来ず、かと言って魔女に頼ってまで行くのも億劫。


 冒険者ギルドにジオが来たら渡すように手紙を預けてあるが、顔を出していないようだった。



「適性はお前譲りか?」


「システィに似てすっごく可愛いんだよ。目元とかそっくりで、耳も小さいけど立派で……」


「コイツ話が通じねぇ」


「多分、空間と光だよ」


「4代目賢者か。いや、魔女か?」


「賢者は僕で充分。魔女もライラが狙ってる。エフィリアには自由に生きてほしいんだ」


「自由に生きた結果、お前は賢者になったがな」


「うわぁ、人の心を思えない人間だぁ」


「お前の方が鈍いだろうが!」



 そんな言い合いを聞きながら、ひたすらシュンを撫でる氷龍。

 白狼の肝の太さは尋常ではなく、龍を前にしてもリラックスしている姿には、氷龍も顔を埋めて堪能していた。


 その後もエフィリアについて話しているエストに、ジオが香辛料たっぷりの肉を挟んだパイを提供した。


 部屋が食欲をそそる良い香りに包まれ、空腹の赴くままに口に運んだ熱々のパイは、肉の臭みを消して旨みを増した最高の仕上がりになっていた。


 昔のような味が分からなくなるほどの量は使われておらず、適量を学んだジオの料理は“美味しい”部類に入る。



 段々と顔色が良くなるエストに、対面に座ったジオが聞く。



「で? 話の続きだ。メシは食わせた。強い魔物って何だ?」


「それはボクが教えるよ」


「……大体察しがつく。話してくれ」



 嫌な予感がしたジオは、真剣な表情で顔を向けた。


 出来れば予想は外れていてくれ。そう願うジオだったが、氷龍の口から語られた古い魔物の話を聞いて、背筋が凍る思いでエストを見た。


 無表情で、何も言わず、ただ食べる手を止めないエストの思いは見えず。しかし未来を憂い、戦うと決めた3代目賢者がそこに居た。



「お前……まだ戦うのか?」


「戦うよ。家族を守るためなら」


「……ったく。俺も暇だから手伝ってやる」


「暇じゃない時、あるの?」


「あるわボケ! 特にお前絡みでな!」



 ジオの不老ジョークは気に入らなかったらしい。

 食べ終えた食器を洗って差し出したエストは、ソファの上で体を伸ばし、魔力の循環を整えた。


 快復には程遠いものの、体が軽くなる感覚に安心する。近いうちに時間魔術の研究もやりたいと思いながら、氷龍に問う。



「ねぇ氷龍。澱みの中で活動するにはどうしたらいいの?」


「凍らせるしかないさ。魔力をね。あの魔力には精霊の力が宿っているから、いくら盟友でも数秒で死ぬよ」


「……じゃあ僕、あんまり戦えない?」


「あの人間たちが盟友ほど強いなら、盟友は魔力の対処だけで済むだろうね」


「凍らせる以外の対処法は?」


「無いよ。断言する。あれだけの力を持った魔物は、魔素から止めないと盟友の方が喰われてしまう」



 戦闘中、澱みを凍らせ続けるにはまだまだ魔力量が足りない。この氷獄で鍛えたエストですら、魔素を停止させる温度は数十秒しか維持出来ないのだ。


 そのため、勝利の鍵は魔力を熾し、氷龍の力を十全に使えるようになることだった。


 完全に熾した魔力なら、数十分は維持出来る。作戦決行まで鍛え続けるしかないと知ったエストは、静かに頷いた。



 すると、おもむろにジオが立ち上がり、転移の準備を始めた。



「転移すんだろ? こんな時間だけどよ」


「待って、少しだけ練習させて。魔力のおこし方、まだ完全には掴めてない」


「……はいよ。氷龍も来るのか?」


「ボクは行かない。勝利報告を待つだけさ」



 迂闊に氷龍が外界に出れば、ニルマースの炎龍よりも甚大な被害を撒き散らすだろう。

 これから秋に向かう国境付近が極寒の真冬に変わるようなことがあっては、かえって状況を滅茶苦茶にしてしまう。



「そうか。中々上手く行かねぇもんだな」



 それから2時間ほど、また魔力制御に集中するエストを横目に、ジオは魔道書を読み、氷龍はシュンを撫でた。



 日も暮れて気温が下がった氷獄の中、2人は巣に戻る氷龍を見送ることにした。



「またね、氷龍。吉報を待ってて」


『もちろんさ! 次は娘ちゃんにも会わせてよ!』


「君を連れて来た方が早いかな」


『だったらボクを連れ出しておくれ』



 顔を前に出した氷龍がエストに鱗を撫でられると、ジオには何も告げずに飛び去った。


 吹雪のような雪煙を纏いながら飛ぶ姿は、災害が命を得たと表すに等しい。そんな氷龍に手を振る弟子を見て、ジオはエストの肩に手を置いた。


 そして視界が一瞬にして魔女の森に移ると、エストはジオの顔を見て言う。



「ここじゃないよ」


「引っ越したのか? 何百年ぶりだよ」


「師匠たちは一時的だけどね。レガンディ郊外に家を建てたんだ」


「……ああ、見付けた。魔女アイツによろしく言っておいてくれ」



 超広範囲の魔力探知で家を見付けたジオは、また一週間後に来ると言って帰ってしまった。

 エストには隠しているが、ジオは今も霊薬の研究を続けている。真面目な姿を見せたくない彼は、弟子に勘づかれる前に立ち去ったのだ。


 満天の星の下、ひとり残されたエストは半透明な魔法陣を踏む。

 一瞬にして家の前に転移するが、エストの頭はふらふらとしており、魔力欠乏症に陥っていた。



「あぁ……ヤバいかも」



 疲労と欠乏症の2本の矢が刺さったままの転移は、流石に負担が大きいらしい。何とかドアを開けると、家族の談笑する声が聞こえてくる。



 ドアの開閉音を聞き、真っ先にシスティリアが玄関にやって来ると、尻尾を振って抱き締めた。



「おかえりなさいっ!」


「ただいま、システィ……」


「ちょ、ちょっと! エスト?」



 システィリアを抱き返したエストは、彼女の耳と耳の間に顔を埋めたまま、穏やかな寝息を立て始めたのだ。



「……相当疲れてるのね。色んな匂いがする」



 森の匂いや、上等な紅茶とクッキーの匂い。冷えたローブと髪に付いた氷の粒。システィリアにしか分からないような顔色の変化に、少し乾いた唇を見て、まともな休みもなく動き続けたのだと推測出来た。


 靴を脱がせ、お姫様抱っこでエストを持ち上げると、皆の視線を集めながら寝室へ向かうシスティリア。



 ベッドに寝かせてからローブを脱がせると、全身が凍ったような跡が見て取れた。



「もうっ、アンタねぇ……無理しちゃダメじゃない。アンタだけの体じゃないのよ?」



 頬を撫でたシスティリアが、エストの唇にキスをする。氷のように冷たい唇を温めてあげれば、エストの表情が柔らかくなった。



「ふふっ……大好きよ。ゆっくり休みなさい」

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