第234話 その涙は海へと還る(2)


 ケルザームの鱗が剥げ落ち、ドス黒い皮が顕になる。光を飲み込もうとする黒を覆う鱗は、さながら金属の鎧のようだ。


 兜のような頭の上に乗ったブロフは、剥げた部分を抉るように大剣を振り下ろすと、数枚の鱗と共に脂が散る。



「凄まじいな。エスト! お前だけでコイツを抑えられるか?」


「……うん、できる! システィ、手伝ってあげて」


「分かったわ」



 ケルザームの動きを止める水の檻。そして、底へ潜らない為に固定する水の板。その両方をエストが担うと、ケルザームの下に大きな多重魔法陣が現れた。


 広範囲にわたって水を操る、水域アローテである。


 何度暴れても壊せない水の檻に閉じ込められ、暴れるケルザームの上にシスティリアが乗った。



「細切れにしてあげるっ!」



 ブロフが剥がした鱗の部分──黒い皮に覆われた脂肪の層に向かって、システィリアは凄まじい剣速で何度も斬りつけた。


 飛び散る脂が斬れ味を落としていく中、斬る、払う、斬るを繰り返し、遂にケルザームの筋肉が露出した。



「ライラ、次はアンタの出番よ!」


「はいっ! 火炎メゼ────!?」



 返事をしたライラら、船の上から杖を構える。

 狙いを定め、ケルザームを内側から燃やし尽くさんと術式を組んだ瞬間、凄まじい衝撃が船を襲った。


 かろうじてエストが抱き寄せ、海に落ちなかったライラ。水域アローテの維持に意識を割いていたエストは、深呼吸の後にその正体を探った。



「……うわぁ、マジかぁ」


「な、何だったんですか?」



 心底嫌そうな顔をするエストが答える前に、操舵していたオーグが叫んだ。



「2体目のケルザームだ! その野郎、既にメスを捕まえてやがった!」


「えぇ!? じゃあ、今のって……」


「かなり遠くから熱攻撃をしたみたい。奇跡的に衝撃しか来なかったけど、次は船が爆発するかもね」


「そんな!? ど、どどど、どうしましょう!?」


「とりあえずそのオスを倒そう。諦めるか助けに来るか、賭けた方が面白い」



 幸いにも、メスはまだ深海に居る。

 次も狙いを外すとは思えない以上、ここでオスを仕留めることには、オーグも深く頷いていた。



「エスト〜? コイツどうするの〜?」


「倒すよ! ライラ、衝撃のことは気にしなくていい。自分の魔術に集中して」


「で、でも、外したらお2人が……」


「こう言ったら悪いけど、2人には僕の魔術が掛けてある。君の魔術で壊れるほど、弱くないよ」



 誤射を気にさせない為には、こう言うしかなかった。わずかなショックを受けるライラだったが、自分の才能より賢者の言葉を信用すると、再び杖を構えた。


 髪色と同じ橙色の多重魔法陣の中心は、2人が開けた傷口を指していた。


「……ん?」


 注がれていく魔力の量に、エストは眉をひそめた。しかし、輝きを増した魔法陣は、想定した魔力量以上のものだった。


 魔法陣が回転する。

 手渡された魔道書はほとんど読めていないが、1枚目からライラの常識を覆す内容で溢れていた。

 付け焼き刃だが、理解出来るものだけ頭に入れ、実際の魔術に落とし込めるのは才能だろう。


 エストは静かに2人の氷鎧ヒュガを強化すると、遂に魔術が放たれる。




「いきます! 爆炎槍フルメディク!」




 刹那──太陽の如き槍が放たれた。


 周囲の海水が一瞬にして蒸発し、大爆発が起きる。

 咄嗟にエストが水域アローテで船を掴んでいなければ、ライラ諸共上空へ吹き飛ばされていたことだろう。



「おいおい……何だこの威力」


「ひとりで相互作用を起こせる上に、水があったから爆発したのね……エストが居なかったら、アタシたち木っ端微塵になってたわね」



 ジュウ、と肉が焼ける音の中、2人は海をさまよっていた。ブロフは大剣の重量があるからか、ケルザームのヒレに掴まっている。


 2人が軽く見上げた先、水蒸気に隠れたケルザームの姿は、大きく豹変していた。



「木っ端微塵になったのは、アタシたちじゃなくてケルザームの方みたいね」



 まるで流木のように浮くのは、あまりの威力に、7割方が消し飛んだケルザームの残骸だった。

 奇跡的に残ったのがブロフが掴んでいるヒレであり、残りの肉もほとんどが焼け焦げている。


 船の方から氷の階段が伸びてくると、再び乗船したシスティリアは体を震わせて水を飛ばした。



「エス坊、ライラに何をしたらこんな事になる?」


「……え、僕のせい? これ僕が悪いの!?」


「いくらライラが才女といえど、ここまでの威力は有り得ねぇ。エス坊が何かしたんじゃないのか?」


「う〜ん……心当たりはある。でも、一番はライラの適性を見誤ったことかな。まさかこんなに上手く使えるとは、僕も思ってなかったんだ」



 一度に大量の魔力を使ったせいで、ライラは気を失っている。隙を見て安全な位置に移動させたシスティリアは、2人の口論を止めに入った。



「とりあえず、アレを回収しましょ? エストの魔術なら、安全に運べるわよね?」


「……あの大きさは無理だね。もっと小さくしないと、僕の亜空間には入らないよ」


「じゃあ解体しましょう。メスも来てないみたいだし、今のうちにチャチャッと終わらせましょ」



 彼女の提案に頷き、焼けたケルザームに飛び乗るエスト。焦げ臭い中にも程よく香ばしい匂いも立ち込め、齧りつきたい衝動に駆られた。


 しかし、目敏いシスティリアが尻尾で叩くと、尾ビレの方から氷刃ヒュギルで切り分けに行った。



 関節を見極めて亜空間に入る大きさに切ると、半透明な魔法陣に飲み込まれていく。

 討伐よりも解体の方が時間を要する。


 普段の魔物討伐と変わらないな……と思いながら作業していると、突然エストが杖を構えた。



「なんだ……この感じ」



 海面に氷壁ヒュデールの多層魔法陣を向けた。

 違和感を捉えたその表情は険しく、こめかみからは汗が垂れている。



「エスト? どうしたの?」


「……システィ、船に戻って」


「え? どうし──」


「早く戻れ!」



 そう叫んだ瞬間、海面から、船ほどの大きさの触手がエストに伸びた。

 数十枚の氷の壁を一瞬にして全て砕き、跳躍して回避するエスト。だが、それが悪手だった。


 伸びた触手が進路を上に変えると、その太い先端部分から無数の細い触手が伸び、空中でエストの腹を貫いた。



「この──っ!?」



 反撃しようとした瞬間、杖を取り落としてしまう。


 体に力が入らない。

 傷口の感覚が無くなり、声を出すことも出来なくなった。



「エストぉぉぉお!!!!」



 叫ぶシスティリアが触手を斬ろうとした瞬間、大きな水飛沫と共に海中へと消えていった。



「そんな…………嘘……よね」



 揺蕩うケルザームの上で、システィリアは力なく座り込んだ。

 

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