第203話 小さな偉業


 怪樹の森の課題が始まってから3日が経った。

 生徒らは生きることに必死な鋭い顔つきになり、精神的な疲労を訴える者や他の班と手を組む者が現れた。


 後者はエストのクラスを見て判断し、魔術師だけのパーティが如何いかに難しいか、よく理解してのことだ。



 夜の森の中、講師陣は死者が少ないことを喜ぶが、ひとりだけ、様子がおかしい者が居た。



「ヴライト先生、なにを俯いてらっしゃる?」


「……貴様には関係ない」


「貴方ほどの歴戦の魔術師が俯かれると、我々も不安になるものです。どうかお話し頂けませんか?」


「黙れ。魔術師の底辺が」



 初日の夜から陰鬱とした様子を隠しもしないヴライトに、他の講師も心配していた。

 普段とは違って鋭い棘で身を守るように、何かから怯えるような彼の姿は、心配を通り越して恐ろしくも見える。


 そんな講師たちの集まりに、2つの足音が近づいてきた。



「魔術師の底辺か。僕はそうは思わないな」


「仲間が差し伸べた手を払うほど愚かな行為は無いわ。しっかり謝った方が身のためよ?」


「おお、エスト先生にシスティリア先生! 珍しいですな、お2人がいらっしゃるなど」


「様子を見に来た。ヴライト以外は大丈夫そうだね」



 講師たちはそれぞれが得意な魔術で簡易的な拠点を設営し、水魔術師として何冊も魔道書を出しているフィオナが、2人に温かいお茶を出した。


 エストが土像アルデアの小さなソファを作ると、システィリアと並んで座る。


 受け取ったティーカップが同じ土像アルデアだと見抜くと、先程から優しく話しかけるティンストン教授に微笑むエスト。



「貴方の授業のおかげで、私の土魔術は成長……いえ、進化を遂げました。感謝していますよ」


「君が努力したからだよ。土魔術は下に見られがちだけど、その汎用性は飛び抜けているからね。地味だけど役に立つ……良い魔術だ」


「はっはっは。本当に魔術の話となると饒舌になりますな。エスト先生、貴方のクラスは何人も宮廷魔術師を輩出するでしょう」



 お茶を啜ったシスティリアがまろやかな甘みのある味に尻尾を振ると、それを見たフィオナが嬉しそうに笑う。


 女性陣がお茶の話をする横で、エストは小さく呟いた。



「多分、僕のクラスからは出ないよ」


「理由を伺っても?」


「みんな、目標を持ち始めてる。魔道具師になりたかったり、商人になりたかったり、冒険者になりたかったり。ちゃんと魔術の上に自分たちのやりたいことがあるんだって、わかり始めたんだ」


「ほう……魔術の上にやりたいこと、ですか」


「例えば、パン屋になりたい生徒が居るんだ」


「パン屋ですか? それまた何故?」


「火魔術で焼き上げたパンには、顔色があることに気づいたんだ。魔道具による一定温度の焼き上げより、磨いた技術で焼きたいパンによって温度を変える。そうすることで、種類ごとに美味しいパンが焼けるんだってさ」


