第33話 乙女心は耐えられない
魔道具屋を出る頃には陽は真上にあり、帝都のマダムで賑わう喫茶店に訪れた2人。
「好きに頼んでいいよ」
「ほんとに? お金、大丈夫?」
「うん。貯金は300万リカある」
「さ!? え、ど、どういうこと?」
「ダンジョンで稼いだ」
あまりにも莫大な貯金額に驚いたが、エストの魔術ならダンジョンの魔物相手でも余裕だと考え、落ち着きを取り戻したメル。
ただ、午後の授業を抜けて寮の門限までに狩れる魔物はたかが知れてる。
弱いと認知されているゴブリンでさえ、それだけの金額を稼ぐには年単位で時間がかかる。
普段はどんな生活をしているか、ますます気になる。
一通り注文を終えると、雑談に興じた。
2人が頼んだのは、挽き肉を甘辛いタレで味付けしたオムレツと、サラダとシチューハンバーグだ。
同時に食べ始めると、ふとメルが呟いた。
「エスト君とちゃんとご飯を食べるの、初めてかも」
「そうだね。前までは堅パンサンドと格闘してたし、最近は食堂で食べてるけど、メルは居ないから」
「ふふっ、もしかして初めて誰かと食べる?」
「いや、前にユーリと食べた」
「……あの時かぁ。くっ!」
2人でランチというイベントを取られたことに悔しがるが、相手が女の子ではないことを思い出し、安堵した。
堅パンサンドに食らいつくエストは、黙々と食べていた。歯茎から血が出てもおかしくないアレを食べるには、流石のエストも集中する。
だが、今は違う。
間違っても血が出ないハンバーグを切って食べ、美味しそうに微笑んでいる。
珍しく表情が柔らかいエストの笑みを眺めていると、首を傾げられた。
見つめすぎのようだ。
「ハンバーグ、美味しい?」
「うん。ひと口食べる?」
「いいの? ……いいのっ!?」
エストが頷くと、メルは一度深呼吸した。
これは千載一遇のチャンス。
あのエストから、お約束の『あーん』をしてもらうという、本当に貴重な機会だ。
何があっても受けねばならない。
そう思っていると──
「あれ? エストっち?」
「珍しいな、こんな所で」
赤髪の男と、茶髪の猫獣人の女が現れた。
メルは獣人の方は知らないが、赤髪の男は知っていた。帝都でも有名な、魔剣士の冒険者だからだ。
「ミィにガリオさん。どうしたの?」
「打ち合わせだ。明日、ミィが改良した戦法を試すんだが、念には念をと思ってな」
「名付けて、『バキバキ戦法・改』ニャ!」
「複数相手に対応した?」
「そうニャ! ディアの協力が要るけど、今夜帰ってくるニャ。スケルトンの視野と、盾の大きさに目をつけたのニャ!」
「いいね、今度結果教えてよ」
「もちのロン! 楽しみにしててニャ!」
と、ミィがそこまで言ってから、ガリオは気づいた。
エストの対面に座る女の子にとって、とても大きな邪魔をしてしまったと。
「あ〜、なんだ。邪魔して悪かったな」
「……ッ! エストっち……ファイト!」
それだけ言い残すと、2人は離れて行った。
何だったんだ? と思うエストだったが、メルがやけに静かなことに気がついた。
よく見ると唇が震えており、何かを我慢しているように思える。
「メル?」
「……エスト君は、獣人の方が好き?」
「どういうこと?」
「だって……仲良さそうだったし」
「うん、仲は良いよ」
何気なく答えたそれは、乙女心を傷つけるのに十分だった。
あまりに純真なメルにとって、エストの言葉は受け入れ難いものだった。潤んだ茶色の瞳から、想いの粒がこぼれ落ちる。
「エスト君の……ばか!」
捨て台詞を吐いたメルは、出て行ってしまった。
気づけば騒がしかったマダム達もエストを見ており、静まり返っている。
エストが、あそこで『仲が良い』と答えたのは間違いである。
隣のテーブルのマダムはそう結論を出していたが、エストは皆目検討がつかなかった。
このままでは料理が冷めてしまうと思い、2人分の料理を平らげた後、追加でランチセットを注文するのだった。
「……やっちゃった」
魔道書が山積みになった女子寮の自室で、メルは枕に顔をうずめていた。
これまで自分だけを見ていた……と思っていたエストが、ミィの話に興味が向いた瞬間、耐えられないくらい感情が揺さぶられたのだ。
そして感情のままに言葉を吐き捨て、帰ってきてしまった。
「……もうダメだぁ。絶対嫌われたよ……」
いかにエストと言えど、あんな理不尽な怒り方をされては嫌いになる。自分がエストの立場ならそう思うだろう。
仲が良い。
そんなこと、ほんの一瞬でも考えたら冒険者としての話だと分かる。でもできなかった。
初恋は叶わないなんて嘘だと思っていたメルは、実感してしまった。
これが失敗なんだな、と。
初めてエストに対して怒りをぶつけた。
自分だけは絶対にしないと思っていたことを、特別な日に、特別だと思った人にしてしまった。
その事実がメルの胸を苦しめ、自身の行動が悔やまれる。
「うぅ……私のバカ…………大バカ!」
初デートでとんでもない締め方をしたと、自責するメル。
明日エストに会ったら謝ろう。
そう思うが、本人にあわせる顔がない。
どうしたらいいか分からず、悩み、泣き続けた結果、メルは眠ってしまった。
一方エストは、自室で机に向かっていた。
自身の提唱する圧縮魔法陣の理論を、一般に公開するために実験していたからだ。
ここ最近のエストは、メル達との交流もあって新たな魔法陣開発に精力的だ。それを知る者こそ居ないが、毎日楽しそうに魔術を使う姿は見られていた。
ただ、そんなエストも今日は筆が進まない。
今日一緒に遊んでいたメルが、突然帰ったことが思考の整理を邪魔している。
「今日はもういっか。鍛錬だけして寝よ」
ペンを置いたエストは、気を紛らわすように魔術の鍛錬を始めた。白い単魔法陣から何本ものカラフルな氷の糸が伸びると、瞬時に編み込まれ、小さな魔女のぬいぐるみが出来た。
しかし、2体目からはメルが出来ていた。
「……違う。今日のメルはもっと可愛かった」
ツインテールの位置やリボンの形、ぬいぐるみらしいデフォルメされた姿の中でも、より本人に即した可愛さを求めることに、エストの意識は変わっていった。
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