第229話 侯爵邸へようこそ


「ここが東部の街か。随分雰囲気が違うね」



 茶色の薄汚れたローブを身に纏うエストが呟くと、確かにそこは西部の港街とは違い、塩田や民家が多く、海からも多少離れているため風も僅かに温かい。


 商人の第一の売場であり、塩の買場でもある。子どもや女性が多く、生活感に溢れているのだ。



西部こっちは東部で採れた魚を干したり塩漬けにして商人に売っている。土地も平らだから塩も作りやすい」


「2つでひとつの街って、なんだか面白いわね」


「さながら夫婦めおとのようだな」



 何気ないブロフの呟きに答えたのは、領主邸まで案内をしようとしたオーグだった。



「よく分かったな。シトリン領は別名、夫婦街ふうふがいだ。男が海で魚を採り、それを女が塩漬けにする。どちらが欠けてもいけねぇから、そう呼ばれてる」


「塩漬けを買う商人は子どもかな?」


「ご近所さんかもしれないわよ?」


「あはは、良い例えですね! こちらではよく、商人は神父様と言われています。懸命に働く夫婦の頑張りを、水の精霊アイル様にお伝えするんです」


「精霊……」



 ロマンチックな話に皆が笑っている中、エストは精霊という言葉に引っかかりを覚えた。それは、時と空間の精霊に会った時、氷の精霊の生い立ちについて知ったからだ。


 元々は水の精霊だったヒュミュが、時の精霊をに心酔したあまりに、氷の精霊になったというもの。



「どうしたの? エスト」


「水の精霊はどんな姿なのかな〜って」


「アンタねぇ……確かに気になるけど」



 やはり球体なのか。それとも自然の魔女ネモティラのように人の姿を持っているのか。

 そんな話をしながら歩いていると、遂に侯爵邸が見えてきた。


 他の家々よりも一際大きく立派であり、常に2人の兵士が門の番をしているため、ひと目でそれが領主の館だと分かる。


 そこで、エストは黙って魔術を使った。

 周囲の景色に溶け込むように光を曲げ、エストとシスティリアの姿が消える。



「最初から僕らが居ても面白くないよね」


「オレとライラはそのままか?」


「うん。僕らのことを聞かれたら、ハネムーンを楽しんでると言えばいい」


「……分かった。見つかるなよ」



 目視では絶対に見つけられない透明化の魔術を前に、ライラは驚きに目を大きくさせ、オーグは祈るような顔つきで頷いた。


 門番の2人にシトリン侯爵からの文書を見せると、兵士は三度の確認を終え、姿勢を正した。



「ドワーフの同行者よ、武器を預かる。退館時に声を掛けよ」


「ハァ……傷つけるなよ」


「無論だ。では、通ってよし」



 ブロフの大剣が門番の手に渡ると、あまりの重さに取り落としてしまう。

 ガシャンと大きな音を立て、大理石の石畳に亀裂が走る。



「なっ……なんだこの剣は」


「二度は言わん。丁重に扱え」



 鋼よりも遥かに硬く重いアダマンタイトの大剣は、石材を容易に砕いてしまう。鍛え抜かれた門番でさえ持てない大剣に、応援に来た兵士が2人がかりで運ぶ。


 大切な剣を取られたブロフが怒りを見せながら、扉を守る2人の兵士の前に立った。


 身分を示せる物をと言われ、オーグら3人が冒険者ギルドのカードを見せると、それぞれA、A、Cランクであることを確認した。


 Aランク2人という戦力に若干兵士が戸惑いを見せたが、ピシりと姿勢を正し、大きな扉を開けた。



「通ってよし。応接間への案内は従者が行う。玄関で待て」



 玄関に敷かれた赤いカーペットの上で従者を待っていれば、透明状態のシスティリアがエストの耳に息を吹いた。


 ゾワゾワっと鳥肌を立てて反応するが、声を出してはいけない。しかし、どうにかやり返したくなったエストは、彼女の尻尾をそ〜っと撫でた。


