第230話 逃げ方の違い
「僕が来た答えは出たかな? シトリン侯爵」
「……貴方の目的は、ケルザームのはずだ」
「うん、正解。でもね、それはそれとして僕の友達が殺されかけたんだ。オレンジ色の髪で、魔術師で、確か姓が…………シトリラス、って言うんだけど」
真正面からシトリン侯爵の瞳を覗くエストは、イタズラというには悪い大人の顔をしていた。
あまりいじめてやるのも可哀想だが、相手はライラの胴体を切断したのだ。優秀な魔術師を減らそうとした罪は大きい。
エストの瞳に雪の結晶の紋様が浮かぶと、体から冷気が発せられた。
一歩、ぐいっと踏み出すと、高そうなカーペットに凍った跡がつく。
逃げるように侯爵が一歩引けば、ソファの背中にぶつかった。
「僕らはケルザームを食べに来たのに、漁も禁止された上に、友達も殺されかけたんだ。可哀想だと思わない?」
「王都では学園生にも教えて、魔族の脅威からも守ったのに、王国民はアンタに厳しいわね」
「そうだよね……誰かが言うには、僕って国にとっては『大きな存在』らしいんだけど、こんな対応されたらねぇ……守る価値があるのかなって思っちゃうよ」
残念そうに首を振ったエストから、1頭の氷の蝶が現れた。ひらりと指先に乗った蝶は、その翅から氷の鱗粉が舞い落ちる。
パッと見ただけではそれが魔術で造られた物だと分からない精緻さに、皆の視線が集まっていく。
そして充分に視線を浴びた蝶は、再び飛び立つと──バラバラに砕け散った。
「君に選択肢をあげよう」
「……選択肢、だと?」
指を3本立てたエストは、順番に折って教えていく。
「まずは、そもそも僕の話を無視する選択肢」
「……はぁ」
「次に、僕らの存在を抹消する選択肢」
「…………ほう?」
「最後は、今後一切ライラには関わらず、ケルザーム漁にも手出ししない選択肢」
一番の目的にして最善の選択肢。
3つのうち2つがエストと敵対という形になっているのだが、そこに気づかない侯爵ではない。
実質最後の選択肢しか選ばせないことは明白であり、あくまで侯爵と敵対するのではなく、ただ友人を守り、ケルザームを頂くことに重点が置かれている。
「無視をする、と言ったら?」
「僕、国王から敵対した貴族を消すことが許されてるんだよね」
「もういい、分かった」
「話が早くて助かるよ」
エストが気を緩めた瞬間だった。
「死ねぇい!!!」
氷から強引に剣を引き抜いた侯爵が、勢いそのままに斬りかかったのだ。
すんでのところで認識出来たエストだったが、それよりも早く、システィリアが剣を弾き飛ばした。
続く二度の斬撃で両手首を落とし、腕力のままに血を振り払った。
「ぐぅッ! ……貴様……!」
「あら、天井に突き刺さっちゃった」
見事に突き刺さった剣を見たシスティリアは、尻尾を左右に振りながら鞘に納めた。
磨き上げられた鋼よりも煌然とするアダマンタイトの剣は、納められてようやく抜かれたことに気がつくほど美しい。
間合いを維持しながらエストの隣に立てば、珍しく彼の方から呆れた目を向けられた。
「システィ……また速くなった?」
「アンタを守るためよ」
「今のは僕でも見えなかった」
「ふふんっ! ……アンタはアタシが守るから、3人を」
ブロフたちに
「シトリン侯爵、僕は話し合いという行為が苦手だから、今みたいなことは助かるんだけど……相手を見極めてからの方がいいよ」
「……貴族殺しは問答無用の死罪だぞ」
「僕言ったよね? 敵対した貴族を殺しても、国王は不問にするって。何を聞いていたの?」
自身を従わせるための嘘だと判断した侯爵だったが、システィリアやブロフが冷静に頷いているのを見て、その話が本当ではないかと疑い始めた。
「それで、どうかな? 今まで通りにケルザーム漁をして、ついでにライラに手を出さないって約束してくれる?」
