第65話 白狼の救世主


 目が覚めたら、森の中に居た。

 どうやら出待ちしていたオークに殴り飛ばされた衝撃で、少し間気を失ってたらしい。


「……アイツ、死ぬんじゃないわよ」


 体を起こすと、白い魔術師の顔を思い出した。

 昨日と今日で分かった、やけに感情を表に出さない変なヤツ。


 初めて会った人はみんな、アタシが獣人だからという理由で距離をとるのに、アイツだけは飄々としてた。


 今年の魔術対抗戦は絶対観に行こうと思っていたけど、依頼主が獣人相手に金を払いたくないとかゴネ出したせいで間に合わなかった。


 イライラしてたところにぶつかってきたアイツに、ついカッとなって決闘を挑んじゃったわ。



 まさか、惨敗するとは思わなかったけど。

 アイツに折られた右腕の痛み、一生忘れない。

 みんなの前でお漏らしもしちゃったし、この仕事が終わったら一発ぶん殴ってやろうかしら。




 なんて思っていたら、オークが来た。




 これは……死んだわね。

 そういえばどうして今生きているのかしら?

 普通、あんなデカいオークに殴られたら即死するわよ。まぁ、幸運だっただけね。


 アイツは鳥とも仲が良いみたいだし、運をおすそ分けしたんでしょ。でも、それもこれでおしまい。


 歩くこともままならないアタシは、オークに殴られて意識が飛んだ。きっともう、二度と起きることはない。





 ──そう、思ってた。



「……っ! はぁ、はぁ……生き……てる……?」



 また目が覚めたら、今度は真っ暗だった。

 遂にアタシも死んだのかなって思ったけど、なんか手が濡れてるし、嗚咽が出るほど強い血の臭いがしてるし、多分生きてる。


「……ふぅ、閃光ラシュ


 手元に光を出すと、アタシは後悔した。

 濡れていたと思っていた手は真っ赤に染まっていて、壁は一面ワインのような赤。それも、黒くこびり付いたような色からして、血の色だと思う。


 地面に光を当てると、人間の頭が落ちていた。



「うっ、おえぇぇぇ!!!!」



 知っている……人だった。

 アタシに剣術を教えてくれた、Bランクの冒険者。

 信じられない。嘘だ。どうして?


 胃の中の物をぶちまけても、答えは得られなかった。

 喉が焼けるように熱くなっていると、彼だった物の近くに、彼の仲間だった人の破片があった。


 何度も何度も吐き出していると、重たい足音が聞こえてくる。

 その足音を、アタシはよく知っている。



「ヒッ! やめて! 来ないで!」



 棍棒を持ったオークだ。

 これ以上アタシに何をしようと言うのか。

 この体が無傷なのが悪いの?

 今まで生きていたから悪いの?


 生きようとする力を奪うように、オークはアタシの頭を殴った。

 体が浮く感覚がして、死を予感する。


 でも、先輩の冒険者が緩衝材になって、アタシの意識は失うことがなかった。その上、体は無傷。

 もういっそのこと殺してほしい。


 どうしてこの体に傷がつかないの?

 アタシは魔術を使ってないのに。どうして?

 殺してよ。もう嫌だよ。早く楽にしてよ!



