第64話 オークの洞窟


「……ここからは小声で行くわよ」



 蜂蜜と干し肉で少々の元気を回復させた2人は、足音を立てないよう、慎重に洞窟へ近づいた。


 洞窟の幅は両手を広げたエストが3人分ほど。

 入口付近からえた臭いが漂っており、不快感を隠さないシスティリアは顔を顰めた。獣人の鼻では、この臭いは苦痛だろう。


 エストはそっと風域フローテで彼女を覆うと、尻尾を振って反応した。


 洞窟を覗き込むシスティリアだが、かなり奥が深いようで、オークの姿も見当たらない。松明の火を炊いては煙で窒息することも考え、光魔術を使うことに。



「僕がやろう。閃光ラシュ



 杖先に柔らかい光が灯ると、前方を照らす。

 システィリアが抜剣したのを見て、剣先に光を移した。

 近接戦闘が主な彼女を前に立たせ、エストは後衛にまわる。会話は噛み合わない2人だが、戦闘スタイルはバッチリだった。


 一定の距離を保ちながら進み始まると、エストは洞窟の壁に手を当てた。



「……柔らかい」



 帝都近くのダンジョンとは違い、殴ればポロポロと崩れそうな土の感触を確かめていると、前方から見上げるほどの巨体が歩いてきた。


 豚の頭をした巨人──オークの手には、肉片の付いた血まみれの棍棒が握られている。



『グゥゥゥオオォォォ!!!!!』



「仲間を呼ばれるわ!」


「まずはそいつを倒そう」


 オークが雄叫びを上げると、その音圧で土の欠片が降ってきた。エストは魔力感知を広げるが、洞窟の奥は血が多いためか、うまく個体数を出せなかった。



 前方を警戒しながらシスティリアに氷鎧ヒュガを掛け、足元に遅延詠唱陣を展開する。

 敢えて分かりやすく茶色の魔法陣を出すことで、後ろから挟みに打ちに合っても、ある程度の妨害に使える。


 剣を構えた彼女が飛び出すと同時、オークが棍棒を振り下ろした。

 地面を抉るような勢いだったが、オークの視界に彼女は居ない。見失った隙を突いたシスティリアは、機動力を活かした立ち回りに出る。


 洞窟の壁を蹴って跳躍すると、勢いを乗せて剣を突き立てた。

 軽い体重だが速度が乗ることで威力が増し、鋭い剣先がオークの首に深く刺さる。


 鮮血を撒き散らすオークは、棍棒を闇雲に振って暴れ始めた。



 様子を見るために少し下がると、エストはやれやれといった表情で言う。



「一撃で仕留めなよ」


「そんなこと出来るわけないでしょ!」


「よくそれで引き受けたね」


「だって────ッ!」



 言い合いを始める2人に向かって、オークの強力な一撃が振り下ろされる。

 しかし、直撃する寸前に足元の魔法陣が輝き、土の柱がオークの胴体を貫いた。



「アンタ……いつの間に?」


「僕、魔術師としては優秀だと思ってるから」


「……答えになってないのよ、バカ」



 そうは言いつつも、システィリアだけでな危なかった。あらかじめエストがあの位置に魔法陣を置いていなければ、どうなっていたことか。



「追加だよ。まだ何体居るか分からない」


「外で戦いましょう。分が悪いわ」



 1体目のオークを倒したところ、奥からぞろぞろと棍棒を持ったオークが現れた。流石に洞窟内で戦うのは危険と判断し、システィリアは早々に洞窟を出た。


 しかし──



「っ、システィリア!」


「え?」



 入口の影に隠れていたオークに気づかず、巨体から繰り出されるフルスイングをその身で受けてしまった。

 困惑の表情を浮かべたまま吹き飛んだシスティリアを追おうとするが、入口に立ち塞がるオーク。



「……氷鎧ヒュガが無かったら死んでたかもね」



 1体目の時、念の為にと掛けていた氷魔術に感謝したエスト。だが、状況は絶体絶命である。


 入口を塞ぐオークは他の個体よりも体が大きく、抜け出せるような隙間が無い。返って洞窟の奥に進もうにも、6体を超える通常個体が壁のように迫ってきている。


 じりじりとにじみ寄るオークの壁に向かって、エストは氷針ヒュニスを多層魔法陣で放つ。


 横殴りの吹雪のように針が吹くが、オークはその巨体も相まって、手前の2体が命を散らして肉の盾として機能した。



「おぉ、賢い。野生は凄いな」



 明らかな知識を持ったオークに感動していると、入口のオークの後ろから更にもう1体オークが現れ、その肩にはシスティリアが担がれていた。


 エストが4体に向かって更なる魔術を放とうとすると、洞窟の奥目掛けて気を失ったシスティリアが投げ込まれた。


 最後尾のオークが彼女を担ぎ上げ、洞窟の奥へと運び込む。



「……賢すぎない? それにしても……オークって笑うんだね」



 下卑た笑みを浮かべる入口の個体を見て、エストは背嚢を降ろした。

 中には大切な相棒を入っているので、危険から避けるべきだと判断したのだ。


 物理的な意味でも肩の荷が降り、杖を構えるエスト。



「悪いけど、返してもらうよ。あの子は僕の仲間なんだ……臨時だけど」



 杖を一振りすると、杖先に青、白、黒の混ざった多重魔法陣が5つ展開された。術式のベースは絶対零度ヒュメリジ。しかし、その原型が見えないほど改変されている。


 大量の魔力を注いで魔法陣に魔力が充填されると、コツン、と杖先で地面を叩いた。



 刹那、洞窟の中に雪が降り始めた。



 小さく白く降る雪に、オークは天井を見上げる。

 すると、そこには澄んだ青空の中に輝く、銀色の太陽が昇っていた。

 巨体のオークもその光景に目を奪われている。そんな幻想的な世界から、死神の声が脳に響く。



「ばいばい」



 見上げたままの6体のオークは、全身が凍結して死んでいた。

 水と闇による高度な幻覚を見せ、痛みすら感じさせずに凍らせる死の魔術。


 対魔物用に開発した上級氷魔術──銀世界ヒュレイド



「あ、外のオークも触れちゃったか。可哀想に」



 一瞬にして7体のオークを倒したエストは、奥へと運ばれたシスティリアの方へ走る。

 念の為にネフには森に避難してもらい、光魔術で照らしながら最奥に向かう。


 意外にも入り組んだ洞窟を進むと、金属を打つような音が聞こえた。



 まさかと思い光を飛ばすと……




 壁、床、天井。全てが血まみれになった部屋で、倒れたシスティリアが殴打されていた。


 砕けた棍棒を腹に突き刺すように振り下ろし、オークは必死の形相で彼女を殺さんとしている。


 周囲にはかつて人間だった物が散らばっており、獣人ではないエストでも顔を顰めるほどの凄まじい臭気が漂う。


 そのあまりに凄惨な光景に、エストは杖を握りしめた。



「……決めた。お前だけは苦しめてやる」

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