第232話 金貨ロール
「ふぅ……お腹いっぱいまで食べちゃったな」
「ここの料理は西部随一よ。レシピ狩……ごほん。色んなレストランを渡ったアタシが保証するわ」
およそ一般人の2ヶ月分の食費を一食で使ったエストは、豪商ファルムがオーナーの喫茶店に来ていた。
メニューの端から端までを食べ切る姿に、東部の街から来たマダムたちも、話そっちのけでエストに注目していた。
花の蜜を垂らした紅茶を飲み、食後のデザートを楽しんでいる。
「それでエスト、手持ちは幾らかしら?」
「宿代を引いたら20万リカだね。またヒュドラを狩ったら一気に稼げるけど……ケルザーム用に魔力を残したい」
またもや精霊の真似事──氷律──を使えば、ケルザームとの戦いで余裕が無くなってしまう。魔法に限りなく近い“律”を使うことは、今のエストには出来なかった。
そこで、頬をぷくーっと膨らませながらも、耳をピコピコと動かすシスティリアが提案する。
「もうっ! あんまりやらせたくはなかったのだけど、今日だけはアレを許すわ」
「アレ……?」
「アンタの得意な、ア・レ!」
そう言って差し出してきたのは、10万リカ金貨である。普通に生活する上では、貯金する場合にしか使わず、消費する時も銀貨に崩して使う硬貨。
システィリアが金貨をそのままで渡してきたのは、普通ではない使い方をするためであり……即ち──
「……良い輝きだ」
公国では路銀の種だった、ギャンブルである。
久しぶりの“イケナイ遊び”に胸を踊らせたエストは、コインロールをしながら彼女に問うた。
「何倍にしようか」
「6倍以上でお願いするわ」
「仰せのままに、マイハニー」
「ブフーっ!!! げほっ、ごほっ! ハ、ハニーだなんて……えへへへ」
含んでいた紅茶をエストの顔面に吹き出し、両手で頬を挟んでいやんいやんと体をくねらせた。
貴重な紅茶が勿体ないと思いながらも布で拭き、実に楽しそうな表情でゲームについて考えるエスト。
修行時代にジオと何度も遊んだだけあって、例え賭けをしなくても遊ぶ時は全力でやる。それがエストのポリシーだった。
「だけど……元手が多いと緊張感が無い」
「うへへへへ……エスト?」
金貨で会計を済ませたエストは、お釣りとして帰ってきた銀貨40枚のうち、30枚をシスティリアの前に差し出した。
「この1万リカを60万リカにしよう。遊ぶ時も目標があった方が燃えるからね。せっかく君が託してくれたんだ……本気でやらなきゃ、旦那に相応しくない」
「エスト…………えぇ、信じてるわ」
格好をつけてシスティリアをときめかせるエストだったが、その会話の内容はギャンブルである。
勝てば存続、負ければクズ男。
システィリアの夫たる地位を揺らしかねない、一世一代の勝負が始まった──!
◇ ◆ ◇
「ライラ、ここまでだ。引き返すぞ」
「わ、私はまだやれます!」
ダンジョンの奥地にて、パーティ戦闘に慣れさせていたブロフたちだったが、あと少しで次の主魔物という時に、撤退が決定された。
見るからにライラの動きが遅くなり、疲弊と魔力の消耗が酷かったのだ。
本人の言う通り、“まだ”やれるのだろうが、これ以上は明日の漁に響くため、ブロフは大剣を納めた。
「オレが疲れた。普段はお嬢とエストがなぎ倒すからな。久しぶりに動いて疲れたわい」
「そう……ですか。分かりました」
「焦るな。お前はお前のペースで強くなれ」
「……はい」
魔石でパンパンになった背嚢を奪い取ると、自身で背負うブロフ。背中と背嚢で大剣を挟むように持っているため、帰りは最短ルートを余儀なくされた。
そんな、小さくも心強い背中を見つめながらダンジョンを出たライラ。
すっかり陽も落ち、夕飯も兼ねて換金をしようとギルドの前に来ると、何やら中が騒がしい。
様子を見ようとブロフたちが覗き込むと──
「フォーカード。僕の勝ちだ」
「ぐああっ!!! 俺の稼ぎがぁぁっ!!」
日中でもないのにサングラスをかけたエストが、20人あまりの冒険者に囲まれながらカードを見せていた。
テーブル上に置かれた金貨を手際よく重ねていくと、囲んでいた冒険者……否、敗北者たちに見せつけた。
「ふっはははは! 勝てばこの金貨8枚が手に入ったというのに……さて、他に挑戦者は……居ないね。それじゃあみんな、今日はありがとう。気をつけて帰るんだよ」
そう言ってギャンブルが終わると、集まっていた冒険者たちは皆笑顔で外に出て行く。
「いや〜、面白い奴だったな、サングラス男」
「絶対に全財産は賭けさせようとしないし、良い奴だよな」
「だがあの運はねぇよぉ! 俺なんか、ストレートフラッシュで蹴散らされたんだぞ!」
「リスクの管理も上手かった。あえて同じ役で場を流した時、思わず声を上げちまったよ」
楽しそうに会話する冒険者が過ぎると、金貨を仕舞ったエストがサングラスを外す。
それに合わせてブロフたちも入ってきた。
「賭け事をしていたんですか?」
「……お嬢にギャンブルは禁止されただろ」
