第374話 信頼は蜜の味


「ん……うぅ……ねてた」



 格段に頭の回転が遅くなったエストは、外でピィピィと鳴くネフの声を聞いて目を覚ました。

 心地よい絹布団の感覚とシスティリアの体温を全身で感じると、再び瞼が重くなる。


 このまま寝てしまおうか。


 そう考えた瞬間、何故か裸であることに気が付いた。

 エストに抱き合うように眠るシスティリアも一糸纏わぬ姿で寝ており、柔らかい肌にそっと触れたエストは、彼女の耳の間に顔を埋めた。



「……いい匂い」



 爽やかな石鹸の香りが鼻をくすぐり、全身に熱が差す。深呼吸をして平静を維持したエストは、エフィリアの気配を捜した。


 すると、向かいの寝室──アリアとウルティスの寝室から元気な魔力を感じ取った。



「……えすと、おきたの?」


「うん。おはようシスティ」



 魔力探知で目を覚ましたシスティリアは、宝石よりも美しい瞳でエストと見つめ合う。蕩けた表情でエストの胸に頬擦りをすると、狼の耳でエストの顎をくすぐった。


 こそばゆさに耐えかねたエストが思わず抱き締めると、幸せそうにシスティリアが脱力し、全身を密着させた。



「あら、アタシの色気にやられちゃった?」



 頬を紅く染めながら妖艶な笑みを浮かべ、ちろりと舌なめずりをするシスティリアが耳元で囁く。

 エストの理性を溶かすには充分な刺激を与えたところ、彼は素直にシスティリアの背中に手を回した。



「アタシが欲しい? 食べちゃいたい?」


「食べるよ。余すことなくいただきます」



 充分な睡眠をとったエストの体は、回復を終えて他のことが出来るくらいに軽くなっていた。



「……ふふっ。ここ数日、アタシがどれだけ寂しい思いをしたか、しっかり味わってもらうわ」


「僕だって、システィと離れて寂しかった」


「じゃあ、お互いに満たしましょ。寂しさ対決ね。先に満足した方が負けよ」


「受けて立つ。負ける気がしないね」




 そして、時は流れて昼下がり。


 リビングでは昼食を終えたアリアたちが座っており、エフィリアの世話をするか、魔道書を読むなりしていた。

 


