第233話 その涙は海へと還る(1)
満月も沈み、太陽の目覚めを待つ晴れの海。
ケルザームが繁殖のために浮上するには絶好の天気だった。
港にて、木箱に山積みの魔石を運び込むオーグを手伝うのは、エストとブロフ、そしてシスティリアの3人である。
1箱でかなりの重量があるため、ライラは仕掛けの準備をしている。
慣れた動作で運ぶオーグと、力には自信があるブロフとシスティリア。龍の魔力で強化されているが、エストはひとつずつ慎重に運び込む。
船の推進力を生むのは、2つに増えた風の魔道具である。単純な魔石消費量の増加に加え、この日の為に改良型を装備した。
諸々の準備を終え、固定していた篝火を次の漁師たちへ渡すと、ケルザーム漁船は出発する。
「……肌寒い。そろそろ夏も終わるのかな」
「ええ。今日で獲って、旅を再開させましょ」
船の揺れかも分からない頷きを返すエストの顔色は、普段と変わりなかった。
それもそうだ。最初の船酔い事件を経て、エストは何度も船の揺れを経験させることで耐性を身に付けたのだから。
エストにダラダラしている印象を抱くライラは、朝釣りにと早く起きた際、その隠れた努力を見て目を見開いた。
無償で引き揚げの作業を手伝う代わりに乗船させてほしい。そう聞こえた時は、耳を疑った。
だが本当に無償で手伝い、何度も吐いては感覚を身に付け、ここ3日ほどは漁師と会話しながら引き揚げていた。
流石にそこまで来ると胸が苦しくなったのか、ザザガやバーバといった、一般に流通する魚を幾つか分けて貰っていたのだ。
早朝の手伝いと訓練を終え、エストとシスティリアの2人が朝日を見ながら塩焼きを食べている姿はなんとも印象深い。
最近の2人の朝食が少ない理由を知り、納得した瞬間の快感は忘れられなかった。
秘密を知った優越感に浸りながら仕掛けを用意していると、船が減速する。
「エス坊、バサダの釣り方は知ってるか?」
「知ってるよ。大海老を餌に、左右に揺らすんだよね」
「その通りだ。まずはバサダを釣るぞ」
バサダというのは、最初にケルザームと出会った際にエストが釣った大型の魚である。
こちらもケルザーム同様に強い魔力に反応するのだが、好物の大海老の身を使うことで簡単に釣れる。
ライラが4人に大海老を付けた釣竿を渡すと、一斉にバサダ釣りが始まった。
「エスト、左右に揺らす大きさを教えてちょうだい」
「お風呂で体を洗う僕を見てる、システィの尻尾くらい」
「……待ちなさい。いつ見たの?」
「いつも見てるよ。熱い視線を感じるから」
へなへなと耳を垂れさせ、恥ずかしさから尻尾はピンと立てるシスティリア。可愛らしい反応に笑うエストだったが、そんなエストの釣竿に当たりが来た。
「うぅぅぅ……おっも。船長、来た!」
「よし! 3人は引き上げろ! それとライラ、仕込み箱持ってこい」
「分かりました!」
ケルザームの餌となるバサダは1匹で足りる。
むしろ複数用意することで、大量のケルザームを呼び寄せる方が危険なのだ。
強い引きに耐えるエストの後ろで、しっかりと組まれた大きな木箱──仕込み箱──が運ばれ、システィリアが海水で満たしていく。
そして、釣り糸と同じ強靭な糸で編まれたタモ網を手に、オーグがバサダを引き揚げると、エストと2人がかりで仕込み箱へと入れた。
「140ってところか……中々デカいのを釣ったな、エス坊」
「あの鱗の棘で血まみれなんだけど」
「ハッハッハ! シス嬢が治せるんだろ?」
「シス嬢……もう。はい、
鋭い棘を持つバサダは、オーグの付けている薄い金属を挟んだ手袋が無いと、ズタズタに肌を引き裂かれてしまう。
痛みに強いエストだから楽に運びこめたが、その痛みは大の大人が悲鳴をあげるほどである。
優しい光を浴びて傷が癒えていくと、ブロフが魔石の積まれた木箱を持ってきた。
「船長、あの魔石は?」
「ケルザームを確実に呼ぶために、バサダに魔石を呑ませるんだ。寿命が1時間くらいまで縮まるが、ケルザームが食いつく魔力量になる」
仕込み箱の中には、バサダを固定するための板が設けられている。早速オーグがバサダを挟むと、ブロフが金箸で魔石を呑ませた。
呑んだ魔石は40を超え、重くなった体で暴れる姿を見てシスティリアが呟いた。
「ちょっと可哀想。漁だから仕方ないけど」
「陸上の魔物でも、弱った子どもで獲物を呼び寄せて狩りをする種もいるらしいよ」
「……プロードベアがそんな生態してたわね」
弱った姿を見せたり、獲物の好きな匂いを放つことで呼び寄せる狩りは、自然界ではごく一般的な手法である。
「よし……エス坊、シス嬢。ケルザームが掛かったら水を固定してくれ」
「「は〜い」」
そうして、重さ40キログラムを超えたバサダに針を掛けたオーグは、暗い海の中へと放り込んだ。
副産物として出来上がった高濃度魔力水も一緒にばら撒くと、こちらはすぐに小魚が集まってくる。
改めてシトリンが魔石の収集に力を入れる理由を知ると、システィリアの尻尾が何かを感じ取った。
「大きいのが来てるわ……海が揺れてる」
エストも肌がぞわりと粟立つ。まるで島のような大きさの何かが、船のずっと下の方で動いているのだ。
本能的な恐怖を与えてくるソレは、垂れ下がった釣り糸の先……大量の魔石を呑んだバサダを、一瞬にして飲み込んでしまった。
「キタキタァ!! 頼むぜ2人ともッ!」
ギチチチ……と悲鳴をあげる釣竿。
何度経験しても海に引きずりこまれそうになるこの強さは、間違いなくケルザームである。
踏ん張るオーグの隣で集中する2人は、水を動かせる隙を待っていた。
そして、その時はやってくる──
「システィ!」
「ええ!」
水の適性を持つ2人が海と魔力を同調させる。
自身の魔力と繋がった今、一瞬だけ動きを緩めた隙を突いて、ケルザームを海面へと浮上させた。
まるで水の檻に閉じ込められたケルザームは、船の何倍もある巨体をくねらせ、盛大に暴れている。
「赤い眼……悪いけど美味しく頂くよ」
凶暴さを隠しもしない、オスのケルザーム。
海の恐怖を象徴する、恐ろしい顔を海面に出すと、口を開けて爆熱を放……てなかった。
島に上陸よろしく、アダマンタイトの大剣を旗に見立てたように、ケルザームの脳天にブロフが立っていた。
「仕留めるぞ」
火花を散らして剥がれたケルザームの鱗は、まるで金属片のようだった。
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