第231話 教育係は小さな戦士
「いよいよ明日が新月だが……エスト、お嬢。本当に依頼は受けないのか?」
侯爵との問題が解決してから少しして。
刺してくる陽射しを嫌い、寝室の机に向き合うエストと、赤い伊達メガネをかけたシスティリアが魔道書を読んでいた。
サラサラとペンを走らせる音が止まると、ドアの前で立っていたブロフに呟く2人。
「今日は魔道書を書く日って決めてる」
「今日は魔道書を読む日って決めてるのよね」
「……そうか。オレはライラを鍛えてくる」
分かってはいたが、ダラダラしたいだけの返答を受け取り、最後の希望とも言えるライラに祈るブロフ。
ライラを彼らのように常識の外に出た人物にしてはいけないと思ったブロフは、自ら教育係を申し出たのだ。
ケルザームの戦闘に耐えられる程度を求めていたエストにとって、その提案は夢にも思っていなかった。
「そうだ、ライラに伝えておいて」
ペン先にインクを付け直したエストが、背を向けたブロフに言った。
「魔術を過信するな、ってね」
「お前がそんなことを言うとはな」
「魔術師は魔術を取られても戦えなきゃ意味がない。システィと違ってライラはただの人間。体の限界はよく見てあげてね」
無理をさせては体に深い傷を残してしまうかもしれない。痛みによる恐怖は忘れ難く、完治した後も記憶が足を引っ張るだろう。
注意深く観察しろというエストだったが、ブロフは小さく首を傾げた。
「ああ。だが……オレたちのパーティに、ただの人間が居た試しが無い」
「僕の顔を見てそれを言うの?」
「アンタは10歳の頃から異常だったわよ」
「……そ、そんなことない!」
「嫁に言われてんだ、認めろ」
「…………くっ!」
システィリアに言われては勝ち目が無いと悟ったのか、エストは魔道書の執筆を再開させた。
明日が最も大事だろうに。悠長にしている暇があるのか? と思うブロフだったが、なんやかんやこの2人なら大丈夫だと、心の奥では信頼していた。
大剣を背負い、薬草や保存食をまとめ、飲料水を生み出す魔道具を入れた鞄を肩にかけ、待ち合わせ場所のギルドに来た。
「おはようございます、ブロフさん!」
「ああ、おはよう。早速だが、簡単なトレーニングをした後、ダンジョンへ行くぞ」
「はいっ!」
暑いだろうにローブを着ていたライラは、ふわっとした橙の髪を揺らしながら訓練所へと歩いていく。
人への指導経験が一切無いブロフだが、彼女はエストも驚く3つの適性持ちであり、なんとかなるだろうと踏んでいた。
しかし──
「も……もう無理……」
訓練所を15週したところで、ライラは倒れた。
魔術師としては平均的な体力であるライラにとって、ブロフの言う『簡単なトレーニング』は、全力で鍛えてもまだ足りないハードワークであった。
「まだ15周だぞ。魔術師、戦士を問わず体力は求められる。アイツの言葉を借りるなら、体の余裕は心の余裕、だな」
「えぇ……エストさんって体力も凄いんですか?」
「オレの知る限り、エストより体力のある魔術師は見たことがない。今朝もここでお嬢と模擬戦をしていたぞ」
「なんですかその超人は」
「剣を持たせたらポンコツだがな」
あの杖でないと、エストの身体能力は発揮されない。ただでさえ鍛えに鍛えた肉体を持つエストだったが、龍の魔力を取り込んだことでシスティリアに匹敵する肉体を手に入れたのだ。
それでも、彼女に模擬戦で勝利する割合は2割に満たず、今朝もボロボロの状態になっていた。
「エストに並ぶ必要は無い。だが、他の魔術師は越えろ。才能はエストが保証する」
「ブロフさんじゃないんですね……」
「オレには魔術の善し悪しが分からん」
長めに休憩をとり、次は筋力トレーニングを始めるが、またすぐにバテてしまう。それでも諦めずにまた休憩、トレーニングを繰り返す頃には、太陽が真上で輝いていた。
ギルドに併設された酒場で昼食を注文し、ダンジョンの話をしようという時。
「あ、ブロフ。ゾンビみたいなライラも居る」
声をかけてきたのは、サングラスをかけた青い薄着のエストと、耳の穴が空いた麦わら帽子を被ったシスティリアだった。
ふわりと白のスカートをなびかせると、エストの腕を抱いた。
「ふむふむ……よく見ろって言ったのに」
光属性の魔石で作られたサングラス越しに、ライラの疲弊具合を見たエスト。
パチン! と、おちゃらけたように指を鳴らすと、彼女の肉体的な疲労をさっぱり回復してしまった。
「システィ。せっかくの休日デートだし、あのカフェに行こうか」
