第372話 龍の実験台
「龍の魔力……使いこなせてないんだ」
軽いショックを受けたエストに、氷龍は楽しそうに冷気を吐いた。氷龍からすれば、これから教える使い方は『精霊が龍に対して教えるもの』だ。
人間が出来ることを想定していない。
『なにせ、魔力の
「2割でこんなに強くなるんだから、人間ってもしかして生物の中では魔力量が少ない方?」
『そうだよ? だから少ない魔力で効率的に魔法を使う、“魔術”を開発したんだろう? 今更なにを言っているのさ』
人間は他の生物に比べれば力も弱く、魔力量も少ない。だが技術と知恵、魔術を使うことで生態系の上位に立っている。
しかし、
ワイバーン1体で村が消滅するように、魔物は人間が積み上げた技術たちを容易に薙ぎ倒す力を持つ。
ゆえに龍たちは、突出した力を持つ人間を気に入る。
本来は地を這う蟻のような生命体のクセに、誰にも穿たれたことのない鱗を砕かれれば、その強さに興味を抱くのは必然。
氷龍の生涯で初めての経験だった。自慢の鱗が砕け散り、初めて己の血を見た瞬間、愛情にも似た燃え滾る興味が湧いたのは。
とはいえ、龍の魔力の熾し方を教えることは、短い蝋燭の火を天まで焦がす火柱に変えるようなもの。
蝋燭同様、エストの肉体はものの数秒で散るだろう。
ただ、3種の龍から魔力を得た肉体ならば、耐えられる可能性がある。
本来は1体も耐えられない龍の魔力を、その身に3体も宿すエストならば──
「──っと。教えるならこの体がいいよね?」
氷龍は分身体とも言える中性的な人間を創り出し、年末パーティで騒がせに騒がせた姿で話し始めた。
「その熾し方って簡単なの?」
「まさか。聞くけど、盟友は翼の動かし方は分かるかい?」
「わかんない」
「そういうこと」
「どういうこと?」
素っ裸の氷龍に適当な服を着せたエストは、真剣に話を聞く姿勢をとる。一方氷龍は、髪の毛をクルクルと指で巻きながら唸り、パッ、と唇を鳴らした。
「龍の魔力は、他の魔物とは性質が違う。盟友はボクの魔力にどんなイメージを持ってる?」
「冷たい川。激しい運動の後に飲む、氷水みたいなイメージ」
「あはは! 全く分からないや! とりあえず……盟友。そのイメージを捨てるんだ」
イメージを捨てる。人間だけでなく、魔物であっても難しい行動に氷龍は低い声で言い放つ。
優れた魔術師ほど、より鮮明なイメージを固めて魔術の発動を高速化するものだ。氷龍が言ったことはつまり、『今まで積み重ねてきた経験を捨てろ』ということに等しい。
賢者の称号を与えるほどにエストが優れた魔術師だと知っている氷龍は、この土台の再形成に何年かかるか思案する。
しかしエストは、思考の間もなく頷いた。
「わかった。どんなイメージがいい?」
「……氷の種。植物の種子のような小さい氷」
「うん、やってみる」
両手の指先同士を合わせたエストは、目を閉じると魔力の流れに意識を集中させた。
その瞬間、氷龍は焦りにも似た高揚感を覚えた。
エストの体内を巡る氷龍の魔力が、一段と弱くなったのだ。それはつまり、無意識下で魔力制御とイメージが強く結び付いている証拠であり、イメージの交換に成功していることを意味する。
思わず口角が上がった氷龍は、ぶるりと体を震わせた。
「次は?」
「発芽。種を割り、氷の双葉が芽吹くんだ」
まるでエストの思考を操るようにイメージを伝えると、弱まった魔力に冷たさの芯が通る。
「成長だ。ぐんぐんと大きくなる芽は葉を増やし、やがて大きな蕾をつける」
「……うん」
エストの額に汗が滲む。
冷たさの芯が一回り大きくなるように力を増し、合わせていた両手が小さく震え始めた。
それでも続けるエストに、氷龍の瞳は心配の色を帯びる。
だが、止めることはしなかった。
「……さぁ、一気に開花させるんだ! 内なる力を放出するように、大輪の花を咲かせろ!」
言われた通りのイメージを映した瞬間、エストの肌に薄い氷が膜を張ると、その場で膝をつき、大量の血と透明な魔力の液体を吐き出した。
「あ……がはッ──!」
「だ、大丈夫かい?」
あまりの吐血量に氷龍が肩に手を当てたが、その弱々しい生命の鼓動に息を飲む。
明確に感じ取れる、死へのカウントダウン。
肉体の許容量を超えた魔力の解放に、いくらエストと言えども耐えることを許されなかった。
空気を吸えなくなった体を、必死に揺らして声をかける。
「盟友……盟友! エストッ! 息をしろ!」
虚ろな青い瞳に叫ぶ氷龍。
次第に目や鼻、耳からも血と魔力が混ざった液体が垂れ始めると、その体はぐったりと倒れ込んでしまう。