「……この期に及んで、約束するとでも?」
「別にしなくてもいいよ。その場合、襲ってきた連中が土の中で眠る上に、フリッカには明確に敵だと言うけどね」
こんな感じに。
そう言うと、薄い木の板で張られた天井の上から3人の男女が落ちてきた。皆一様に両手足が氷で固められており、落下の衝撃で悶え苦しんでいる。
「3回も足音を立てて、バレないと思ったのかしら?」
「魔力探知にも引っかかるし、君たち暗殺に向いてないよ。本気で潜伏するなら周囲の魔力と同調させることだね」
「……エスト?」
「……うん、喋りすぎた」
実力のある魔術師が使う潜伏方法を言ってしまうエストに、システィリアがジトッとした目を向けた。
しかし、そうしている間も侯爵の腕からは出血が止まらず、額には脂汗が浮かんでいる。このままでは本当に殺してしまうので、トン、と杖先で床を叩くと、
瞬く間に両手が再生する姿に恐怖を覚えた侯爵は、座り込んだまま後ずさりしてしまう。
「あ、気づいちゃったか。約束するまで切断と回復を交互にしようと思ってね。安心して。失った血液も魔力で修復してるから」
「アタシたちはただ、友達を助けたいだけなのよ。アンタがどういった理由でライラを狙うのか、話してちょうだい」
システィリアが毅然として態度で聞く。
嘘をつけば次は首が飛ぶ。彼女の声にこもった凄まじい覚悟を前に、侯爵は回復した両手を握り、震える唇で言葉を紡ぐ。
「……復権の芽を、摘みたかった」
「復権? シトリラスのってことかしら?」
「ああ……以前までの我が領地は、海帝に怯えながら細々と漁を続ける……そんな地であったのだ」
ケルザームによりシトリラス夫妻が亡くなり、民衆のケルザームへの風向きは大きく変わったのだ。
ただ怯えるだけの領民ではなく、ケルザームを狩り尽くさんと兵や道具の輸入を始めた。
かくいうシトリン侯爵も、従兄弟であったライラの父を思い、仇討ちに漁船を出したこともある。
そうしてメスのケルザームを中心に仕留めた獲物を産物として輸出し、今や産業としての鍵にもなっていたのだが、エストたちが訪れる5日ほど前に、とある事故が起きてしまう。
「オスの群れだ……奴らが次々と漁船を沈め、経験を積んだ漁師も、優秀な若い漁師も皆、海の底で眠ってしまった」
「メスから狩られた恨みだろうね。野生の魔物は賢いもん。一度沈め方を知ったら、連携をとるようになったんだろう」
「……そして私の息子も……ウィブルもまた、彼らと同じ場所へ行ってしまった」
一人息子のウィブル・シトリンがケルザームにより命を落としてからというもの、漁師の数は瞬く間に減っていき、遂にはオーグひとりとなっていた。
息子の墓を見る度、同じ海を見て育った友、オーグを失う恐怖に苛まれた侯爵は、かねてよりケルザーム漁の禁止は考えていた。
そこに、追い討ちをかけるようにライメリア・シトリラスも漁に出ていることを知り、更に2つの問題点が出た。
それは、ケルザームの討伐によるシトリラスの名誉回復と、跡継ぎが居ないシトリンに成り代わる可能性だった。
オーグは冒険者としての強さも相まって、過去に何度もケルザームを揚げている。そこにライラの本名が伝わることで、侯爵の座を奪われることを恐れたのだ。
「わ、私は侯爵になんてなれません!」
「……それは民の声と、全権を持つフリッカ様が決めることだ。あのお方に『代われ』と言われれば、覆ることはない」
ライラを抹消すれば、侯爵の座をそのままに漁を禁止し、オーグには冒険者として生きてほしかった。それがシトリン侯爵の望みである。
だが…………そこにエストが現れた。
「貴様が現れたせいだ。貴様のその、出鱈目な力が私の計画を狂わせた……これ以上私から大切なものを奪わないでくれ……」
「奪うつもりは無いさ。僕はただ、ケルザームを食べに来ただけだからね。君の境遇にも全く興味はない」
