第370話 ただいま、氷獄


「よし、それじゃあ仲間を集めて来る……前に、氷龍の所に行ってこようかな」


「おとぎ話を地で行くんだな、賢者殿」


「おとぎ話って……ただの盟友だよ。氷魔術の師匠でもあるけど、気兼ねなく話せる友達」



 それがもうおかしいと、村長は声を大にして言いたい気持ちを抑えれば、エストの魔術で村の中に転移させられた。


 村人への説明や騎士団の待機所など、仕事が山積みである。唯一現状で安心している面は、材料や食料は辺境伯が支給することか。



「友達……か。俺も貴族になれば、またあの日のように話せる時が来るのか?」



 幼い頃、辺境伯と村長は家が近いこともあってよく遊ぶ仲であった。しかし、今の辺境伯が長男として生まれ、勉強に浸かる日々を送れば、自然と2人の距離は離れていた。


 名前も呼びづらくなり、今では辺境伯からしか名前で呼ばれていない。またあの日のように名前を呼び合い、酒を酌み交すには……村長が爵位を得る他なかった。


 この開拓村が成功すれば、皇帝に認められて小さいながらも領地を得る。帝国、そしてシュバイドの属領となる業魔の森を治めることになるが、それでいい。


 貴族という括りにおいて同じ立場になれば、また2人は友人になれると信じているのだ。

 ゆえに、辺境伯も支援を惜しまない。

 私情もあるが、貿易都市としてシュバイドの力を活用すれば、さらなる国益を生み、シュバイド家のためになる。



「さて、英雄をもてなす準備を始めねばな」




 そしてエストの方は、久しぶりのフラウ公国を楽しむ──ことはなく、ギャンブルの誘惑に抗いながら、最北にそびえ立つ雪山の麓に来ていた。


 季節の影響を殆ど受けない雪山は、常に山頂付近が吹雪いており、下からではその全容を拝むことすら許されない。



「街側は断崖絶壁だね。こりゃ大変だ」



 正攻法では時間が足りないと判断し、八合目まで氷の柱を伸ばして登って行くと、凍てつく暗雲の中から、水色のワイバーンが急降下してきた。


 アイスワイバーンである。


 鱗の表面を魔力と混ざった氷で覆い、極寒の地に適応したワイバーンだ。ダンジョンで倒した個体とはまるで違う威圧感に、エストは冷気を吐く。



「う〜ん、ウルティスにはまだ早いかな。きっと倒せない」



 野生個体は初めて見るが、脅威としては氷獄のクマの方が上だと感じたエスト。

 大きく口を開けて突撃するワイバーンだったが、エストが右手を掲げた瞬間、狙いを外して山肌に激突した。


 動かなくなったアイスワイバーンに近付くと、脳を破壊するように上顎を貫く、氷の槍が刺さっていた。



「顎を閉じなければ生きてたかもね」



 氷刃ヒュギルを改変し、ノコギリ状の刃で手早く解体を済ませる。

 システィリアたちに良いお土産が出来たと、頬を緩ませながら再び氷の柱に乗り、雲上の山頂に足をつけたエスト。


 澄んだ陽光と藍の空に包まれ、雪山に囲まれたように広がる氷獄の地を見下ろした。



「帰ってきたよ。氷龍、先生」



 懐かしい気持ちに浸りながらフードを被ると、風魔術で肺を守りながら息を吐き、山頂に程近い氷龍の巣穴に向けて下山を始めた。


 積もった雪に足をとられぬよう、慎重に進んだエストだったが、雪の中に埋もれていた木の根に足を引っかけ、盛大に転んでしまった。



「……次転んだら溶かして進も」



 格好悪い姿で立ち上がると、不意に差しのべられた手が視界に映った。

 まさかジオが来たのかと顔を上げたエストだったが、それが凍ってから長い時間が経った、雪山の探索者だと誰が予想したことか。


 驚いて表情を凍らせたエストの元に、今度は吹雪を纏う白い塊が近付いてくる。


 風でフードが持ち上げられると同時、盛大に雪を吹き飛ばした巨大な何かは、エストの前に頭を差し出した。



『久しぶりだね! 盟友。狼ちゃんとの生活はどうだい?』


「久しぶり、氷龍。順風満帆……かな。娘が産まれたんだけど、指名依頼で2日も会えていないんだ」


『キミは人に縛られるような器じゃない。ボクのように立派な翼で羽ばたき、不溶の氷で身を固めたまえ!』


「そう上手く行かなくてね。ところで、この人は誰?」



 氷龍の顔に触れて再会を喜ぶエストは、隣で氷像と化した探索者に指をさすと、氷龍がパクッと一口で含み、ボリボリと音を立てながら咀嚼した。



『……美味しくないなぁ。盟友、キミの肉は無いのかい? やはりボクは盟友の味が一番好きなんだ!』


「……あるよ。少し前、転移で事故を起こしてね。下半身が丸々あるんだ。氷龍、大きいの好きでしょ?」


『さすが盟友! よく理解しているね! ボクの心の友だ! ところで、さっきの人間は食べてはダメな肉だったのかい? 盟友、悲しそうだよ?』



 埋葬して弔ってあげようと思っていたエストだが、氷龍に食われることも自然の摂理だと考え、人の手は自然の輪に弾かれることを思い出した。


 この氷獄では、人は自然の輪から振り落とされる。

 ゆえに食らいつき、鍛え、輪の中に入り込まねば死ぬのだと。


 6年前の記憶が蘇ったエストは、首を横に振った。



「いいんだ。気にしないで。それより、今日は氷龍に聞きたいことがあって来たんだ」


『盟友のためなら何でも知恵を貸そう! 万年の時を生きた龍は叡智に富む。古龍、大地のことわりを覗く。ってね!』



 今思いついたであろう格言を、鼻息を荒くして言い放つ氷龍。

 聞く相手を間違えたかと思うエストだったが、真っ直ぐに氷龍の目を見つめて言う。



「大陸の中央にある魔力の澱み……水晶の洞窟があるんだけど、澱みが濃くてね。入る方法は無いかな?」



 そう訊いた瞬間、周辺の温度が数十度下がる。

 魔力も凍りそうな低温の冷気を放った氷龍は、エストの奥……──大陸の中央を睨むと、ぽつりとこぼす。




『盟友。そこにはね……精霊を喰った、古い魔物が居るんだ』

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