あと数秒の命に、氷龍の顔が絶望に染まる。
「あ、ああ……嘘だ……盟友。キミはこんなことで死んでしまうのか? 盟友……ねぇ、盟友! どうして人間はこうも……脆いんだ!」
たったひとりの人間の盟友。龍の鱗を穿つ魔術を持った、自慢の友人を自分で殺してしまうことに、氷龍は初めて悲しみを覚えた。
やがて魔力の循環も行われなくなったエストの肉体を抱いて、悲しみが怒りへと変貌しようとする時──
カチッ。
時計の針が刻む音が鳴った。
「めい……ゆう?」
その瞬間、氷龍が抱いていたエストが眠りから覚めたように瞼を開けると、数度の瞬きの後、立ち上がっては体を伸ばした。
「う〜ん! 流石に耐えられなかったね。でも練習を重ねたら何とかなりそう。ありがとう氷龍、頑張ってみるよ」
「な、何が…………起きたんだい?」
さも目覚めて当然かのように起きているエストは、イメージは芽を出した種のまま、普段より弱い魔力を楽しんでいた。
だが氷龍は、そんなことよりエストが起きたことが不思議でならない。
「盟友、キミは死んだはずだ。どうして生きている?」
「えっと……壊れた肉体を再構築したから?」
「それは光属性の魔術だろう? そんな気配は無かった」
「へ〜、そうなんだ」
どうでもよさそうに返事をするエストに、本気で心配していた氷龍が肩を掴むと、龍の瞳で真っ直ぐに見つめて言う。
「盟友、説明しないと怒るよ?」
「どうして? 時間魔術を認識できなかっただけでしょ? 僕はただ、脳が死ぬ寸前に一瞬で全ての細胞を再構築した。上級光魔術だとどうしても治療にムラがあるから、時間魔術を混ぜただけ」
「……ムラがあってはダメなのかい?」
「僕の壊れ方、見てなかったの? 内臓から肌にかけて、一瞬で細胞の核を破壊されたんだよ? 同時に治さないと、隣の細胞から過剰な魔力を受け取ってまた死ぬだけ」
かろうじて脳だけは生きていたエストは、崩壊する細胞に恐怖を感じる暇もなく、放出した魔力を体内から消すことだけを考えた。
その結果導き出された答えが細胞の総入れ替えであり、治癒ではなく再構築と言ったのは、エスト的には『時間を戻した』感覚に近いからだった。
天空龍の魔力を宿した際にも使ったこの魔術──
システィリアを悲しませたくない想いが、この魔術を構築した。
「はぁ……キミは面白い魔術を使うね」
「僕も成功するとは思わなかった」
「嘘だ。焦りも何も感じていないじゃないか」
「そうかな? 僕としてはもう寝たいくらい疲れてるよ。残ってた魔力、殆ど使っちゃった」
子どもがぬいぐるみを落とした時のような顔をするエストに、氷龍は思わず溜め息を吐く。
「キミ、狼ちゃんの元に帰れるのかい?」
「……その前に先生の所に行かないと」
「仕方ないなぁ……」
どこか庇護欲を誘うエストに引っ張られ、氷龍は分身体を消すと、龍の首を下ろしてエストが乗りやすいように氷の段差を作った。
そのことに表情を明るくしたエストを見ては、再び溜め息を……大量の冷気を吐き出す。
しっかりと背中に乗ったことを確認すると、独り言をこぼした。
『ボクが雌なら食べていたよ』
「今でも腕とか脚、食べてるじゃん」
『……そうだね。キミは食えないやつだ』
「ははっ、僕を食べられるのはシスティだけだからね」
『……そういうところだよ?』
今すぐにでも凍らせてやろうかと思う氷龍。
龍の身でありながら、人の手のひらで転がされる気分に腹を立てながら巣穴を出ると、エストがぽんぽんと背中の鱗を叩く。
「ユーモア対決は僕の勝ちかな」
『っ──……ああ。ボクの負けだ』
この日、氷龍は初めて人間に対して敗北を認めた。
たったひとりの盟友が起こした、奇跡とも呼べる魔術の後には、ただただ話せることが嬉しくて仕方がなかった。
ジオのログハウスへ向けて飛行中、氷龍は一風変わった質問を投げかけた。
『盟友はボクの肉、食べたいかい?』
「ん〜、うん。お腹空いた」
『……キミ、考えた末に何も考えなかったね?』
「空腹は一番の敵だからね」
『一番の味方は?』
「愛情」
『はあぁぁぁ……寒っ』
「体調悪いの? 飛ばない方がいいよ」
『……だるい』
「大丈夫? ごめんね、僕、病は治せなくて」
『キミは他人の感情変化で生きてるの?』
「システィの愛情で生きてるよ」
『……そう』
エストと話すのは疲れる。……主に精神が。
そう感じざるを得ない氷龍は、無言で飛行を続けるのだった。
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