 全身の毛を逆立て、口を手で塞いで我慢するシスティリア。

 そんな2人の攻防戦の前で、ライラが呟く。



「あの、背後が騒がしいです……」


「見えていないがな。空気の流れが騒がしい」


「……緊張している俺がバカみたいだ」



 ひとしきり無言の戦いを楽しんだ2人は、お互いに声を出さなかったことを褒めたたえ、手を繋いだ。



「来ましたよ」



 そうして、案内役であろう執事がやってくると、3人の前で頭を下げた。



「お待たせしました。それでは、2階の応接間へご案内します。どうぞ、お気を張らずに」



 裁判をするというのに随分なもてなしである。

 ライラの記憶が正しければ、被告人は1階に留まらせておくため、この時点で対応が異常であることは分かった。


 執事に着いて行くと、国王や侯爵よりも上の立場の者を迎え入れる、最上級の応接間へ通された。



「シトリン様がいらっしゃるまで、ご自由にくつろぎください」



 たくさんの果物やクッキーなどの焼き菓子が置かれたテーブルと、壁に掛けられた海を描いた絵画。

 青を基調とした調度品の数々は、平民の出であるオーグにとって、あまり良い居心地とは言えなかった。



「気が抜けないな」


「まぁまぁ、オーグさん。果物を頂きましょう?」


「ところで2人とも。クッキーが浮いてるぞ」



 沈むほど柔らかいソファに座った2人は、王都での暮らしを思い出したのか、リラックスして菓子を食べていた。



「ん〜、あのお店の方が美味しいね」


「そうねぇ。思い出したら食べたくなっちゃうわ」


「お前ら……自由過ぎるぞ」



 紅茶を淹れるライラをよそに、2人はパクパクとクッキーを食べていた。いくら侯爵が来るまで暇だと言っても、緊張の欠片も見せない様子にオーグの心がほぐれていく。


 5つのカップに紅茶を注いで持ってきたライラに、エストがお礼を伝えながら『違う瓶の茶葉でもう1つちょうだい』と言った。

 賢者の頼みを断れるはずもなく、言われた通りに持ってきた。



「ありがとう。美味しいよ」


「え、えへへ……ありがとうございますっ」


「……なるほどね」



 テーブルに並んだカップを見て頷き、揺らした尻尾でエストの背中を撫でるシスティリア。

 紅茶とクッキーをこれでもかと堪能していると、コンコンとドアがノックされた。


 オーグが答えるとドアは開かれ、透明組は部屋の端に移動した。


 執事の前に立ち、応接間に入ってきたのは、武に長けたことが見て取れる筋肉質の体と、豪奢な赤い髪が特徴的な壮年の男だった。



 3人が一斉に立ち上がると、頭を下げた。



「よい。オーグ……久しいな。その後、変わりは無いか?」


「……はい。変わらず、漁を続けております」



 オーグとシトリン侯爵には面識があるのか、硬い雰囲気こそ崩さないものの、声に乗せられた感情は温かいものだった。


 しかし、視線をずらしてブロフを、そしてライラを見ると、侯爵は歯を食いしばった。



「お初にお目にかかります、シトリン侯爵様。Cランク冒険者のライラと申します」


「Aランクのブロフだ。漁の関係者として来た」


「……そうか。座ってくれ」



 そうして4人がソファに座ると、テーブル上のクッキーが全て無くなっていることと、カップが6つも出されていることに違和感を抱いた。



「菓子を楽しんでくれたようだな」


「え、ええ。程よい甘さで手が止まらず……」


「何故カップが6つも?」


「そそそ、そちらは私が2種類の紅茶を出しまして……」


「そうか」



 ブロフが一言『美味かった』と言えば、侯爵も鼻を鳴らして喜んだ。その様子を見て、システィリアが尻尾を打ち振れば、エストは自慢げに彼女の肩を抱いた。


 カップに違和感を持たれることを予期して6つ目を出させたのだ。上手く先読みが出来たことを喜び、透明であるが、エストの目はキラキラと輝いている。



