第376話 信頼はしていない


「ごめんね、人集めしたら遅くなっちゃった」


「いや……むしろたった2日で集めたという賢者殿が恐ろしいのだが。その、なんだ。妻子には伝えたのか?」


「うん。っていうか昨日はずっと家族と過ごしてたから」



 開拓村の村長宅に訪れたエストは、今後の話し合いをしていたセリナと村長、それから各仕事のまとめ役が集まる会議に出席していた。


 たった1日で三ツ星のジオ、二ツ星のアリア、それに空間魔術が使える魔女の協力を得たと言うエストの顔には、少々の申し訳なさが滲む。



「ヌーさん、噛み付いたりしてない?」


「まさか! ヌー殿はいつも村を警戒してくれている。毎晩肉や野菜を捧げているぞ」


「それならよかった。さっき僕はガブリといかれたからね。飼い狼に頭を噛まれる感覚……新鮮だった。あと、ヌー“さん”までが名前だよ」



 無論、甘噛みではあるものの、ヌーさん程の巨狼が頭にかぶりつけばタダでは済まない。反射的に氷鎧ヒュガで身を守ったが、ヌーさんは歯を当てただけだったので無事である。


 そしてエストの感想としては……臭かった。



「これからはヌーさんの歯磨きを徹底しないと。じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」



 歯ブラシを作る術式の構築を決意し、まずは澱みの正体とその発生源。古い魔物の特徴や精霊について、皆と知識を共有したエスト。


 全てを話し終えたタイミングで、狩猟を生業とする男が手を挙げた。



「その情報はどこから得たのだ? 我々は業魔の森を開拓するにあたって、歴史や地理は少々ながら学んでいるが、そのような魔物について一言も記されていなかったぞ」


「情報源は氷龍。その氷龍は、氷の精霊ヒュミュから聞かされたんだ。歴史は人間が残したものだけど、これは精霊と魔物の出来事。僕らが知恵を得るよりも、ずっと昔の話なんだ」


「なにせ、一万年前ですものね……途方もない時間です」



 宮廷魔術師として魔法と魔術の歴史を知るセリナも頷き、猟師は納得した。


 村人が信頼が置く人物は、村長と唯一の元宮廷魔術師であるセリナだけだ。年単位で開拓村に居る者は、エストが賢者であることすら知らない。


 しかし、エストがただの新参者として認識されることに怒りを覚えたのは、魔術師であるセリナだけだった。



「すみません、気を悪くさせちゃいましたね」


「え、なにが? 僕になにかした?」


「……いえ、何も」



 良いフォローをしたと思ったセリナは気付いていなかった。エストがはなから異物扱いを受け入れ、村人に興味すら持っていないことに。


 彼が一体、どれほど単純な動機で来ているのか。


 家族を想う気持ちの裏にある、澱みを生み出す魔物への純粋な興味。どんな魔術を使い、精霊をたぶらかして喰ったのか。


 あまりにも澄んだ瞳の恐ろしさを、セリナはまだ知らない。



「それで、討伐する日を決めたいんだけど」


「急を要する事態ではないと思うが……」


「10日後とかどう? レッカ、リューゼニス、ドゥレディアの騎士に確認を取るから、各3日を想定して、予備に1日」



 ドゥレディアは傭兵たちが来るのだろうと予想するエストは、帝国と王国の遠征演習次第で予定日をズラすつもりだった。


 だが、これには全員から白い目が向けられ、何か間違ったのかと首を傾げるエスト。



「賢者殿……焦る必要は無いんだぞ」


「そうです。こちらは年単位を想定しています」


「仮にその日数で集められたとて、村がもたない。そちらが思っているより、何倍も時間が必要な計画だ」



 急いでやる必要は無い。そもそも澱みも近づかなければ影響も少なく、ゆっくりと防護柵を建てる時間もあれば、騎士たちを迎え入れる時間も充分にある。


 満場一致で10日は早すぎるという言葉が投げかけられた瞬間──……部屋の気温が急激に下がった。



「はぁ……村長。君、依頼文に書いた文章も忘れたの?」


「どういうことだ?」



 首筋に氷が当てられたような、エストの鋭く冷たい視線が村長を貫く。依頼文を頭の中で読み直してもまだ理解出来ない村長に、冷気を吐いたエストが言う。



「『防護柵が建て終わるまで駐在すること』って……君、どれだけ僕を娘から離したいの? まだ産まれて2ヶ月だよ? 君たちが建設に時間をかけてる間に、僕は親としての責務を全うできず、妻に寂しい思いをさせ、研究も滞る……理解できないならもういいよ。この件は僕の方で片付ける」



 会議に出ている殆どの村人が、村長の方に目を向けた。それは、この開拓村でも子どもは皆で育てあげるべきだと掲げ、幼い子の両親には仕事よりも育児に集中させているからだ。