「あぁ、おかえり。システィに『稼いでこい』って言われたから、暇そうな冒険者から巻き上げていたんだ。うっへっへ」
悪い顔をしながら言うエストに、ライラが頬に指を当てながら言う。
「あれ? でも全財産は賭けさせなかったって……」
「……なんで知ってるの? まぁいいけど。2人はこれから換金でしょ? 頑張ったね」
純粋な労いの言葉ににやけるライラと、頬を掻くブロフ。はち切れんばかりに膨らんだ背嚢は、2人の頑張りをよく見せていた。
「お前の方が稼いだがな」
「ギャンブルで80万……夢があります!」
今回のブロフたちの稼ぎは、多くても20万リカである。ゴブリンやコボルトなどの下級の魔石しかないため、どうしても単価が安くなってしまうのだ。
その点、討伐困難な魔物や未討伐の魔物の魔石は、単価が恐ろしく跳ね上がる。
一日中頑張って得た魔石が19万リカになると、15万リカをライラの手に渡すブロフ。
半分以上どころか、報酬の殆どを渡されたことに驚くライラだったが、『頑張った奴には褒美が要る』と言われ、目を輝かせて受け取っていた。
「初めてです……一日で10万リカなんて」
「お前はまだまだ強くなる。これは投資だな」
「はいっ! このお金で魔道書を買って、じゃんじゃん強くなっていきますね!」
胸を張って成長宣言するライラだったが……その話を聞いたエストが、ちょうど良かったと呟きながらトレント紙の束を突きつけた。
「え、えっと……これは?」
「魔術の基礎を書いた魔道書。今言っていた魔道書代だけど、服とかご飯とか、他の物に使いなよ」
講師生活で教えた内容が凝縮された、これから魔術師になる者なら喉から手が出るほどの魔道書だ。
必要最低限の知識をこれでもかと詰め込み、その束を全て理解する頃には試したくてウズウズすることだろう。
ちらりと表紙を見たライラは、ぶわっと涙を溢れさせた。
「どうして……どうしてここまで、優しくしてくれるんですか……?」
「優しくないよ。君が強くなれば、僕の負担が軽減できると思ってね。利用する気満々だよ?」
「でもっ……でもぉ!!」
ライラには素質がある。魔術師として高みに至る素質が。それをみすみす見逃すほど、エストは馬鹿ではない。
魔族と戦える戦力は少しでも多い方が良い。
そして、全ての魔族を倒し終わった後でも、彼女なら力を悪用しないと思ってのこと。
泣き崩れるライラに、手を差し伸べた。
魔女から教わった、人を守るということ。
それが物質的にせよ精神的にせよ、これから来る災厄を退ける力を与えることも、また守ることだと気づいたのだ。
単独の限界はもう知っている。
ひとりでは、守れない命があることも。
「強くなろう。君の力は、たくさんの人を助けられる。少しずつでいいから、ね?」
優しい表情に重なる、鮮やかな影があった。
それは昔、適性が3つもあることを知ったライラの両親が、ライラには好きなことをさせて、健康に育ってほしいと願った時のもの。
今はもう会えなくなったけれど。
でも、同じ意志を持つ最高の人が……憧れの存在が手を差し伸べてくれたのだ。
「はいっ……私……強くなりますっ!」
お手製の魔道書を左手で抱え、右手ではエストの手を取ったライラ。その目から溢れる雫は希望と喜びに満ちており、瞳の奥では目標地点の火を灯した。
何年かかっても、いつか同じぐらい強くなる。
両親から託された才能の種を、何が何でも咲かせなければならないのだ。
覚悟を決めたライラの後ろで、小さな溜め息が聞こえた。
「……常識人が減っちまったな」
もう常識を枠を外す気満々のライラに、ブロフは打つ手無しと判断した。
立ち去っていくエストの背中は、やはりどこか小さく見える。しかし自身に満ちた白い影こそ、エストの象徴だった。
こうしてまたひとり、種を発芽させたエストは。
宿に帰ってくるなり、迎えに来たシスティリアを強く抱きしめていた。
「おかえり……甘えん坊の日かしら?」
「ただいま。ちゃんと金貨8枚にしてきたよ」
「あら! 冒険者より向いているんじゃない?」
「例え向いていても、僕は君の隣で戦うよ。ギャンブルは独りの戦いだ……僕が居るべき場所はここなんだよ」
その言葉に、ぽっと頬を染めたシスティリア。
ぷるんと潤んだ唇を重ねると、彼女の方から抱きしめた。
エストの好きな体温。
左右に振られた尻尾。
行き場を失ったように動き続ける耳。
感じる情報全てが温かく、優しい。
溢れんばかりの愛情が混ざり合う。
お互いに顔を赤くしながら体を離せば、照れたシスティリアが紅茶を淹れると言う。
台所へ行く彼女だったが、不意に足を止めると、またエストの元に戻ってきて口付けを交わした。
「大好きよ。アタシの旦那様」
「ヴッ! ……ダメだ、システィが可愛い……すぎる」
「ふふっ、昼間の仕返しになっちゃった」
まだまだシスティリアには敵わないな。
彼女の深い深い愛情を全て受け止めたい。心からそう願う、エストであった。
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