 倒れたアタシのお腹を、オークは何度も棍棒で殴った。

 衝撃だけが響いて、苦しい。

 焦ったように振ったからか、何十回も殴らているうちに、オークの棍棒が真ん中で折れてしまった。



「……アハハ……不思議」



 アタシの体って、こんなに頑丈だったっけ。

 白狼族はその昔、龍人族と争うほど強い種族だって聞いてたけど、その龍人族が滅んだ今、アタシの強さは分からない。


 思えば、災難な人生だった。


 物心ついた時には生みの親はおらず、まだ冒険者をしていたギルドマスターに拾われた。

 何故かアタシには魔力適性が2つあって、水と光なんていう、世界が羨む才能を持っていた。そして、それらが悪用されないように、毎日練習する生活が始まった。


 ただでさえ獣人は舐められるから、口調は強く。

 意地っ張りだと思われてもいいから、絶対に下に見られないように。


 ギルドにある魔道書を読んで、冒険者に鍛えてもらう日々は、外で走り回る方が好きなアタシにとって、少しだけ退屈だった。



 魔術師としては半人前。

 剣士としても半人前。

 態度だけは一人前。



 10歳を超えたぐらいから、周りの冒険者は冷たくなった。どんな役をやらせても中途半端で、声だけでかいムカつくガキ。


 いつしかそんな評判が広まって、アタシは自分の居場所を見失いそうになった。


 もう、誰も拾ってくれない。

 誰も教えてくれないし、誰も着いてきてくれない。

 誰も助けられないアタシは、誰にも助けられない。


 このまま孤独で一生を終える。

 優れた種族に生まれ、中途半端に生きる。

 そして、道半ばで息絶える。



「やめて……もう、やめて……」



 懇願しても、オークは殴るのをやめなかった。

 当たり前だよね。魔物に人の言葉は通じない。

 いつになったら死ねるのかな……なんて思っていると、洞窟の中が酷く冷えてきた。


 多分、もうすぐ死ぬんだと思う。


 一瞬、アイツが助けに来てくれたのかなって思ったけど、来れるワケがない。

 ううん……来るワケがない。


 アタシ、アイツに酷いことを沢山言った。

 賢いのかバカなのか、新しい知識に目を輝かせる姿が面白くて、つい当たっちゃう。



 アイツの隣……涼しかったなぁ。

 ちょっと気を引きたくて手を触ったけど、全く気づかなかったし。

 ……かっこよかった。歳が近い男の子の冒険者なんてみんな子どもっぽかったけど、アイツは違った。


 子どもらしさはあったけど、顔つきとか視線の鋭さとか、絵本で読んだ王子様みたいだった。



 あぁ……死にたくないなぁ。



 もう少し、隣に居たい。

 あと一秒、顔が見たい。

 もう一言、話がしたい。


 不思議と居心地がいいあの場所に戻りたい。

 お願い。誰か助けて。

 アタシともう一度だけ、アイツに合わせて。



 最後くらい、ありがとうって言いたい。




「……決めた。お前だけは苦しめてやる」




 そんな声が聞こえた瞬間、耳を疑った。

 アタシを煽った時の声じゃない。

 アタシに果物を食べさせた時の声じゃない。


 怒りに震え、歯を食いしばった時の声。

 

 顔を上げると、体から冷気を放つアイツが居た。

 視線だけで人が殺せそうなくらい冷たい目でオークを見たあと、アタシを見た。



「大丈夫。今助けるから」



 そう言ってアイツは、笑った。

 屈託の無い綺麗な笑顔は、どこまでも澄んでいて。

 優しく語り掛けてくれた声は、怒りを知らない。


 でも、アタシから目を離した瞬間、氷よりも冷たい目でオークを見た。

 次の瞬間には姿が消えていて、部屋の奥からドチャッと何かが潰れる音がした。


 音の方向を見ると、アイツが信じられない速度で蹴り飛ばしていたのが分かった。

 今の一撃でオークが気絶したみたいで、ぐったりしてる。



 そこにアイツは……光魔術を使って起こした。



「……え?」


「おい。どれだけ人を殺した?」



 目を覚ましたオークの頭を、杖でぶん殴った。

 当たりどころが良かったのか、オークはまた気絶しちゃったけど、その度に起こされている。



「これだけの惨状。ただ殺しただけじゃない。あのオークは笑ってた。この意味が分かる?」



 あのオーク? ……多分、入口に居たヤツだ。

 他とは違う雰囲気があったけど、笑うなんて。

 魔物が笑うって、相当な知性が無いと無理なはず。つまりアレは……オークの上位種?



「ここに居る人たちはいい。戦いに負けたんだ、どうするかは君たちの自由。だけど、生きてるシスティリアをいたぶったことは許さない」



 え? 今、なんて言った?

 アタシの名前を言わなかった?



「僕が生きている以上、仲間は殺させない。僕は、守れないほど弱くない」



 ……なによ、カッコつけちゃって。

 でも、これ以上ないほど頼りになるわ。

 本当に、ここまで強いなんて思わなかった。アタシはコイツに、どんなお礼をしたらいいんだろう?


 コイツ……恋人とか居ないわよね。

 顔は良いけど言動がアレだし、受け入れてくれる人は少なそう。だとしたら……チャンス。冒険者なんていつ死ぬか分からないんだし、出来ることは早めにやっちゃわないと。



「はぁ、はぁ……魔術、使いすぎた」

 


 それから1時間くらい、オークをいたぶってた。


 ようやく気が晴れたのか、オークを殺したコイツは、アタシを抱きかかえた。光も弱くなってるし、どれだけあのオークを治癒したのかしら。


 お姫様抱っこしてくれたコイツ……エスト、だっけ。

 下から見ても綺麗な顔だわ。

 ちょっとズルいと思う。

 こんなに強いんだから、少しくらいブサイクな方がお似合いよ。



「──聞いてる?」


「な、に……?」


「このまま、宿に行く……報告する気力、無い」


「それでいいわよ……ありがとう」



 それからコイツは、残った魔力を使って鞄を繋いで何とか歩いたわ。動けないアタシを抱っこしたまま。

 弔い代わりの拷問をしたのは、無駄な消耗だと思う。


 でも、それはアタシを。

 あの冒険者たちの心を晴らしたのは確か。


 アタシは眠気に襲われながら、手を伸ばした。

 ひんやりと冷たい頬を撫でると、心地よい眠りについた。

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