第371話 分岐点


「精霊を喰った魔物?」



 巣穴に向かいながら訊いたエストに、氷龍は『うん』と言って返した。その声は腹に響くように重く、罪を犯したかの如く、心苦しそうに発せられた。


 初めて聞く氷龍の声に、巣穴に着いたエストは亜空間に手を突っ込みながら言う。



「詳しく聞かせてよ。はい、僕の腕」


『感謝するよ。盟友は気が利くね』



 酒に合うツマミを食べるような感覚でエストの腕を咀嚼した氷龍は、威厳溢れる立ち姿で最奥に立つと、1体の狼を氷で作り上げた。



『盟友。キミが行こうとしている洞窟の主は、ボクら龍よりも魔物なんだ』



 氷龍が曰く。その魔物は人類がを得るよりも前の時代。まだ人が言語という概念を認識するよりも以前に、ダークウルフの先祖にあたる魔物が居た。


 闇夜に紛れ、動物の意識を奪って狩りをするその魔物は、同種の中でも一段と闇魔術に秀でており、他者の意識を把握する能力を持っていた。


 突然変異。言うなれば、王の素質を持ったダークウルフだったのだ。


 そのダークウルフは自身の力を余すことなく発揮し、群れは軍のように戦略性を備え、下位の魔物を囮にしたり、家畜化することで王の座を確固たるものにしていた。


 あまりにも上手く能力を使うもので、王は意図せずを聞いてしまった。



『世界の声……精霊の声を聞いたんだ』


「僕でも聞こえないのに、すごいね」


『今は完全に分けているのさ。彼らの声を聞くには、彼らに呼ばれるしかない。盟友は何度か呼ばれているだろう? その時点で、キミはダークロードより立派な生命体だ』


「ダークロード……?」


『その魔物の名前さ。センスないよね』


「才能はあるのにセンスが無いとは。ユーモアに欠ける」



 かくして、精霊の声を聞いてしまったダークロードは、圧倒的上位存在である精霊を使役せんと、自身の力を磨いたのだった。


 能力を駆使した統率力を用い、大きな群れが安定して種の繁栄に成功している横で、遂にダークロードは精霊との対話に成功する。


 一方的な意識の傍受から、意思の交信に進化したのである。



『さて、盟友。ここで問題だ。言語を持たない魔物が精霊と意思疎通を図る際、どのようにして相手に意思を伝える?』


「それ、言語を持った人間が答えられる問題じゃないよね……?」


『まぁまぁ、我が盟友なら答えられるさ』



 じーっと氷龍を見つめるエストは、数秒ほど黙って考えてから口を開く。



「2つ答えていい?」


『もちろん。キミならそう言うと思ったよ』



 目を細めた氷龍が小さく頷き、エストは指を1本立てた。



「まずひとつ、言語を作った。魔力の波長を言語として、まずは短い単語を連続して送り、相手の理解を促す」


『ふむふむ。次の答えは?』


「脅した。動物から魔物、人間まで、ある程度の知能がある生物は威嚇をする。敵意の有無や簡単な意識なら、威嚇行動で伝えられる……と思う」



 考えられる2つの行動を答えたエスト。

 しっかりと最後まで聞いてから頷く氷龍は、液化した空気を垂らしながら、彼の鼻先に顎の氷を触れさせた。



『大正解! 答えは《即席言語による意思疎通》が失敗して、《威嚇行動による意思疎通》をしたんだ! さっすが盟友! 完全回答とは恐れ入るよ!』


「えへへっ、伊達にヌーさんたちと過ごしてないよ」



 ヌーさんたち風狩狼ウィンドベネートも人族語で話すことは出来ないため、エストに何か伝えようとする際は、吠えて意思を伝えようとする。


 狼にとって咆哮とは、仲間とのコミュニケーションでもあり、相手への威嚇にもなる。

 普段から様々な狼と触れるエストは、偶然か必然か、氷龍の問題に完璧な答えを導き出せた。



『つまり、どういうことか分かるね?』


「気持ち悪いくらい賢い。王の中でも、これは賢王……賢者を超えてるよ。それで? 精霊はどうなったの?」



