第375話 入れ知恵


 寝室に入ると、システィリアは背中からエストを抱き締め、そのままベッドに倒れ込んだ。

 なされるがままのエストの後頭部に顔を埋め、不満げに呟く。



「討伐。アタシには手伝わせてくれないの?」


「……エフィリアのために、システィを連れて行くわけにはいかない」


「なによ。ちょっと強い魔物相手に……」



 エストも強いのだから怖気付くな。そう言いたそうなシスティリアに、エストは体を捻って向かい合うと、彼女の横髪を撫ぜた。


 さらりと指が通る髪を愛おしそうに、そして大切に思いながら首を横に振った。



「僕、死にかけたんだ。その魔物から出ている魔力を浴びただけで。平衡感覚も無くなって、息ができているのかもわからなくなる。なのにまだ……姿も見ていない」


「……そんな魔物が居るなんて、信じ難いわ」


「1万年も耐える鎖で繋がれているんだって」


「じゃあ──」



 今倒さなくていい。氷龍に対してエストが言った時と同じ言葉を発しそうになるシスティリアの唇に、冷たい人差し指を当てた。



「繋がれたのは多分、1万年前。それに、いずれは復活する魔物だ。その時僕らより強い人が居なかったら、孫やその孫の代で復活して……僕らの血が途絶えてしまうかもしれない」