「ではなぜ……!」
「自分を守るために、罪の無いライラを殺そうとしたからだ。禁漁に関しては納得はできる。でもね、その椅子を立ちたくないがために、魔術師を殺すことは許さない」
エストは基本、魔術師の味方である。
才能を持つ者には育て方を教え、未来ある者には種と共に、丁寧に育て方を記した本を渡した。
社会を作る土台にもなる魔術師を殺すのは、エストにとって、社会にとっても大きな損害なのだ。
それも3つの適性を持つライラが標的となれば、システィリアの次に本気を出して守るだろう。
「僕はまだ、君と敵対はしていない。今ここで誓ってくれたら、このことは誰にも言わないと僕も誓うよ。禁漁は保留でいい。だけどライラだけは、襲わないと誓ってほしい」
拒否権は無かった。貴族といえど、力の前にはひれ伏すことしか出来ない。だが、恐れたのだ。これでライメリアが名を馳せることで、侯爵が代わるのではと。
未だ侯爵の胸で燻る不安を払ったのは、他でないライラだった。
「元々私には、継承権すらありません。ライメリアという名も……もう捨てたものです。今更拾ったりはしません」
「……そうか」
はっきりと彼女の言葉を聞き入れた侯爵は、ひとつ大きく頷き、禁漁を辞めて今後一切ライラに手を出さないことを誓った。
「私は……どこまでも逃げたかったのだな」
悔しさに涙をこぼす侯爵の前で、エストは胸を張って言う。
「逃げることは悪くない。逃げ方が悪かったんだ」
「……それを逃げない賢者が申すか」
「僕だって逃げてきた。正直に言えば、魔族となんか戦いたくない。一瞬で街を灰すら残さず消せる相手と、誰が戦いたいっていうんだ」
「…………」
「でも、もう逃げられないんだ。家族と仲間、友達を守るためには、魔族と戦わなければならない」
エストは何度も吐露していた。魔族と戦いたくない、と。しかし現実はそれを許さず、民を守る盾となり、魔族を討つ矛となることを命じたのだ。
「君はまだ逃げられる。だけど……そろそろ立ち向かう時だよ。君がやるべき事は、みんなをケルザームの恐怖から離すこと。でしょ?」
「……ああ、そうだとも。民を守ることが、領主の使命だ」
「それが言えるなら、君は大丈夫だと思う。これからは前を向いて行こう」
エストは踵を返すと、システィリアと共に応接間を出ようとする。これ以上話すことは無いと目で言えば、ブロフとライラ、オーグも廊下に出てきた。
部屋の中が慌ただしくなるのを背に半透明な魔法陣を展開すると、一瞬にして景色が変わる。
エストが皆を転移させたのは、宿のリビングだった。
「一件落着だね。まさかここまで上手くいくとは」
「ヒヤヒヤしたわよ……」
「おい、オレの剣が──」
ブロフが立ち上がった瞬間、床に大きく重たいアダマンタイトの大剣が現れた。
何か酷いことはされなかったかと手入れを始めるブロフをよそに、ライラとオーグは深く頭を下げた。
「その、ありがとうございました! エストさんたちのおかげで、私……」
「まさかあの事故が原因だとは思わなかった。エス坊、シス嬢、それにブロフさん……感謝する」
2人の感謝を受け取ったエストたちだったが、隣でプルプルと震えたシスティリアが、エストの両肩を掴んで振った。
「変なあだ名がアタシにまで飛び火したわ!」
「ま〜ま〜、ブロフだけ普通なのは気に食わないけど」
「そうよ! それにシス嬢ってなによ! お城の名前かしら!?」
「もう、めんどくさい……そんなところも好きだけど」
それからも数時間、オーグの付けた変なあだ名を訂正させようとするシスティリアだった。
「あはは……今日一番盛り上がってますね」
「コイツらはそういうモンだ。慣れろ」
「……はいっ!」
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