 エストから、村としてやることを全て拒否すると、村長は慌てて首を横に振る。



「ち、違う! こちらも賢者殿には──」


「うん。だから、今日中に僕が防護柵を建てるから、終われば依頼の完了書だけ用意してくれる? あと、辺境伯には僕から伝えるよ」



 柵の造りは知っている。木材も周辺のトレントから拝借し、あとは魔術を駆使して組み立てれば建設は完了するだろう。


 ここまでの発言を聞いて、エストが嘘を言っているように見えない村人は、いよいよ村長に疑問をぶつける。



「村長殿。私には、彼がどれほど焦る気持ちを抑え、この村に来ていただいているのか痛いほど理解出来ました。何故貴方は、彼の側に立とうとしないのです?」


「村長、間違えたなら謝るべきだ。俺は賢者様を支持するぜ? ヌーさんのおかげで、食える肉の量も増えたしな。恩人と思うには充分だ」


「オレも支持する。賢者に腕の傷を治してもらった。恩を仇で返すような真似はしたくねぇ」



 続々と手が挙がり、このままでは村が崩壊するかもしれないと感じた村長は、椅子を倒して立ち上がり、エストに向かって頭を下げた。


 それに倣ってセリナも頭を下げると、重たい口を開く。



「こちらの都合だけで考えておりました」


「すまない。急いで建設を完了させる」



 村長の言葉には少し不満気な村人たちだが、エストはもっと不満そうに息を吐き……表情を消した。



「もういいよ。謝られると気分が悪い」


「賢者殿……!」


「最優先は防護柵。依頼文を書き直したっていいけど、面倒だからね。僕も手伝うから、迅速に終わらせるよ」



 村に対する信頼はない。初めはエストの好意で辺境伯をも巻き込んで澱みの発生源を叩こうとしたが、依頼文を忘れたとなれば信用すら危うくなる。


 早く依頼を終わらせ、村とは関係なく未来のために魔物を倒す。結果として開拓村にも利益が行く流れがエストの望みだ。



「はぁ……早くしよう。やることが多い」



 早くエフィリアとシスティリアに会いたい。そばに居たい。それに何よりも、システィリアに責任を押し付けたくない。


 そんな想いが溢れ出すエストに、村のことを深く考える暇が無かった。





 そうして会議が終わると、建設現場に来たエストは皆の前に出て、亜空間から取り出した杖を構えた。


 身構える職人たちだったが、次の瞬間。

 茶色い光が輝いた途端に、様々な身長の人型ゴーレムが10体現れた。


 顔や髪も無ければただ茶色の塊であるそれは、まるで本物の人間のように滑らかな動きを可能とし、エストと同じ大きさのゴーレムが木材に手をかけると、300キログラムはあるであろう束を肩に担いで運び始めた。



「これは僕の魔術で作った人形。大きいのは運搬用。それ以外は指先を色んな道具にできるから、用途に合わせて使って」



 それぞれのゴーレムの顔面に数字が刻まれると、早速背の低いゴーレムが呼び出され、柵同士を繋げる木工を任された。


 五指の先がのみの形になると、寸分違わぬ精度で彫り始め、あっという間に2つの柵を繋げてしまった。


 エストの制御下にある各ゴーレムたちは、自然魔術の擬命創造ネグラードに歩行だけを自律化させることで、エスト本人は別の作業をしながら、頭の中でゴーレムの操作に集中することが出来る。


 魔術への愛が為せる超絶技巧。

 一体、脳が幾つあれば再現出来るのか。


 これを初めて思いついた時にシスティリアが顔色を悪くするほど引いていたが、役に立つことが証明された。



 職人たちが『革命だ!』と叫ぶと、一気に士気が上がることで効率が格段に良くなり、今までにないペースで建設が進んでいく。




 そして、この日からゴーレムを用いた建設を始め、3日目の昼前のこと。



「終わった……完成したぞ!!」


「よっしゃあ! これで畑が拡張できるぞ!」


「耕せ耕せぇ! 土を起こせぇぇ!!」



 数週間はかかるだろうと踏んでいた防護柵の建設は、片手で数えられる日数で完成の時を迎えた。


 すぐさま村長の手で依頼の完了書が出来上がったが……エストは『まだ出さなくていい』と言う。



「澱みの解決はあくまで横道。僕の本当の狙いは、ギルドの崩れた体制を叩き直すことにある。本当の意味で、仕事はこれからだよ」


「……お、恐ろしいことを」




「元はと言えば、事情を知るはずのギルドが指名依頼を強引に通したことが発端だ。情けも容赦も必要ない」




 村長から完了書を受け取り、エストは悪い笑みを浮かべるのだった。

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