背を向けたエストが言うと、同様にシスティリアも外へ向く。
「ふふっ、そうね! アンタの奢りかしら?」
「え……もちろん」
「……アンタまた魔道書買ったでしょ」
「…………民間の魔術だから、つい」
システィリアの尻尾に叩かれながらエスコートする様子は、無駄遣いを叱る母親とその子どものようである。
体の疲れが抜けたライラが立ち上がるが、お礼を言う前に2人は出て行ってしまった。
昼食を装ってライラの様子を見に来たエストたちだったが、その優しさはブロフにだけ伝わっていた。
座り直したライラが昼食に手を付け始める。
美味しそうに食べる彼女を見て、ブロフは首を横に振った。
「エストさんの魔術、凄いですね」
「どう凄いんだ?」
「あまりにも早いんです。術式の構築が早すぎて、魔道具を使っているみたいに簡単そうに見えちゃうんです」
「……実際は違うんだな」
「はい。普通は構成要素をひとつずつ組むので、素人でも10秒。使い慣れていても3秒は使います。それをエストさんは──」
「目にも留まらぬ早さでこなした、と」
「そうです。それも完全無詠唱で。理解できません。どれだけ使い込んだら、あんなに滑らかに使えるのか……聞いてみたいです」
帰ったら聞けばいいじゃないか。そう思うブロフだったが、かつて似たようなことを言ったシスティリアに、エストがこう返していた。
「頭と体に染み付くまで使い込む。そう言うと思うぞ」
才能が重視されやすい魔術師は、努力ではどうにもならないと思われがちである。その常識を覆す存在は度々現れるのだが、実績で見られてるために有名にはならない。
しかしただひとり、講師という立場に着くことで、才能重視の現状を破壊した者がいる。
「なんだか燃えてきますね! こんな私でも、ずっと頑張れば強くなれる気がして」
「なれる。人はどこまでも強くなる。信じろ」
「はいっ! よ〜し、午後も頑張りますよ!」
気合いを入れ直し、ライラは拳をグッと握った。
この調子ならパーティ唯一の常識人になれると信じ、ブロフは最後まで育て上げることを胸に誓った。
打倒ケルザームを掲げる一行にとって、強力な火魔術が使えるという存在はとても大きい。
エストが魔術を教えるまでの、肉体的な土台を築く時に常識を固める必要があった。
そのために、驚異的な身体能力を持つシスティリアに慣れる前に、ブロフの動きに合わせる練習を始めた。
「オレが一撃入れる。怯む瞬間に合わせろ」
「分かりました!」
シトリン領の数あるダンジョンの中でも、強い魔物が少ない方のダンジョンに来た2人。
身の丈を超える大剣を片手で持ったブロフが、主魔物であるオークの前に立ちはだかる。相手も大木のような棍棒を手にしており、奇しくも似たようなシルエットだった。
しかし、あくまで似ているのは見た目だけ。
いざ戦闘が始まって見れば、ブロフの大剣はオークの棍棒を粉砕し、そのでっぷりとした胸に大きな傷をつけた。
「今だ!」
「
ブロフが動き出した瞬間から魔法陣を用意していたライラは、渾身の一撃をオークにお見舞いする。
やはり3つの適性持ちであるからか、エストに教えられる前であっても魔術の地盤はしっかりとしており、オークの胸に風穴を空けた。
仕上げに全身が燃え上がると、オークの巨体が両手ほどの魔石へと姿を変えた。
「す、凄いです! なんというか、安定感があります!」
「……パーティを組んだことがないのか?」
「はい! とろい魔術師は御免だと、臨時パーティすら組んだことがありません!」
「自信満々に言うな。だが、これで分かっただろう。前衛が作った隙に魔術師がぶち込む。今みたいな戦いが、パーティ戦闘における理想だ」
宝箱から赤色の魔石を取り出したブロフは、オークの魔石と合わせてライラの背嚢に仕舞いこんだ。
「基本、前衛は荷物を持てない。後衛が戦利品を預かり、持って行くのだが……やれるか?」
既に背嚢には沢山の魔石が入っている。
重さは5キログラムは超え、段々と増えていく重量に悲鳴をあげる後衛は珍しくない。
次の主部屋まで耐えられるか。
言外に込められた意図を汲み取ったライラは、覚悟を決めた顔で頷いた。
「よし。つらくなったら言え。オレが持つ」
「はいっ! ……えへへ、優しいんですね」
「……その方が合理的だからな」
頬を掻いたブロフは、そっと顔を背けた。
そうして、パーティ戦の基本を教えながら、2人は進んで行く。
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