 その後は精霊と簡単な意思疎通が出来るようになったダークロード。精霊も初めて向けられた下界側からの声に、つい耳を傾けてしまったのだ。


 ──ダークウルフの狩りは、意識を奪うことで始まる。


 好奇心旺盛な当時の火の精霊は、咆哮に乗せられた原初の催眠ダーラを受けてしまい、意識を奪われたのだ。


 そして火の精霊を使い、水、風の精霊をも自身の能力で使役していたところ、土の精霊アルマインに見つかり、直ぐに上位属性の精霊と敵対した。



 しかし、使役した3種の精霊を現界させたダークロードは、あろうことか、属性を司る精霊たちを喰らい、その力を宿したのだ。


 基本的に下界とは接触しない精霊も、これには例外と判断し、時の精霊クェルの力を借りた自然の精霊ネイカにより、《万年の鎖》に繋がれた。



「ネイカ……ふ〜ん。でも、どうして倒さなかったの? 鎖に繋ぐより、首を落とした方が確実だよね」


『そうだね……ボクもそう思う。だから、殺さなかったことに意味があるはずだ。あくまで精霊は調整が仕事。キミたち下界の生命……人間が倒すようにしたんじゃないかな?』


「……よく知ってるね」


『ボクはヒュミュ様の眷属だよ? 当時の水の精霊がバカだった〜って愚痴、星の数ほど聞いたさ』


「龍はみんな眷属なの?」


『うん! まぁ、精霊のペットみたいなものだよ。同じペット同士、ボクらは盟友として対等なんだ』


「なんか……複雑な気持ち」



 万物の属性を司る精霊。その眷属である龍。そして、最上位の精霊に気に入られたエスト。

 結局は精霊の下に居ることに変わりないが、知ってしまったがゆえに複雑に感情が絡まり合う。


 そんなエストの迷いを断ち切るように、氷龍は出していた狼の像を前足で踏み潰した。




「えっと……とりあえず60年後に考えるね」


『盟友? 万年の鎖はもう切れかかっている。精霊が繋ぎ直しに来ないということが、何を意味するか分かるだろう?』



 ダークロードが再び地上に現れた時、次は人間が喰われる番だ。あの強烈な澱みを発する魔物ならば、数千万の人類を支配することは造作もない。


 ただ……エストは踵を返そうとする。



「僕は今生きている。愛するシスティやエフィリア、家族と仲間と生きている。別に今倒さなくても、僕らが死んだ後でもダークロードは暴れ出さない」


『つまりキミは、キミの血を受け継ぐ子孫を殺すというのかい?』


「……それは」


『違わないさ。ボクの助言を聞いてホイホイ子どもを作ったキミたちが、そう簡単についえるはずがない。何千年、何万年経とうとの血は残るんだよ』



 名前を呼ばれたエストは、ハッとして顔を上げた。


 今、エストは明確な分岐点に立っている。


 ここでダークロードを倒さねば、遠い未来の子孫がダークロードによって家畜のように扱われる……かもしれない。



 そう考えただけで、エストの拳が熱を持つ。



 愛と怒りが放つ蒸気は冷たく、されどエストの体は……心は熱く、燃えている。

 再び氷龍に向き合ったエストは、真紅に染まった瞳で見つめながら、顔を覆う手には青い稲妻を走らせた。



「……最悪な時代に生まれたものだね」


『いいや、丁度いい機会だよ。盟友が倒してしまえば、数千年、或いは数万年後の世界を守る。それって最高に賢者していないかい?』


「け、賢者してる……かな?」


『してるさ! ただ……ボクにも懸念がある』



 新たな動詞を生み出しながら語る氷龍は、エストの熱を冷まさないように懸念点を口にした。



『盟友がもっと強くならないと、ダークロードを倒せないことだね』


「今よりも……もっと?」



 あれだけ修行し、日々鍛錬を重ねても足りないという言葉に、エストは素直な疑問をぶつける。

 それに対し、眼前の龍は勝利の鍵をぶら下げた。




『盟友、キミはまだ龍の魔力を使いこなせていない。使、ボク直々に教えてあげよう』

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