「面白い。火魔術にそんな使い方があるとは」


「みんな生き生きとしてる。魔術の楽しみ方を知ってくれたから。だから、魔術に縛られる宮廷魔術師になる子は居ないと思う」



 無論、家のために宮廷魔術師になる者は居るだろう。それが本人の決めた道ならエストも止めはしない。

 だがしかし。自分の在り方に、なりたい姿を思えるようになれば、しがらみから抜け出そうとするはずだ。


 エストは、そんな生徒の背中を押したいと言う。



「素晴らしい。実に自由な魔術師ですな」


「曖昧でないと魔術たりえない。魔術師は自由でいいんだよ。ティンストンはそう思わない?」


「私は……今では貴方と同じ考えです。ですが貴方が来る前……正確には貴方の授業を受ける前まで、私は重度の理論派でした」


「そうなんだ。それにしては上手かったけど」


「ありがとうございます。私の教育方針はとにかく勉強です。歴史を知り、今を知り、未来に繋げる。古い魔術にこそ答えがあると、そう教えてきました」



 長い髭を優しく撫でながら、ぬるくなったお茶を見つめる。

 表面に映る小さな星々の煌めきは、彼の元から宮廷魔術師団へと進んだ者たちのように、懐かしさと共に後悔を与えた。



「だが、私は知らなかった。今の魔術がどれだけ人を支え、輝かしい未来へ繋げてくれたか……私の教え方ひとつで、彼らの未来を苦しめてしまった」


「人は簡単に変わるからね」


「ええ……私自身を見て、そう思います。もう誰も、同じ経験をさせたくはない」


「後悔してるなら、それは魔道書……というか自伝? にしたらいいじゃん。魔術講師の教科書にしたら、その願いは叶うんじゃないかな」



 それは、ティンストンにとって理想の案だった。

 魔術師として何十、何百、何千と読み漁ってきた魔道書と同じように、講師として役に立つ書物にすればいい。


 最も簡単で、最も効果的な方法である。



「……そうすれば良かったのか」


「ひとつの案だよ。君に合ったやり方でいい」


「貴方は本当に、人を変えるのが上手い」


「それ褒めてる? まぁいいけど。お茶ご馳走様。美味しかったよ」



 そう言ってエストが立ち上がった瞬間、背後に出現した土槍アルディクを発動する前に破壊したエストは、システィリアの肩を優しく叩いた。


 2人用の別の拠点に帰ると言い、フィオナに手を振る彼女の隣でヴライトを見る。



「次は無い」



 それだけ告げて彼女と手を繋ぐと、肩を寄せながら拠点へ歩いた。

 学園には良い人ばかりではないことを理解すれば、その後の夜は2人で話していた内容を語り合い、穏やかな時を過ごす。




 翌朝は少し蒸し暑さを感じる森を歩き、生徒たちの様子を陰ながら見守るエストたち。


 結局あれから魔族の姿は見ることがなく、以前にジオから教わった『魔族を増やすことが出来る魔族』の仕業だと結論づけ、息を整えた。


 普段はジオがそういった木っ端の魔族を討つのだが、今回は近くで発生したためか彼の影は無い。

 人に紛れた5人の魔族について今度話そうと決め、今は生徒たちの無事を見届ける。




 そして迎えた最終日。



 アウスト率いる1班や、クオードが班長の2班など、戦闘や戦略に長けた班は積極的に魔物を狩るようになり、森での生活が安定していた。


 もう森に住めるほど充実した暮らしを送るが、ボタニグラやミラージュマンティスなど、気を抜けない魔物を相手に多少の疲れが見えた。



 太陽が真上に来る頃に講師たちが一斉に動き出し、生徒らを森の外で集めると……死屍累々といった光景が広がっていた。



「よし、僕のクラスは死者ゼロだね。君たち、慣れない環境での生存は大変だっただろう。よく頑張った」



 他クラスでは仲間の亡骸を前に絶望し、涙を流す生徒も少なくない中、エストのクラスだけは死者も目立った怪我をした者も居なかった。



「先生。俺は先生が毎日鍛えさせてくれたおかげで生き延びられた。心から感謝している」


「僕は魔術師として当然のことを教えただけ。君たちが今こうして立っていられるのは、君たちが努力したからだ。ここで一度、頑張った自分を褒めてあげて」


「よく頑張りました。アタシからも褒めちゃうわ」



 まだ抜け切らない緊張感が晴れると、生徒たちはほっと胸を撫で下ろした。