「要件であるが……ケルザーム漁を辞めよ」


「理由を伺いたい」


「此度の漁で賢者エストにケルザームの攻撃、その矛先が向いたという。奴の爆熱は鉄をも溶かし、爆ぜさせる。危険性は貴様が最も知っているであろう?」


「お言葉ですが、彼は三大海帝のヒュドラをも倒した方。同じ海帝であるケルザームであれど、彼の者が怪我を、ましてや命を落とすとは思えません」


「落としてからでは遅いのだ。今や賢者エストが我が国にとって、どれほど大きな存在であるか……」



 大きな存在。そうは言っても誰もがエストのことを知っているほど有名でもなく、貴族から見た政治の道具としての意味しか持たない。


 救国の英雄ではあるが、救うのが早すぎたのだ。

 魔女ネルメアからの手紙にも、『民の尽くが困り、魔族が敵だと周知した上で救えば、違う世界を歩んだであろう』と記されていた。


 だがエストは、自らのために他人に苦を強いれるほど、傲慢な人間ではなかった。


 ドゥレディアでの復興や住民たちとの関係を経て、被害者は何よりもまず救済すべきであり、環境の修復も次いで望まれる重大な事柄だと理解したのだ。



 ライラが挙手をすると、侯爵が頷いて答えた。



「大きな存在と仰いましたが、ではどうして来訪された際に周知させなかったのでしょうか? 確かにケルザーム漁は危険ではありますが、それは他の漁も同じこと。ケルザーム漁だけを禁止するのは、間違っていると思います」



 至極当然の言葉がぶつけられ、侯爵は息を飲む。

 侯爵相手に無礼な態度だと、後ろで見ていた兵が武器を構えたが、すぐに武器を下ろすよう手を挙げられた。



「ケルザームは特段危険な魔物であり、時期も重なれば浅瀬にもやってくる。被害が出る前に漁から手を引き、彼らに深海へ帰ってもらうのだ」


「誰も呼び寄せてなどおりません。ケルザームはケルザームの意思で浮上してきます。漁を辞めたところで、別の漁船に大きな被害が出ることは明白です」



 ゆえに、専門の漁師が被害を出す前に狩る。

 実際問題、ケルザーム漁によって助かった漁船の例は多く、民衆に聞けば必要か否かはすぐに答えが出るだろう。

 稀にしかオーグの船に乗る者は現れないが、その時に仕留めれば、大きな金とたくさんの命が回るのだ。


 そうやってオーグらケルザーム漁師は生きていたのだが、シトリン侯爵は何かと理由を付けて辞めさせようとする。


 そこに生まれた違和感、疑念はライラたちの胸で膨らみ、次第に我慢の限界も来る。

 侯爵も、何故従わないのかと懐疑の目を向け始め、怪しい空気が立ち込めた。



 そして、これ以上は話にならないと判断した侯爵は、早々に手を打つことにした。



「シトリラスめ……忌々しい。この場で3名を斬り伏せる! 私の判断に異を唱える者は居なかった……それでよいのだ」



 控えていた兵士が、そして侯爵までもが剣を抜くと、ようやく出番が来たかとエストが動いた。



 侯爵の目の前に、一粒の雪が舞い降りる。

 ふわりふわりと落ちた雪は剣先に着地すると、瞬く間に刀身を凍りつかせ、床と氷の柱で繋いでしまった。



「な、なんだこれは!」


「さぁ、なんだろうね?」



 エストが侯爵の背後に現れ、部屋の中は騒然とする。

 いつ入って来たのかも分からないエストの登場に、混乱の渦が巻き起こったのだ。



「賢者エスト……何故ここに……!?」


「どうしてだと思う? ヒントはケルザーム。よ〜く考えて、目の前の状況と照らし合わせてね」



 そうして、完全に姿を現すタイミングを見失ったシスティリアが、そそくさとエストの隣に現れるのだった。

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