第204話 ちょっとそこまで


 帰り道も3日目に入った頃、ふと己の変化に気づいたクオードが、昼の休憩中にエストを捜す。

 どこかの班に紛れていると思って歩くが、どこにもエストの姿は無かった。



「システィリア先生。エスト先生が見当たらないのだが」


「……匂いもしないわ。どこに行ったのかしら? 戻ってきたら伝えておくわね」


「お願いします」



 白狼族の嗅覚を持ってしてエストを見つけることが出来ず、きっとどこかで食べ物を探しているのだろうと推測するシスティリア。


 しかし、休憩が終わってもエストは帰って来なかった。

 それでも馬車が動いたことから、彼女は不思議そうに窓から顔を出した。



「……どこに行っちゃったのよ」



 寂しそうな彼女の呟きが春に流れていく。

 風でなびく髪を片手で抑え、頭頂部の耳はぺたりと倒れ込んだ。



 一方その頃、エストは怪樹の森の深層に居た。

 一歩踏み出せば気配を察知したトレントが現れるため、木々の間に張り巡らせた氷の糸の上を歩き、奥へと進んでいく。


 暗く冷たい空気が立ち込める。

 まるでここだけ冬のように息が白くなると、エストは小さく息を吐いた。



「姿を見せなよ。殺しに来たんだろう?」



 エストの呟きと共に冷気が放たれる。

 しかし感知している魔力の主はエストの前には現れず、霧のように消えてしまう。



「……逃げたか」



 完全に気配が消え、エストは馬車へと転移する。

 エストの予想では魔族……それも五賢族の誰かだと思っていたのだが、相手は余程警戒しているのか、挨拶も交わさずに去っていった。


 突然現れたエストに3班の生徒らが驚く中、風を浴びようと窓から顔を出した。


 すると、たまたま同じタイミングで顔を出していたシスティリアと目が合う。



「エスト! アンタどこ行ってたの!?」


「ちょっとそこまで。心配させちゃった?」


「もう……大丈夫よ。クオードが呼んでたわ」


「わかった。ありがとう」



 馬車の中では生徒と喋るか魔道書を読むエストだったが、深層に隠れていた誰かのことが気になって仕方がない。


 不安。焦燥。あの時、相手と目を合わせた方が胸を曇らせることはなかった。

 見えない敵は、そう認識しただけで脅威となる。

 それが相手の策略か否か、エストは手のひらアリアで気を紛らわせることしかできない。


 普段と違う様子に、3班の班長ミリカも声をかけづらく、日が暮れるまで静寂を保っていた。



 馬車が停まり、生徒も野営に慣れてきた。

 いつ見ても贅沢と言わざるを得ない夕食を作っているエストたちの拠点に、クオードが訪れる。



「クオード。呼んでたんだっけ」


「はい。実は遠征中、一度だけ走りながら魔術が使えた」


「おお、もうできるようになったんだ。早いね」


「だが……その一度きりで、意識的な部分があるのなら教示賜りたい」



 頭を下げるクオードに、エストは腕を組んだ。

 そして『う〜ん』と唸るエストに更に深く頭を下げるクオード。



「う〜ん……わかんない」


「……は?」


「ごめんね。僕、今までずっと動きながら魔術を使ってたせいで、君たちの感覚がわからないんだ。なんて言うのかな……呼吸の仕方って誰にも教わらないでしょ? そんな感じ」



 動きながらの詠唱を呼吸と同じ扱いで語るエスト。その難易度の高さは、4年生でトップの成績を誇るクオードでさえ、初めて達成したほどだ。


 これが才能か……あまりにも理不尽な差に開いた口が塞がらないクオードだが、その実態は理不尽なものではない。



「アンタ、エストを天才だって思ったでしょ」



 出来た料理を運んできたシスティリアが、才能に打ちひしがれるクオードにそう言った。



「……ああ」


「認識を改めなさい。ソイツは常人なら廃人になってもおかしくない鍛錬を5歳の時から積んでるの。光魔術の鍛錬で毎日何度も腕を折られて、攻撃系の魔術はそれこそ息をするように扱えないと容赦なく食らう。それが日常よ?」


「つまり……努力次第で身に付くと?」


「ええ。アタシだってそうやって習得したわ。学園での授業って、エストやアタシの育ってきた境遇と比べたら、物凄くぬるいのよ。その分、自由なんだけど」



 エストは魔女に力の使い方を叩き込まれた。

 そうでもしないと、街どころか国すらも滅ぼしかねない才能を持っていたから。


 才能を上回る努力を重ねない限り、外に出す気など毛頭なかったのだ。


 システィリアはエストに、魔術の使い方を教わった。

 光魔術がどれだけ戦闘、生存に有利な魔術か。それを戦いながら使えたらどれだけ強くなれるかを示し、必死に食らいついた。


 2人とも、師は違えど並々ならぬ努力を積んだのだ。

 それを内心で『才能だから』と片付けられることに、システィリアは腹を立てた。



「八つ当たりしてごめんなさいね。動きながら魔術を使うコツ、アタシが教えてあげる」


「……是非」


「簡単よ。体の動きに意識を割かないこと。もしくは、魔術を無意識に使うこと。このどっちかが出来たら、剣で戦ってても魔術が使えるわ」



 無意識の魔術。それは何度もエストに叩き込まれた光魔術の使い方であり、命の危機に瀕した際、体が勝手に魔術を使うようになることだ。


 これは属性が変わっても同じことであり、術式を体が覚えるほどに魔術を使い込むか、体が勝手に動くほど体術や身のこなしを磨くしかない。


 一言で言えば、どちらかを極めろ。

 システィリアはそう告げた。



「僕は無意識に魔術を使うタイプだね」


「アタシは両方。最近は晩ご飯の献立を考えながら戦うこともままあるわ」


「魔術なんて百回も使ったら覚えるよ」


「アタシは千回以上使ってようやく覚えたわ」



 一朝一夕で身に付く技術ではない。

 それこそ10年、もしくはその倍の時間を要して到れる境地。

 クオードは今、茨の山に一歩を踏み出したところだ。

 その先に待ち受ける艱難辛苦を超え、ようやく2人の足元が拝める。



「楽しんでね。魔術を楽しんでたらすぐだよ」


「肩の力を抜きなさい。曖昧に楽しむものよ?」


「あ、ああ……ありがとう……ございました」



 果てしなく高い山を前に、クオードの足が震える。

 肩の力を抜いたところでどうしようもないのだ。

 賢いクオードでさえ愚直に進むしかないと察し、改めて講師となった2人の魔術師に胸を打たれた。


 他の講師にはない絶大な経験値。

 自由な発想のもとに生まれた奇跡の如き魔術。

 そして、決して途切れさせない地道な努力。



 真に憧れ、目標とするべき人を定めたクオードは固く拳を握る。



「絶対に……追いついてやる」

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