第202話 森に潜む鼠


「ただいま。システィ、仕事の時間だよ」



 1班の命を救い、手元にある学生評価表に丸を付けたエストは、ベッドに寝転がりながら魔道書を読む彼女を呼び出した。


 枕元に魔道書を置き、立て掛けていた剣を腰に差すと、エストと同じ純白のローブを身に纏う。

 フードのポケットに耳を入れ、彼の背後に立った。



「怪しいのは生徒かしら?」


「紛れてるのは2人。あと闇魔術師が3人」


「はぁ? ならアンタが……そういうこと」



 エストが1班の元に駆けつける前、怪樹の森を探索していると闇属性の魔力を感じ取ったのだ。

 灰の山に落とされた1粒の塩のように薄い痕跡。


 それは、暗殺者や密偵者が紛れ込んでいることを知るには充分な情報だった。



「これは……遠征どころの話じゃなさそうね」


「手練だよ。それも、怖いくらいに」



 システィリアの嗅覚を持ってして捜すのが困難なほど、森に隠れている闇魔術師は気配を消している。

 貴族の使う手は薄汚いと思う反面、エストは相手の魔術師に感心する。これほどまで上手く気配を消すには、並大抵の努力では辿り着けない。


 血のにじむような鍛錬の果てに習得したことを評価し、2人で挑むことにしたのだ。



 家の中にある物を亜空間へ移し、家そのものを維持していた魔術を消すと、エストを先頭に疾走する。



 怪樹の森に点在する生徒を洗い出すため、闇属性の魔力を感じた方向へ走っていると、他クラスの4人班に遭遇した。



「あ、確かヴライト先生を殴った……」


「見つけた」



 エストに真っ先に反応した男子生徒の頭を掴んだエストは、全力で背後の木に叩きつけた。


 突然の暴行に他の3人が顔色を恐怖に染めると、叩きつけられた生徒はゆっくりと起き上がり、懐に収めていたナイフを投擲する。


 グサリとエストの腹に突き刺さったのを見て、笑みを浮かべる男子生徒。



 しかし──



「僕が誰だかわかってるくせに、あまり舐めるな」



 一瞬にして手元に出した杖で男子生徒の両腕と両脚の骨を砕くと、何事も無かったかのようにナイフを抜いた。


 切っ先に着いた血の他に、刃に透明な粘液が塗られていることに気づくと、苦悶の表情を浮かべた男子生徒は小さく笑った。



「ははっ……ペインスコルの毒だ……お前はもうじき死ぬ」


「おお、呪術の触媒に使う毒液か。貴重だね」


「……その余裕も、いつまで持つか」



 エストが刺された腹を片手で擦りながら、ケロッとした顔で言う。



「君たちは僕らを相当甘く見ているね。この程度の毒で殺せると思っていたのなら、聖女の歴史を学び直した方がいいよ?」


「……は?」


「光魔術が最も輝く瞬間は、怪我をした時と毒に侵された時だ。ちゃんと適性外の魔術も学ばないと」



 ナイフで刺された痕も無ければ、体内を破壊するはずだった猛毒も解毒されてしまい、偽装していた男子生徒はその治療の早さが理解できなかった。


 魔術を使う素振りすら見せなかったのだ。



「エスト〜? こっちは2匹捕まえたわよ」


「流石だね。さて、話し合いといこうか」



 黒いローブに身を包んだ男の首根っこを掴んだシスティリアは、怯える生徒に簡単な説明をした後、エストのそばに立った。


 杖を構え、森の外へ転移しようとすると──



「捜す手間が省けた」



 毒を塗ったナイフを手に、暗殺者が現れた。

 片方は学園生と同じローブを着用し、もう片方は黒いローブだ。

 両手が塞がっているシスティリアは水針アニスを完全無詠唱で発動させ、2人の両目を貫いた。


 しかし、余程訓練されているのか気配だけでエストに斬りかかると、エストは催眠ダーラを使う。


 完全に意識を支配し、無力化した。

 ……はずだった。



「いいね。対闇魔術も訓練したのか」



 即座に自身の魔力でエストの魔術を乱すと、目が見えないにも関わらず2人は襲いかかる。

 素晴らしい努力に感服したエストが氷の縄で拘束すれば、殺意の灯火が消えていく。



「暗殺者は並の冒険者より強いわね」


「最初の3人は元から囮だった可能性が高いね。こっちの2人だけ異常に強かったもん」


「アンタ……色んなヤツにモテすぎよ。魅了するのはアタシだけにしなさい」


「ははっ。この人たちの雇い主が求めているのは僕じゃなくて賢者の力だ。ちゃんと僕を見ているのは、君くらいだよ」



 残っていた無関係の生徒たちには講師たちの居る方向を教え、周囲の気配が完全に消えたのを確認してから、エストはしゃがみ込んだ。



「さてと。君の顔を見せてごらん」



 項垂れる暗殺者のフードを持ち上げた。

 その瞬間、2人の間に緊張が走る。



「ねぇエスト……これって……」



 濁った赤黒い髪をした男の頭には、天を穿つような2本の角が生えていた。

 その目には恨みを宿し、勝てないと分かっているからこそ呪い殺そうとする憎悪の念が透けて見える。


 今までにエストたちが出会ったソレとは違い、角は小さく細いものの、人の頭に角という情報だけで衝撃に値する。


 周囲の気温が急激に降下し、エストの足元から凍結の波が広がっていく。



「そうか。もう君たちが動き出したのか」


『賢者……お前は必ずやイズ様が──』



 男が何かを言っている最中に、氷の刃がその首を討ち取った。

 落ちた首がもうひとりの方へと転がっていくと、殺人鬼を見るような目でエストを覗く魔族。



「雇われ暗殺者だと思ってたのに、現実は酷いもんだ。もっと最悪なのは、君たちを雇った者がいること。魔族と手を組もうなど、反吐が出る」



 2人が強かった理由も判明すると、その後も黒ローファーの暗殺者のフードを上げては殺し、結局、全員が魔族であることが分かった。


 明確にエストを狙った雇い主は誰なのか。

 王都に広がる深く、暗い闇の一角を握りしめたエスト。



「闇魔術の使い手は怪しんだ方がいい」


「情報はアタシが集めるわ」


「頼むよ。あまり悠長にしていると、大量の死人が出るかもしれない」



 怪樹の森に紛れ込んだ鼠が5匹。

 その鼠が運ぶ悪夢の知らせは、エストを……そして王国を揺るがす凶兆となる。

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