「う〜ん、心配だな〜」



 朝から何も食べていないのはマズいと判断したアリアは、2人を起こしに寝室へ向かう。ドアの前に立ち、ノックしようとした瞬間……嫌な予感が走る。


 微かに感じる闇属性と風属性の魔力。

 今、部屋に入ると大変なことになる。

 そんな予感がしたのだ。



「……まっ、システィちゃんの息抜きになるならいっか」



 育児に奔走していたシスティリアは、日に日に疲労の色が増していた。昨日は寝室に居たが、疲れは取れていないようだった。


 足音を消してリビングに戻って来ると、魔女と2人で姪っ子のお世話をするのだった。



 夕方になり、そろそろ食事の用意をしようかと立ち上がったところ、階段から2つの足音が降りてくる。


 髪も尻尾もボサボサになり、内股でエストの腕に抱きつくシスティリアと、首元から上に大量のキスマークと歯型を付けたエストだった。



「お風呂、沸かしてあるから入っておいで〜」


「あ、ありがとうアリアさん」


「体が……重い」


「汚さないでね〜」



 一体何があったのか容易に想像がつくアリアは、ウルティスたちに見られずに済んだことを誇りに思っていた。


 一方エストは、システィリアを膝の上に乗せて湯船に浸かり、大きく息を吐いていた。



「僕、丸一日寝てたって本当?」


「本当よ。おとぎ話ばりにキスを何度もしたけど、スヤスヤ眠りこけていたわ」


「そのおとぎ話、一度しかキスしてなかったような」


「省かれてるだけよ。本当は100回以上してるわ。だって1回で満足出来るわけないもの」



 背中をエストに預け、彼の肩に頭を置いたシスティリア。胸の前にがっしりとした両腕が下ろされ、エストの安心感に包まれた。



「……お仕事、大変だったのよね。お疲れ様」


「──あ」



 思い出したかのように声を上げたエストに、システィリアは心配そうに見つめた。



「そうだった。僕、戦うんだった」


「何と戦うのかしら?」


「ドラゴンぐらい強い魔物?」


「なんで疑問形なのよ! もうっ……アタシも戦うわよ。ちゃんと話してちょうだい」


「後でね。規模が大きいから、お姉ちゃんや師匠にも話さないとだし」



 システィリアの頭を優しく撫で、再び湯船の中に腕を戻したエストは、無意識に彼女のお腹を撫でていた。


 これにはシスティリアも『もう産まれてるわよ?』と言うが、エストは別の何かを堪能しているようだった。



「腹筋……綺麗」


「また鍛えてるの。どう? 硬いわよ」


「う〜ん、素晴らしい。もっと触っていい?」


「いいわよ。いつでも戦えるように、満遍なく鍛えてるもの。って……そこは筋肉じゃなくて脂肪よ?」



 横になっていても分かる美しい腹筋をなぞるエストは、腹直筋を伝って大胸筋へ……胸に手を這わすと、重量を味わうように持ち上げた。



「システィ。肩凝りちゃんと解してる?」


「いいえ? アンタのマッサージが一番効くから、アタシでは全く」



 システィリアの疲労は肩凝り由来でもあり、手を離したエストはぽんぽんと肩を叩いた。

 無言で立ち上がったエストがマッサージ用の台を創り、その上に3重のタオルを敷くとシスティリアを寝かせた。


 うつ伏せに寝転がったシスティリアは、脱力しながらも尻尾を振る。



「硬いね。エフィの抱っこでも負荷がかかってるだろうし、ちゃんと解してあげないと」


「そう言うアンタも全身ガチガチだったわよ。後でアタシと交代しなさい」


「わかった。じゃあ、解していくね」



 水飛沫を飛ばす尻尾が落ち着いてくると、慣れた手つきで肩凝りを解していくエスト。

 彼女の体は過去に見ないほど筋肉が凝り固まっており、心身共に疲れていることが手から伝わってくる。


 触れる火球メアでじっくりと温めながら解せば、気持ち良さそうな吐息が聞こえた。



「コレよぉ……効くわね……ぇっ!」


「背筋も綺麗だね。舐め……撫でたくなる」


「アタシは舐めたわよ?」


「う〜ん、知らなくてよかった情報かも」



 寝てる間に何をされたのか。むしろ彼女の口に触れてない部分があるのかどうか。知りたくなる気持ちを抑えてマッサージを続けたエストは、施術者を交代する。


 システィリアの時と同様にうつ伏せになると、なんの躊躇いもなく腰の上に跨ったシスティリア。



「あの……システィ?」


「エフィが跨る前に、アタシが唾をつけておかないと。このまま四つん這いで歩けるかしら?」


「……こ、今度ね。今はマッサージを……」



 エストが何とか軌道修正に走るが、システィリアは体を前に倒し、エストの背中に柔らかい感触を与えた。

 うなじに口付けをして、だらりと垂らされた両腕を掴んで密着させると、早くなる鼓動を彼女の耳は捉えた。


 しかし、必死に理性を保つエストに勝てないと感じると、大人しくマッサージを開始する。



「汚したら……怒られるから……ねっ」


「屋敷のメイドたちも怒ってたわよ」


「仕方ないよ。システィの肉体美は刺激が強すぎる」


「ふふっ。今でも慣れたフリして、内心はドキドキしているものね」


「……気付いても言わないでぇ」



 恥ずかしそうに顔を背けたエストに、イタズラに成功した笑みを浮かべたシスティリアは、マッサージが終わると彼の背中に耳を当てた。


 今もなお早い鼓動にくすりと笑い、再び湯船に浸かるのだった。



 そうして風呂から上がれば、リビングから料理の良い匂いが脱衣所まで届いていた。

 着替えた2人がリビングに来ると、魔道書を読んでいたウルティスが飛び跳ねて抱きついてきた。



「なんだか成長したね、ウルティス」


「わかる!? おにいちゃん!」



 ウルティスも数日会わないうちに大きくなった気がしていると、魔女に抱かれていたエフィリアがエストに手を伸ばす。



「ほれ、パパに抱っこされたいようじゃぞ」


「おおお……ただいま、エフィ。可愛いね」



 ずっしりと感じる命の重みを抱き抱え、ピクピクと動く小さな狼の耳を撫でたエスト。成熟したシスティリアの耳には無い、ぷにぷにとした感触がクセになる。



「ふふっ、凄く喜んでるわね。パパ?」


「そっちにも手を伸ばしてるよ、ママ?」



 お互いをパパ、ママと呼び合うエストたちの視線は煽りの色が濃く、2人とも呼ばれ慣れていない様子を隠さなかった。



「エストのママでもなければ、システィリアのパパでもなかろうに。お互いの呼び方は今まで通りが良いじゃろ」



「……これが」

「鶴の一声?」



 2人のことをパパやママと呼べるのは、結局のところエフィリアだけである。

 魔女の言葉によって煽り合いは終結し、エストに抱っこされたエフィリアは輝くような笑みを見せたのだった。


 それからリビングに移されていたエフィリア用のベッドに寝かせると、5人での夕食が始まる。



「そうそう、これでも依頼の途中なんだった。お姉ちゃん、師匠。頼みがあるんだ」


「頼み〜? いいよ〜」


「うむ、わらわも構わんぞ」


「……まだ何も言ってないけど」



 即答する2人に思わず頬を緩めたエストは、システィリアにも分かりやすく、業魔の森に居る精霊を喰った魔物について話した。



「なんじゃ、尚更構わんぞ。わらわは帝国兵の転移じゃな?」


「お姉ちゃんは戦力だ〜!」


「エストってば、今更家族に頼るのが恥ずかしいの?」


「……ちょっと申し訳ない」


「気にするだけ無駄よ。アタシも含めてこの2人は、どれだけアンタを愛してると思っているのよ? 信頼して話すのが一番よ」



 温かい家族に恵まれたと再認識したエストは、念の為にと澱みに関しても教えるが、元より魔術師の素質が無いアリアは効果が薄く、むしろエストが心配されてしまった。


 照れそうな顔を無表情で塗り替え、いそいそと食事に戻るエスト。



 そんな彼の隣には、尻尾を揺らして頼られるのを待つ、システィリアが居た。

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