 システィリアも皆の頑張りを褒めてあげれば、皆の心に陽光が差す。熟練の冒険者にそう言われてしまうと、同じ高みに至ろうとする生徒は確かな炎を燃やしたのだ。


 温かい空気に風が涼しく感じれば、続々と馬車が集まってきた。



 しかし、何故かエストのクラスには馬車が停らない。



「おいおい、俺たちは歩いて帰れってか!?」


「違うよ。君たちが乗る馬車はこれだ」



 エストが杖を振った途端、白い大きな箱馬車と、それをく氷の馬が現れた。


 土像アルデア氷像ヒュデアのみで造られた、ちゃんと動く馬車だ。

 新品の如き輝きと、まるで生きているかのように自然に動く氷の馬を見て、他クラスからも視線が集まる。



「僕が責任を持って君たちを王都に帰す」


「アンタねぇ……これはやりすぎよ」


「中には蜂蜜漬けの果物とかあるから、好きに食べていいよ。全部この森で採れた物だから安心していい」



 王族の乗る馬車より豪華な造りのソレたちは、班ごとに中に入った者が皆、一様に感嘆の声を漏らした。

 座席部分は柔らかく、夜でも眠れるように毛皮や枕も用意してあり、まるで宿の一室が丸々入っているようなものだった。


 箱の前面からは氷の馬が歩く様子が見え、それら全てが魔術で出来ていることが恐ろしく感じる。



 行きと同様、エストが1班に、システィリアが2班の馬車に乗り込み、一日ごとにズレていくことになった。



「さて、出発だね」


「これ全部動かしてんのかよ……気持ち悪っ」


「エスト先生、どれだけ魔力あるんですか?」


「まだあと10台は出せるかな。でも、そんなに出したら馬車の部品が維持できないから、頼まれてもやらないよ」


「……ブヒンノ、イジ?」


「ア、アウスト君! 目を覚まして! 先生しかこんなこと出来ないから!」



 箱は当然ながら、車輪やそれを繋ぐ部品も全て独立させた土像アルデアで出来ている。そのため、常に何百もの魔術を管理しないと事故が起きてしまう。


 ゆえに、エストの言った『責任を持って帰す』という言葉は、アウストが吐き気を催すほどに異常な技術の証明となる。



「そういえば君たちは、一度僕が助けたね」


「あ……もしかして減点とかあるのか?」


「あるよ。でも、ミラージュマンティスを討伐したり、森での生活に適応してたから、この学年で一番の成績だね」


「マジか! 二番はやっぱりクオードか?」


「うん。あっちも適応したからね。クオードは魔術も上手いけど、何より賢い。あえて魔物の血を遠くで撒いたりして、班のみんなを危険から遠ざけていたよ」


「……流石だ。俺はそんな考え方出来ねぇぜ」



 ライバルの巧みな技を聞いて、自分にもその思考能力があればもう少し班の負担を減らせたと思うアウスト。


 だが、精一杯やり遂げた今を純粋に労えと言うエストに、大きく頷くのだった。



「……ちなみに先生ならどれくらい暮らせるんだ?」


「死ぬまで。オルオ大森林のミストスピンに比べたら、ミラージュマンティスは単純な隠れ方をするからね」


「聞いたかルミス。この人平気で指定危険区域の名前を出したぞ」


「まぁ、エスト先生だから……」



 生まれた時から森での暮らしをしていただけあって、怪樹の森で暮らすのに難しいことはない。

 アリアに骨の髄まで食料調達の仕方や拠点の作り方をエストを叩き込まれたエストは、例え魔術が無くとも生きていけるだろう。



「せんせ……怪樹の森の怪樹って……なに?」



 突然そう聞いてきたのは、1班で索敵を主としていた風の魔術師、ミュウだった。



「もっと深い場所に行くと、沢山の木が集まってできた、捻れた大木の森が広がっているんだ。そこは人が住めないくらいトレントがひそんでいて、それで怪樹の森って名付けられた」


「……そうなんだ。ありがと」


「じゃあ俺たちが居たのって……」


「うん。表層も表層。トレントなんて滅多に見なかったでしょ」


「……滅多にどころか、一体も居なかったぞ」



 初夏の風を浴びながら、この遠征が本当に自分たちを殺すためだけのものでないと知り、アウストは静かに身震いする。

 本当の怪樹の森に入っていれば、どうなったか。



 心の底から表層で良かったと思う、1班であった。

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