「…………はぁ。そこまで考えたから、戦うと決めたのね」



 誰よりもシスティリアを想い、その先に居るエフィリアを考えるエストだ。子孫を天秤にかけられて戦わないほど、親の自覚が無いはずがない。


 そして、守るためなら戦い続ける。その覚悟はもう、魔族との戦いで見せていた。



「はぁ〜あ。今だけエフィが大人になれば……なんて思っちゃうアタシはダメな親ね」


「そんなことない。エフィを守るために戦いたいと思うのは、親として立派だと思う。僕よりも断然大きいけど、システィの分も僕が戦うよ」


「……ええ。でも、ちょっとだけワガママを言わせて」



 エストの胸に顔を擦り付け、ぐりぐりと押し付けながら縋るように呟く。



「死なないで。負けないで。行かないで……これ以上アタシの心に、穴を開けたままにしないでちょうだい」



 震えるシスティリアから溢れた悔しさが、エストの胸元を湿らせていく。



「……システィリア」



 熱くなった彼女の首を撫で、全身が触れるように力強く抱き締めた。


 本音を隠さない彼女だからこそ、ワガママという袋に包んだ想いがエストの心に溶けていく。



「大丈夫。死なないよ。システィより先に死なないって、約束したから。ちゃんと帰ってくるから……今はいっぱい泣いてほしい」


「なによバカぁ! 泣いて……ないもんっ!」



 決して顔を見せないように、より強く顔を擦り付けるシスティリアの頭を撫でたエスト。微かに震える体に小さく笑い、優しく撫で続けた。



「じゃあこの濡れた感覚はなんだろう?」


「よ、よだれよ! 舐め回してるの!」


「じゃあ僕も対抗して耳を舐め回そうかな」


「やっぱり違うわ! これは……鼻水よ! ほら、もう夏も終わりそうじゃない!」


「まだまだ暑いけどね。現に薄着だし」


「…………噛みちぎるわよ」


「……ご、ごめん」



 からかいに対するリスクが大きく、一歩引いたエストに詰め寄るシスティリア。体を離して頬を膨らませれば、泣き腫らした顔を隠すことなく唇を奪った。


 たっぷりとエストの魔力を味わい、布団の中で尻尾を振りながら目を閉じた。



「寝るわよ。アタシだけの旦那さま?」


「……ずるいなぁ、もう」



 熱くなる顔を右手で覆い、繋いだ左手の指を絡めたまま脱力したエスト。

 深く呼吸を繰り返せば、今朝の疲れもあってか、すぐに眠りにつくのだった。






「──じゃあ、行ってきます。また予定が決まったら帰ってくるから」


「ええ、行ってらっしゃい。ほらエフィも」


「森には気を付けるのじゃぞ?」


「ご飯はいっぱい食べなよ〜」


「はやくかえってきてね、おにいちゃん」



 翌日の昼下がり。朝はアリアたちと打ち合いをしたエストは、開拓村に帰ることになった。魔女やジオについてなど、報告すべき問題が多いのだ。


 庭でワンワンやバウバウ、そしてネフたちに見送られながら半透明な魔法陣を踏んだエストが、次の瞬間には消えていた。



「……ウルティス? アンタ何やってるの?」



 魔女たちが帰っていくが、庭で走りながら何かを飛ばすウルティスに、愛娘を抱いたままシスティリアが近付いた。



「えへへ〜、みて、おねえさま。バッタ!」



 左手に握りしめた物体を広げて見せたそれは、庭でよく見られるバッタ……の、死骸の塊である。どれも体の中心に黒い穴が空いており、首を傾げるシスティリアだが──



「キモぉ……」


「おにいちゃんがね、おしえてくれたの!」


「……エストが?」


「うん! 『バッタはあしをはずしてやくとおいしい』って。ほんとにおいしかったの!」


「ア、アイツ……! ウルティスに何てこと教えてるの!?」





 それは、今朝の出来事である。

 打ち合い稽古が終わり、あわや一本取られそうになったエストが、服に付いていたバッタを取って教えたのだ。



『ウルティス。バッタを捕まえたら足を外して、炙って火を通すと美味しいよ』


『そうなの? でもバッタさん、はやくてつかまえられないよ?』


『そこでコレだ。火針メニス



 人差し指の先に出した、爪ほどの小さな単魔法陣。なんてことない初級魔術だが、威力は極限まで抑えられ、単体で飛ばすことも出来ない弱さの火針メニスだった。


 じっくりと術式をウルティスに見せてあげると、指を曲げて針を飛ばすエスト。


 非常に優れた動体視力を持つウルティスが飛んで行った針の先を追うと……小さな穴が空いたバッタが居た。



『すごい! どうやったの!?』


『見たままだよ。これは構築、投擲の練習だね。できる限り弱い火針メニスを、出せる最高の精度で投擲する。少しずつ距離を離せば、込める魔力量も掴めてくるはず』


『やりたいやりたい! あたしもやる!』



 ──と、威力の制御に距離感覚、そして投擲の技術を鍛える方法としてウルティスに紹介したのだ。その結果、焦げ跡が出来てしまうも、バッタを仕留める技術を会得した。


 バッタをつまんだウルティスが火球メアで炙り始めると、焼き色がついて火が通り、サクッと小気味よい音を立てて口に入れた。



「ん〜、おいしい! おねえさまもたべる?」


「……じゃあ、一匹だけもらうわ。ちゃんと中まで焼きなさいよ? お腹が痛くなっても、怪我じゃないから治せないもの」


「は〜い! じっくり〜、じっくり〜!」



 頭ごなしに怒らず、じっくりと焼かれるバッタを見ていると、抱いていたエフィリアの耳がピクピクと動き出した。


 きっと彼はエフィリアにも同じことを教えるのだろうと、システィリアは諦めたように焼き上がりを待つ。


 握られたバッタの中で一番大きな個体がこんがり焼けると、ウルティスに食べさせてもらうシスティリア。


 サクサクとクセになる食感の中に、バッタ特有の旨みとほのかな甘みが舌に乗り、鼻を抜ける草原の香りに尻尾がゆらりと揺れる。



「……意外とイけるわね」


「あ、あげたくない……よ?」


「アタシは自分で取れるわよ。ウルティスのものを取ったりしないわ。あと、お庭。燃やさないように気を付けてやりなさい」


「は〜い!」



 元気よく返事をしたウルティスだったが、心配になったシスティリアはワンワンたちに見張りを頼んだ。火消しも出来ない狼ではないと、2頭は目を輝かせて吠えて答えた。



「もうっ、エストってば……ウルティスをどこまで強くする気なのかしら」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る